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勇者の選択

 試合中に何度も感じた気持ち悪い空気の揺れを濃密にした、歪な穴。その穴から、これまで徹底的に隠蔽されていた嫌なもの——瘴気が、一気に吹き出した。


 同時に、街のあちこちで、分厚い硝子が砕け散るような音と共に瘴気が溢れ出しているのを感じる。


 次々と空気が歪み、瘴気が急速に満ちていく。能力が補助しちまう、人には受け入れがたい感覚。



 俺はその余りの強烈さに呑まれ、呆けたようにその穴を眺めていた。



「うわあっ!」

「え……て、うおっ!」


 秀吾の驚いた声にぼんやりと反応しかけたその時、強い衝撃をもろに食らって後ろに吹き飛ばされる。完全に不意打ちだったせいで、受け身は形しか取れなかった。背中を打ち、一瞬息が詰まる。


「ってー……」

「無事か」

 緊迫した声が真後ろから聞こえて、顔を上げた。椎奈が穴に視線を固定して、厳しい表情を浮かべている。


 気合いを入れてそっちを見れば、丁度何かが出てくる所だった。


「げっ、結構やばかったのか?」

「後一瞬遅かったら、2人とも呑み込まれていた」

「…………助かりました」


 まじでやばい状況だったらしい。呑み込まれれば2度と出てこられなくなるか、スタンバイしてた魔物さんの餌第一号になっていたか。どのみち嫌すぎる。


 心の底から礼を言うと、椎奈は軽く頷き、視線を穴に残したまま手を差し伸べてきた。その手を取り、反動を付けて立ち上がる。


 穴から現れた巨大な二足歩行の魔物を睨み付けたまま、椎奈が問いかけてくる。

「さてと。行けるか?」

「勿論」


 頷くと、椎奈は日本刀を鞘ごと抜いた。もう一方の手をすっと上げたかと思うと、その手の前に複雑な魔法陣が浮かび上がる。


 椎奈の手元から日本刀が溶けるように消えたかと思うと、日本刀と同じ長さながらも、反りのない刀が現れた。


「……ええと」

「人にもらった魔法陣だ。こちらの方が扱いに慣れているから取り替えた」


 何からつっこむべきかと迷う俺に、椎奈が取り敢えず説明をくれる。いや、どのみち訳が分からん。


 尚も言葉が迷子な俺を尻目に、椎奈は刀を腰に差し直して、右手を魔術を使う時の形にした。その手を、魔物の足元目掛けて横一文字に振り抜く。


 どん、と重たい音が響き、メテラの双子の時と同じように、見えない何かが場を区切ったのが分かった。


「瀬野!」

「え、あ、何だ!?」


 椎奈が声を張り上げると、魔物で見えない秀吾の間抜け声が返ってくる。状況が掴めないのだろう。一応形だけは同情するぞ。


「そいつを頼む! 街中に似たような気配があるから、私達はそちらの様子を見てくる!」

「え、ええっ!?」


 ひっくり返ったような声に、やや挑戦的な言葉をかけた。


「よもやこっちの手助けがないと、とは言わないだろうな」

「な、まさか! いいだろう、速攻で倒してやるよ! いくよレイラ!」

「はい、シュウゴ様!」


 案の定というか非常にノせられやすいというか。秀吾はやる気満々、巫女様と突撃し始めた。うむ、扱いやすくて何よりである。


「っし、行こうぜ」

「……ああ」

 戸惑いがちに頷く椎奈は、どこか不安げに瀬野の方を見ていた。命をかけた戦いに行くノリじゃない、て所か。

「へーきへーき。奴こそ真の主人公補正、理不尽展開を易々と乗り越えるイキモノだぞ。あいつは殺しても死なん。そんな事より、このバカ騒ぎを早く止めんと」


 実際、時間をロスしている場合じゃない。少しでも早く大聖堂に行かなければ。


「……そうだな」

 それが分からない椎奈じゃない。直ぐに頷くと素早く身を翻し、出口へと走った。待っていた護衛達に、椎奈が矢継ぎ早に告げる。


「ボローニは貴賓席の警護隊を手伝え。メイヒューは瀬野達の支援を。ホルンは……」

「パフォーマンス部門の方へ向かいます。明らかに戦力不足でしょうから」

 言葉を濁す椎奈とは対照的に、ベラは迷わず言い切った。


 パフォーマンス部門に参加している魔術師は非戦闘要員か後衛専門で、戦闘部門参加者のような接近戦は出来ない。だが、彼等の扱う魔術は火力が強い。だからまず、パフォーマンス部門の会場に多くの魔物を差し向けて魔術師を襲い、その後接近戦専門の連中をじり貧に追い込むつもりだろう、というのが俺達の予想だ。


