*戦闘開始*
生温い風に顔を上げると、周囲からも緊迫した空気が発される。痛い程の緊張を肌で感じながら、辺りを見回した。
「全員、準備は良いか」
「はい!」
薙刀を構えた古宇田が勢い込んで頷く。古宇田も、隣にいる神門も、緊張と恐怖にやや顔が強張っている。だがそれ以上に、瞳に強い意志が宿っていた。
椎奈を見送った王都入り口の門、その頂上にある見張りの為の場所に、俺達は立っていた。眼下では、田が広がるばかりだった地に数え切れない程の兵が揃っている。田は一時的に板で埋められているようだ。
「……魔物の姿を確認しました。その数100は下らないですね。今の所、魔族はいません」
目を伏せていた赤毛の女性が、未だ目には見えない魔物達の様子を告げてくる。以前椎奈に紹介された情報提供者、イライザ=ナトリーだ。報告に頷き、風上に目を向けた。
覚悟を決めた古宇田達は1週間前と別人のようだが、それでも戦闘経験は無く、技術も不十分だ。俺1人で庇いきれるものではない。そもそも今回、俺は庇われる側だ。俺達だけではこの作戦は成功しない。
そこで王に許可を得て、戦力を借りる事にした。サーシャが選んだ魔術師達に加え、本来非戦闘要員である筈のナトリーに頼み、逐一状況の把握をしてもらう事にした。魔族の存在が疑われる以上、情報が少しでも早く入った方が良い。遠視や瘴気探知の魔術を得意とするナトリーは適役だった。
更に、本来戦闘に参加する筈のない魔術師は他にもいる。
「ったくもう、何であたしらが戦いの場にいるのよ。臆病者らしく、城の奥で布団にくるまって震えてる予定だったのに」
棘のある口調で吐き捨てる、黒く長いマントを身に纏いフードを目深に被った女性は、レナとのみ名乗った。魔術研究部の人間らしい。サーシャの紹介だが、神門とも知り合いのようだ。
「レナの魔術が役に立つのよ。あんな器用な魔術、私には使えないわ」
「そりゃあ、サーシャみたいな仕組みも分からず魔術を使う魔術師には、絶対に扱えない代物よ。けど、あんなものをどうやって戦闘に使うわけ?」
色素の欠如した眉を顰めるレナは、おそらく恐怖を誤魔化すべく強気な態度に出ている。僅かに震えている手を視界の隅に捉えながら、淡々と告げた。
「下手に作戦を知って気負いたくないと言ったのはそちらだ。いつ使うかは俺が指示する。結界もあるし、余程の事がない限り怪我はしない」
今回、足場全体に結界の魔法陣を描いている。消費霊力量を考慮してそこまで強力なものではないが、魔物が数体襲ってきた程度では壊れないだろう。
「そういう問題じゃないんだけどね。まあいいわ。折角だもの、勇者様方の勇姿をこの目に灼き付けさせていただくわよ」
言葉と肩をすくめる仕草を了承と受け取り、静かに息を吸い込んだ。
次第に増していく瘴気と、周囲に満ちる緊張感。元の世界では割と馴染みの空気を、久々に味わう。僅かな緊張と懐古を感じるのも同じだ。
——違うのは、俺の隣に椎奈が居ないという事だけ。
何よりも大きなその変化が、これ程重く感じるとは。今までは椎奈の指示に従うばかりだった俺が、今回この場を仕切る。ただそれだけで、目を配るべき場所が格段に増えた。
それがどのような変化をもたらすかは、これから分かる。今まで椎奈が背負ってきたものを、少しでも理解出来るだろうか。
その時、急に瘴気が強まるのを感じた。顔を上げると、はっきりと目視できる魔物の大群。
「な……、空間転移!?」
ナトリーの驚愕の声。目視できる距離まで来たら伝えろと言ってあった以上、距離を縮める何らかの絡繰りが存在する。ただし、空間転移ではない。
「違う。空間の接続だ」
「それは、何か違う……いえ、今度解説して下さい。今は……」
言葉を途中で止めたサーシャが、表情を引き締める。武器を構え、魔術師達に声をかけた。
「奴らはこの程度の距離を埋める攻撃手段をいくらでも持っていますから、先手必勝で潰します」
それを聞いた魔術師達が、一斉に詠唱を始める。5秒にも満たないその間に、魔物の大きさは倍以上になっていた。
「古宇田、神門」
『はい』
2人の返事が重なり、無詠唱の精霊魔術が氷と風を生み出す。もう少し理魔術師達に時間が必要なのを見て、2人は魔術を魔物の軍にぶつけた。
碧瑠璃と橙の光が閃き、先頭にいた数体の魔物を巻き込み爆発する。
下手に怪我をさせるのではなく殲滅する、厳しいならば翼を奪い地上へ引き下ろす。全員に徹底させた指示だが、2人の魔術が既にこのレベルの魔物を一撃で、それも複数祓える力を持っている事には少し驚いた。それぞれの魔術の練習を見た時には、それ程の力があるようには視えなかったのだが。
