茶番
午前は、スーリィア国とケネド国の試合。メイヒューとボローニを連れて、私は観客席に腰を下ろした。
スーリィア側にいるのは、ケネグと短い銀髪の青年。ケネグはこの国の騎士服、銀髪の青年は神官風の、けれど裾を引きずらない衣服だ。白地に赤の刺繍は、火の神霊を敬っている証だろうか。
ケネド国側は、吉野と神官。吉野は柔らかな緑色の装備に身を包み、腰にレイピアを下げている。柄が緑なのは、揃いなのだろうか。神官はやや黄色がかった神官服を着ている。スーリィアと同じく、裾は引きずらない長さだ。
両者は1度言葉を交わすと、直ぐに離れてそれぞれの位置に付く。
「……事前の評判は、5分だったな。優勝予想は吉野と瀬野、スーリィア国で3分割していたのだったか」
「はい、予想屋はそう言っていました。街の評判も同じようなものでしたね」
小崎が教えてくれた、賭が行われているという情報。お金が掛かれば、皆勝敗予測を真剣に立てる。その情報を、先日ボローニに頼んで入手した。
結果、やはり召喚された異世界の存在と、世界でもトップクラスの戦力を持つ国の勇者が、最有力候補らしい。私達はギリギリまで参加を渋っていたのとこれまで1つも実績が無いのとで、全く期待されていないそうだ。
それを知った護衛達が何とも言えない表情を浮かべていたが、実力を徹底的に隠していたのだから、私としては望ましい状況だ。
「となると、このトーナメントは、その「有力候補」が固まるようになっているな……」
周囲に漏れないよう、囁くように呟く。その言葉に含まれた意味を察した2人が、微かに身を強張らせた。
——有力候補の、潰し合い。
事情を知っている私達にしてみれば、それ以外に考えられない。
しかし、本当に周到に用意された罠だ。隅々まで目の行き届いた罠は、もはや執念じみたものまで感じる。
けれど、ここで譲るわけには行かない。
決意を新たにするのと、勝負開始の合図は、同時だった。
事前評判というものは、予想以上に確かなものらしい。
「やあっ!」
「ふっ……!」
小気味の良いかけ声と共に、吉野がレイピアを突き出す。それを払い、ケネグが剣を袈裟懸けに振り下ろした。
吉野はそれを容易く避けると、地面を蹴った。通常なら、間合いを取り直す程度の強さだ。
だが、彼女は雷の魔術を使いこなす。
一息に数メートルの距離を置くと、吉野は魔法陣を構築する。形状は古風でシンプルなものだが、彼女の強大な魔力が、その威力を裏打ちする。
数え切れないほどの氷の矢が、ケネグ目掛けて襲いかかった。
『聖なる障壁よ、我が仲間を脅威より守りたまえ!』
鋭い語調で紡がれた詠唱により、結界がケネグの前に作られる。ケネグも結界を張ろうとしていたが、あれでは間に合わなかっただろう。神霊魔術にしては異例の速さで作られた結界が、吉野の魔術を全て防ぐ。
大したものだが、後衛は常に前衛を守れるように待機しているもの。これが防がれる事くらい、吉野は承知していた。
『——crack the field』
英語による詠唱と同時に、地面に巨大な魔法陣が輝く。完璧な正円を描く魔法陣は、魔力の使用効率も良い。
彼女の魔力を十全に利用した魔法陣が、大きく地面を割った。深く、大きな地割れが、敵方の2人を巻き込まんとする。
「くっ!!」
さしもの2人も、この規模の攻撃は予測していなかったらしい。狼狽した様子で地割れから離れようとしているが、吉野は魔術の方向性を予め指定していなかったらしい。巧みに地割れの向きを操り、彼等を追い詰めていく。
『——火の気は地の気を辿り猛る』
今まで1度も動かなかったケネドの神官が、低く静かな旋律を紡ぐ。それに呼応し、地割れに沿って炎が燃え上がり、スーリィアの2人に襲いかかった。
今時珍しい、古語の詠唱だ。私も大規模な術を行使する時には使用するが、このような戦闘時に用いるとは。