 だからこそホルンは、そっちに行こうとしている。ある程度接近戦もこなせて、魔術師達が協力して戦える体制を整えられるだけの経験のある彼女なら、被害を最小限に食い止める事が出来るからだ。

 だが、勿論それは危険な事。それを知る椎奈が、厳しい目を向ける。


「死ぬなよ。ホルンは私の護衛だ」

「……はい」


 顔にはありありと「あんたが言うか」と書かれていたが、付き合いの長さか単にんな余裕が無いからか、ベラは頷いただけだった。それを尻目に、残りの2人に話しかける。


「ダニエルにステラ、もしも秀吾が血迷って王様に突撃かましたら、全力で阻止してくれ。気絶させようが階段から蹴り落とそうが構わん。俺が許す」


 何も考えず王様を悪と断じて斬りかかるアホなんざ、それ位やってよし。頭でも打って、そのどーしようもない単純思考をどうにかしろってんだ。


「……はあ。分かりました」

 良いのだろうかという顔のまま、ダニエルが曖昧に頷く。まあこの人なら上手い事やってくれそうだ。


「こちらはお任せ下さい。……ご武運を」


 ダニエルの言葉に見送られて、俺達は全力疾走を開始する。



 走る、はしる、奔る。バイク並みなんじゃねえかと思える速度で疾走しながらも、椎奈の息は僅かも乱れない。俺は風の魔術で背中を押しているんだが、こいつにはその様子すら見られない。やっぱチートか。


「後5分以内に着けるかもな」

「おそらく。もう少し……っ!」


 何事か言いかけた——まさかまだペースあげる気かおい——椎奈が言葉を詰めたのと同時に、俺も前方に危険を感じた。魔術を解除しつつ強引に足でブレーキをかけ、後ろに飛び退く。



 雷光が走り、地面をかち割った。



 後1歩でも前に出ていたら、まず意識はオちてただろう。いや、んなものじゃ済まされんか。ほぼ致死級の攻撃を仕掛けてきた相手に、戸惑いながらも身構えた。



 黒髪黒目、可愛いタイプの美少女。賓客として招かれた筈の他国の城ですら冷遇され、秀吾に話しかけられてさえ怯えた様子を見せていた「勇者」が、俺達にレイピアを向け、魔法陣を浮かび上がらせている。


「……吉野、そこをどけ」

 椎奈が低い声で告げる。その警告に、その子はびくりと肩を振るわせた。が、その場を動かず、俺達を睨み付ける。


「ここから先に、行かないで下さい」


 小さな、けれどはっきりとした声で告げられた内容に、耳を疑った。


「……それがどういう意味か、分かってんのか?」

 半信半疑で問い返したが、吉野と呼ばれた少女は迷い無く首肯する。

「私は、ここで、足止めをするんです。椎奈さんが1番瘴気の強い大聖堂に行く事は、分かってましたから。だから、ここで」

「ここで、俺達が魔族の計画を潰すのを妨害するのか?」


 頷く吉野。これは悪夢なのだろうか。


「……あれほど戦うのを恐れていたのに、どうして今?」

 椎奈による、静かな口調の問いかけに、吉野の顔がくしゃりと歪んだ。


「だっ、て! 椎奈さんも、誰も、私の事を助ける気なんて、無いでしょう!? 利用するだけ、弱さを嘲笑うだけ。この間も、更に動揺する私を見て、影で嗤ってたんでしょう!?」


 何の事だ、と胡乱に思う。俺に言わせれば、椎奈は他者を嘲笑う最後の人間だ。どんな相手にも、真摯に自分の意見を言う。それがきつすぎて受け入れられん事はあるだろうが、嗤っているという印象は持ちようがない筈なんだが。


「——そうお前に教えて、自分は違うと。そう言った奴が、いたんだな」


 その疑問に答えたのは、相も変わらず静かな声。けど、そこに激情が隠されている気もして、気が気じゃなかった。



 ——大体、今はこんな押し問答をしている場合じゃねえってのに。



 いっそ強行突破をと思ったが、椎奈がすっと手を上げて制するから、渋々引き下がる。


 吉野は椎奈の確信に満ちた問いに、どこか挑発的に頷いた。

「はい。私に戦わなくていい、弱くて良いんだって言ってくれたのは、あの人だけだったんです。だから、あの人について行きます」

「……戦わなくていい、か」


 重い気分でその言葉を繰り返すと、吉野は泣きそうな顔で、悲鳴のような声で叫んだ。


「だって、もう嫌なんです! 命を奪わなくても、生きていけた筈なのに! 訳の分からない事に巻き込まれて、戦えって言われて! 死んじゃうに決まってるじゃないですか、怖がって何が悪いんです! 生き物を殺すのが怖いのだって、死ぬのが怖いのだって、私にとっては当たり前なのに!」