彼女達の魔術を合図としたかのように、地上でも戦闘が始まる。鬨の声と、魔物の吠え声。見た限りでは、隊形を組み集団で攻撃を行っているようだ。しばらくは大丈夫だろう。
『——焼却せよ!』
古宇田達に遅れる事数秒、魔術師達の詠唱が完成した。魔力を掛け合わせることによって温度を上げた炎が、更に数体の魔物を燃やし尽くす。
既に10体近くの魔物を祓ったわけだが、依然空にいる魔物の群れは小さくなっていない。100は下らないと言っていたが、この様子からするとその倍はいるかもしれない。こちらの予想を上回っている。
サーシャも似たような結論に至ったか、迷うような響きの声が呼んだ。
「アサヒ様……」
「半分……いや、3分の2まで減らしたい。耐えられるか」
ここにいる魔術師達の魔力はそう多くない。古宇田や神門達も、緊張している分疲れるのも早い筈だ。半分まで減らせば確実に葬れるのだが、多少のリスクを負う必要がありそうだ。
そう思い軌道修正を告げると、サーシャは少し間を置いて返答を返した。
「何とかしましょう。……接近戦の可能性も考慮に入れておきます」
「そうなるか」
「数体、厄介な魔物がいますので」
そう答えるサーシャに目を向けると、見た事の無い引き締まった表情を浮かべている。その瞳の険しさから、厳しい戦いになる事を覚悟した。
「その時は、古宇田も薙刀を使え」
「分かりました!」
力強い返答と同時に、巨大な氷塊が魔物数体を凍り付かせる。一瞬後碧瑠璃に輝いた氷は、内側から破砕した。最初の方に覚えた中級魔術だ。
古宇田の大規模かつ高威力の魔術は、敵の多さに怯みかけた魔術師達を奮い立たせたようだ。先程よりも言霊の強い詠唱が聞こえてくる。
「あっ」
神門が声を漏らす。視線の先には、単騎凄まじい速度でこちらへと接近してくる亜竜種。周囲に視慣れた魔力が視えるから、神門の魔術を弾いたようだ。
目を凝らせば、僅かに空気が歪んでいる。風魔法を操る魔物なのだろう。神門の魔術を凌ぐ魔法となると、相当な力を持っている魔物だ。
素早く周囲に視線を巡らせた。魔術師の詠唱はまだ終わりそうにない。神門が失敗したのを見た古宇田が直ぐに魔術を放ったが、神門と同じく弾かれる。
軽く息を吸い込み、攻撃魔術用の魔法陣を構築した。既に口を開き攻撃しようとしている亜竜種目掛け、攻撃を潰すように魔術を発動する。
次の瞬間、大きな爆発が起こった。
相手の攻撃とこちらの攻撃が衝突した効果か、意図したよりも大きな爆発だった。標的に続いていたモノ達まで爆発に巻き込まれて消滅している。運が良いと思いつつ、ナトリーに目を向ける。
「残りは」
「……然程減っていません。寧ろ増えているように視えます」
眉間に皺を寄せるナトリーの言葉に、敵方の厄介さを思い知る。どうやらあちらには、空間を繋げて魔物を送り込む事の出来る魔族がいるようだ。増員はある程度で止まるだろうが、それまでこちらが保つ保証はない。
「……結界を張るか」
あまり使いたい手段ではないのだが、他に方法も無い。
「結界、ですか?」
「敵は空間を接続して魔物を送り込んでいる。ならば、空間接続を妨害するような結界を張れば、魔物の補充は止まる」
聞き返してきたサーシャにそう説明すると、理魔術師は大きく目を見開いた。空間を繋げれば結界も超えられるはずなのだから、驚くのは当然だ。
「そのような結界を張る事が出来るのですか?」
「ああ」
空間に関わる魔術は、他のものよりも得意だ。特に、椎奈の張る結界や収納に利用している魔法陣のような、異界を作るものは。
だがそれは、ここで説明出来る事ではない。万が一その意味を吟味出来る者に知られてしまっては困る。
その為、説明は省き肯定のみする。本来ならば魔術を見せる事すら避けたいのだが、状況が許さない。
「近付いてくる魔物は任せる」
そう告げて、意識を集中する。魔物の最後尾の位置を探査の魔術で確認し、その数メートル後方を境界とし、空間を区切った。
魔術が作動した事を確認してから顔を上げると、轟音と共に、20近い魔物が消滅するところだった。古宇田と神門、そして魔術師達の魔術が同時に発動したらしい。相互干渉が上手く働いたのだろう。
近付いていた魔物も全て消えた。後は数を削り、機を見て一掃するだけだ。
——そう思った、その時。
「あれは……!」
サーシャの緊迫した声に、咄嗟に視線を追った。目に入ったのは、鋭い線の目立つ魔物。背から尾にかけて生えている棘は1つ1つが剣のように研ぎ澄まされ、鈍く光を弾いている。全身も金属のような鱗で覆われたそれは、かなりの距離にも関わらず、痛いような威圧感を放っていた。
「鋼竜……」
ぽつりと漏らしたのは、魔術師の1人か。
鈍色に輝く魔物の咆哮が、王都中に轟いた。