冒涜
「思った以上に時間をロスしたな」
「強行突破しねえから……」
平然と言う椎奈に半眼を向けるも、一向に揺るがない。
「魔族に乗せられて堕ちたのなら殺さなければならないし、そうでない場合、強行突破したらそのダメージのせいで魔物に殺される。人を救う計画の為に人を死なせては本末転倒だろう」
何だかんだ言って他者を見捨てない椎奈に溜息をつく。やっぱこいつもお人好しか。
正直言って、俺は焦っていた。俺の予想では、アレは路が拓いた連絡を受けて動き出す。だから、闘技場から急げば、その魔術が発動するかしないかの所で何とか出来ると思っていた。
ところが吉野の足止めによる、思わぬタイムロス。はっきり言おう、これはヤバイ。何がヤバイって、椎奈がアレに関わる可能性が高まったのがヤバイ。
これは俺のやるべき事で、椎奈が知る必要は無いというのに。
「小崎、焦るのは分かる。だが、これ以上ペースを上げると戦闘時に支障が出るぞ」
椎奈に言われて、知らず足を速めていた事に気付いた。焦りは禁物。それは分かっちゃいる、んだが。
「いや、時間ねーし。特典で身体能力上がってる事だし、先に行って良いか?」
「気持ちは分かるが、落ち着け。小崎の役割も簡単なものじゃないんだ」
こうなりゃ先に行って片を付けちまおうと提案したが、椎奈に却下される。いや、冷静に考えて、椎奈が正しいんだけどな。
「……何を急いでいるんだ。この間言わなかった事か?」
ついに勘付かれたか。密かにほぞを噛みつつ、答えずに足を速める。椎奈は何か予感でもしたのか、無茶を承知でそれに付いてきた。
無理か。隠す事を諦めつつも、それでも俺が事を成そうと決める。せめて、こいつに背負わせまいと。
大聖堂が視界に飛び込んだ。辺りには既に、魔物が複数現れている。
「流石にここは多いな……」
「中心地だからな」
そう言って魔術を使おうとする椎奈を止める。怪訝な顔をして見上げんな、あんたこれからどんだけ霊力使うと思ってんだ。
息を吸い込み、吐く。呼吸を整えて、魔法陣を展開。
現れた複数の火の玉が、大聖堂前にいる魔物全てを燃やし尽くす。
「やるな」
「雑魚は任せろ」
椎奈の賞賛に応え、直ぐに駆け出した。1歩分だけ早かった俺が、扉を蹴破る。同時に懐から魔道具を取り出して——歯を、食いしばった。
——数え切れない程の、人、人、人。それぞれが武器を携え、こちらを見ている。乱暴にドアを蹴破ったというのに驚きや警戒は無く、唯虚ろな表情を向けてくるのみ。
身体に傷は無い。保護・強化の魔術が施されてでもいるのか、武器を構える姿にも不自然さは無い。
それでも、その濁った瞳を見れば分かる。嫌でも分かってしまうのだ。
——この、兵として扱われている人達が全て、死んでいるのだと。
彼等の奥には、魔術師のような格好をした男。……違う。アレは、魔術師なんて高等なもんじゃない。
「……死霊術師」
食いしばった歯の間から、声が漏れる。湧き上がる怒りと侮蔑を押さえ込み、魔道具のスイッチに手を掛けた。
戦闘意思を悟った死霊術師が、にたりと笑って片手をあげる。死を穢されたもの達が、声も上げず、一斉に俺達目掛けて襲いかかってくる。
俺は、椎奈に言うつもりだった。先に行け、と。魔道具があるからここは大丈夫だ、あんたは自分の仕事をしろ、と。
——圧倒的な霊力が、その場を支配するまでは。
その場にいた全てのものが、地面に縫い止められたかのように静止した。
瞬時に広がった冷たくも激しい波動が、身動ぎどころか声を出す事も許さない。まさしく大聖堂を、神に祈りを捧げる場を、愚かにも穢したものを裁く為、神が降りたかの様な威圧感。
「小崎」
恐ろしく静かな声が、息をする事すら躊躇われる空間に響き渡る。ゆっくりと息を吐き出し、おもむろに振り返った。
「ここは私がやる。小崎は先に行って、奥の様子を見てくれ」
全てを凍らせ斬りつけるような、冴え冴えとした輝きを持つ黒曜石の瞳。彫刻のように表情の動かぬまま、有無を言わさぬ口調で、椎奈は俺に命じた。
そう、これは命令だ。俺の意志に耳を傾けるつもりは欠片もなく、彼女は。
「……俺がやると言っても、聞かんか」
「ああ。その魔道具は魔術を無効化するだけだ。死者への冒涜を悼みもせず、唯解放するだけ。……無意味に奪われ利用された命、私がおくる」
この全てを、背負おうとしている。——死者達の、為に。
1度目を閉じ、開く。真っ直ぐ目を合わせ、頷いた。
「分かった。奥の露払いは任せろ」
「頼む」
「おう」
力強い口調で答え、俺は駆けだした。死霊術師は未だ椎奈の魔力に圧倒されていて、俺を止められない。操り人形にされてしまった死者達は、死霊術師が命じなければ動けない。
椎奈が呪文を唱え始めたのを聞きつつ、何の妨害もなく奥へと足を進めた。