 少女の悲痛な、心からの叫び。怖い、嫌だと訴えるその声を、けれど誰も聞いてくれなかった。



「臆病者とか卑怯者とか役立たずだとか失敗だとか、本人のいる前で! 私には、あの人達の方が異常なのに! もう嫌なの!」



 余程溜め込んでいたのか、少女は止まらない。普段なら決して言わないだろう事まで、激情に任せて叫ぶ。



「けど、逃げたって生きていけない! 生きていけても、帰る方法なんて見つかる訳ない! 神官にだって、出来ないのに! けど、あの人は出来るって言ったから、だから!」



「——だから、戦うのか」



 静かな声は、氷よりも冷たく聞こえた。椎奈を見る吉野が、ひくりと息を呑んだ。


「戦いたくない、逃げたい。その意思は分かる。だがお前は今、魔族側について、私達と戦おうとしている」

「っ、それ、は——」


 おそらく弁解しようとしたんだろう、吉野が何かを言いかけたが、続きは彼女の口から出てこない。


「勇者である間は、守ってくれる護衛もいるし生活も保障される。戦えば国民は感謝する。そんな環境を蹴って、お前は魔族の側に付くのか。身の保証もなく、叶いもしない口約束に縋って」

「叶わない……?」


 呆然と目を見開く彼女に、やばいと思った。これ以上この子を追い詰めちゃ駄目だ、そう思い、椎奈を止めようとする。

 けれど、それより早く、椎奈の言葉は続いた。


「魔族が人間との約束を守る訳がない。奴らにとって人間など、使い勝手の良い駒、あるいは魔力の多い良質の餌でしかない。奴らはお前が元の世界へ還る手助け等しない。用が済めば、とっとと喰らうつもりだ」


 そう言い切る椎奈の声には、一切の感情が込められていなかった。けれど、その物言いから分かる。椎奈が、魔族を心底嫌っているという事が、彼等の言葉に、何一つ耳を傾ける価値をおいていないという事が、目に見えるように。


「それでもお前は、奴らに着いていくのか。どうせ帰還魔法陣を示されてもいまい。大体、この町が崩壊したら、お前はどうやって生きていく」

「う、あ……」


 瞬きを忘れた目が、揺れる。レイピアを持つ手が、だらりと下がった。最後の希望の糸を断ち切られ、危うい均衡を保っていた精神が壊れてしまう、その直前。



「——そんなに還りたいなら、私が還してやる。時間軸や場所にある程度ずれは生じるだろうが、それでもいいなら、還る術がある」



 椎奈が吉野に、手を差し伸べた。



 剣を掲げ、周囲の状況に気を配りつつ相手を見据え、いつでもまた走り出せるように身構え。どう見たって敵を前にした風なのに、その言葉は、確かな「救い」だった。



 あまりにもあっさりと差し出された希望に、吉野は呆然とした表情で漏らす。

「う、そ……。だって、椎奈さん、還る為に魔王倒すって……」

「還る為とは言っていない。私はこの世界で魔王を倒してから還る。勿論自分で選んだ事だ。だが、吉野を還そうと思えば直ぐにでも還せる。専門分野ではないから、魔法陣を描くのに少し時間がかかるかもしれないが」


 俺にとってもかなり聞き捨てならん事を、何でもない事のように言ってくれやがる。隠していた事に苦々しさを覚えつつ、吉野の顔に迷いが生じたのを見て取った。


 信じて良いのか。また騙されているのではないか。そんな色を宿す吉野に、椎奈がダメ押しする。


「疑うのは当たり前だ。同じ事を言った魔族を否定した私だからな。だから、これは——どちらを信じるか、それだけだ」



 ——人間の敵である魔族を信じるか。

 ——1度は突き放したらしい椎奈を信じるか。



 その問いに対する答えを誤るほど、吉野はバカじゃない。


「どっちを、信じるか……」


 果たして、そう呟く吉野の顔からは既に迷いが消えていた。


「私を信じるなら退け。奴らを信じるのなら、魔族側に堕ちるなら、お前は私が殺す。——さて、どうする」


 冷淡に告げられようが、刀を向けられようが、吉野はもう迷わなかった。はっきりと頷いて、横に動く。


「真っ直ぐ言った先、八百屋の横の道が近道です。あそこなら、魔物も入れません。……あの、戦えない私に言える事じゃないですけれど、頑張って下さい」

「ああ」


 短く言って、椎奈が刀を引く。そのまま走り出そうとするのを見て、慌てて俺も足に力を込めた。ふと思い付き、吉野に目を向ける。


「闘技場に秀吾がいる。アイツは女の子は絶対に守るお人好しだかんな、奴の側にいれば安心だ。街は魔物が蔓延ってっから、早く行った方が良いぞ」


 返事を待たず、椎奈と共に地を蹴った。吉野のお礼の声が、あっという間に遠のいていく。


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