だが、その威力は群を抜いたもの。追い詰められたスーリィアの勇者達を呑み込むように、炎が大きく膨れあがった。
——だが。
無意識に眉を寄せる。この神官は、風の神霊を奉る神殿に所属しているはずだ。風は火と相性が良く、火の精霊を操るのは容易いことなのだろう。この国は火の神霊を祀っているだけあって、火の精霊が通常の街よりも多いというのも、彼が火の魔術を選択した理由だろう。
けれどその判断は、相手を舐めすぎている。敵は、火の神霊を奉る、スーリィア国の神官だ。
『焔に宿る精霊達よ!』
鋭く放たれた言霊が、炎に宿る精霊に直接働きかける。不自然に静止した炎に、神官は更に言霊を投げ掛けた。
『真の敵を薙ぎ払え!』
言霊に呼応して、静止していた炎が勢いを増し、動き出す。向かう先は、目を見張る吉野と神官。
「っ、ヨシノ、防げ!!」
咄嗟に飛び出したのだろう、とても護衛とは思えない言葉に、吉野は1度肩を震わせ、慌てた様子で魔法陣を構築し始めた。
『Two solid shields, one is to me, the other is——』
たどたどしく紡がれる詠唱は、強度を補助するつもりだったのだろう。敵は神霊魔術だ、通常の理魔術では敵わないと判断したか。どのみち、呪文を唱えているようでは間に合わない。
白く輝くような炎が、2人を完全に呑み込んだ。観客席に大きな動揺が走る。
……大丈夫だ。あの魔術は、命に関わるものじゃない。
直感に訴えかけてくる声に従い、無意識に組んでいた刀印をゆっくりと解いた。目を細め、煙に満ちた闘技場へと目を凝らす。
少しずつ煙が薄れていく闘技場には、2つの倒れた影。どちらも火傷をしている様子はない。
元々熱を衝撃に変換する魔術が組み込まれていたのだろう。会場の熱気も大した事は無い。それに、吉野達の装備には抗魔術の効果があったようだ。駆け寄った医療班も落ち着いているから、気絶しているだけなのだろう。
「……スーリィア国の勝利、ですね」
「まあな」
ボローニの漏らした言葉に、短く返す。本人の口振りからして、同じ事を考えているのだろう。
——こんな茶番、久々に見た。
溜息をついて、もう1度吉野を伺う。医療班の処置により意識を取り戻した彼女は、試合前より更に強張った表情で医療班に頭を下げていた。その間も、無表情で受け答えしている神官を常に視界の端に入れている。
「…………」
感傷を振り払い、私は立ち上がった。午後の試合までしばらくある。次の試合までに街を歩きたい。
「そういえば……」
その時、ふと思いだしたようにメイヒューが声を上げた。視線を向けると、彼女は軽く首を傾げて続ける。
「今日はセノ殿がいらっしゃらなかったですね。ヨシノ殿を何かと気にかけていらっしゃいましたし、次の対戦相手である可能性が高いのですから、絶対観戦なさると思ったのですが」
「……確かにな」
言われるまで気付かなかったが、確かにその通りだ。居合わせれば必ず私に声をかけてきた瀬野だが、今日はそれが無い。
何となく違和感を感じていた理由はこれで分かったが、今度は彼がいない理由が分からない。次の対戦相手を見ておくのは常識だ。自分は忙しくても、護衛を代わりに行かせてでも相手の情報を得ておくのが定石である。
小崎によると、彼も多少試合経験がある。ならばその程度は知っている筈だ。
にも関わらず、いない理由。敵の偵察を放り出してでも優先させなければならない用件とは、何か。
さわり、と。神経を嫌なものが撫でた。あまり良くない流れが生じてきている、そんな気がする。
軽く首を振って、不快感を振り払う。これ程瘴気の強くなってきた街で良くない感覚を残しておくと、心身に悪い影響が出る。準備段階の今、身体の不調は避けたい事項だ。
取り敢えず午後に小崎と相談するなり瀬野と接触を取って探るなりしようと決め、私は歩き出した。