*交渉*
鈍い金属音と、打撃音。顔を歪めたサーシャが、痛みを散らすように、強く息を吐きだした。
「……剣術の技術ではもう敵いませんね。始めて拝見した時には、私の方が上だったのですが」
そう漏らしたサーシャが一礼する。それに応じ、俺も頭を下げた。
古宇田と神門が覚悟を決めてから、3日。意欲的に訓練に取り組むようになった2人は、魔力の質が明らかに向上している。迷いを無くし為すべき事を自分で決めるだけで、これ程に変わるものなのかと、意外に思った。
以前よりも質問に来る回数が増え、その分自身の訓練の時間が少々減った。だが彼女達への助言から得るものも多く、魔術の研究の糧となっている。
そしてそれ以上に大きいのは、今までは見学のみだったサーシャが、訓練に参加するようになった事だ。
あくまで従者という立場を貫くためか、他に何らかの理由があったのか、サーシャは一切訓練に干渉しなかった。だが、覚悟を俺に告げたその日、神門がサーシャに言った。
『サーシャさん、メイドが嫌なら、魔術師で良いんだよ?』
俺にはその言葉の意味が分からなかったが、サーシャには通じたらしい。次の日には吹っ切れたような表情と共に魔術師の服装で現れ、訓練に参加させて欲しいと申し出てきた。
こちらの世界の魔術師の戦い方、特にサーシャの戦い方には興味があったので、その場で魔術戦を申し込んだのだが、これが思わぬ結果となった。
考えてみれば、俺は妖や魔物を祓うばかりで、椎奈以外と魔術戦をした事がなかった。手の内を知る相手とやり合うのと、ほぼ何も情報の無い相手とやり合うのとは、戦術の組み立てや気構えが全く異なるという事を、その時初めて思い知った。
『シイナ様から伺ってはおりましたが、アサヒ様は本当に経験が少ないのですね……』
そう呟いたサーシャに戦闘技術で大きく劣っている事を、俺が経験不足だという椎奈の言葉を、本当の意味で理解した。
あっさりと翻弄されて負けた俺に、当たり前だとサーシャは言った。戦闘というのは数をこなす事で強くなるのだと、嫌に強調していた。
剣術の訓練で、椎奈が出来る限り多くの騎士と戦わせていた理由が、ようやく分かった。魔術戦以上に相手の動きに注視する必要のある剣術は、多くの人間を相手にしなければ、まともに戦えはしないのだろう。
だが、今まで魔術師と出会う機会のなかった俺は、本来得意とする筈の魔術で、サーシャに後れを取る事になってしまった。
「剣術では勝てても、おそらく実戦では負ける」
そう漏らすと、サーシャは何故か苦笑した。
「そもそも、どうして私は剣術で負けてしまうのでしょうね……。それなりに訓練を積んできた筈なのですが。それに、アサヒ様はその高度な魔術がありますから、死合ではわたくしが負けます」
冷静な分析には、頷く。
「それは事実だが、あくまで力業だ。魔力量の多い魔族を相手にする時には、通用しない可能性が高い」
「そうですね。アサヒ様の課題は、経験を重ねる事なのでしょう。ですが……」
そこで言葉を濁らせたサーシャに目を向けると、理魔術師は深く溜息をついた。
「王城にそれを理解出来る者は少なく、また待てるだけの時間もありません」
言葉と共に差し出されたのは、一通の手紙。蝋封に王族の印を押されたそれは、以前椎奈に送られたものと同じ。
「陛下と王妃様が、アサヒ様方をお茶会にと」
「3人共か」
頷くのを見て、古宇田達に視線を送る。古宇田は騎士と剣術の訓練を、神門は1人で慣れない武器を扱う練習をしている。2人ともまだ未熟だが、その魔力は既に力強さを感じるまでになった。
「受けよう。どのみち断れるものでもない」
「はい」
やや不安げながらもサーシャが同意するのは、この2週間で古宇田達があしらった貴族達の事が念頭にあるからだろう。以前のように迂闊な行動は取るまいという意見は一致したようだ。
昼食にと部屋に戻りつつ、俺は2人に招待の旨を告げた。
闘技大会で与えられた服を身に纏い、革製のソファに腰を落ち着ける。出された紅茶にはあえて口を付けず、目の前の2人を静かに見据えた。
今までで最も装飾の少ない服装なのは、公式の場ではないからだろう。見ようによっては、夫婦は寛いでいるようにも見えた。
「今日は招待を受けてもらい、感謝している。3人とも調子はどうだ?」
「前置きはいい。わざわざ謁見を避けて会うのは何の為だ、王」
詰問にも近い問いかけを受け取った王と王妃は、自然な苦笑を浮かべる。
「そなたといいシイナ殿といい、私に対する態度は随分と新鮮だ」
「敬意を示さないという意味ならば、拉致して戦わせようとしておいて要求出来る事ではないだろう。国どころかこの世界の人間ですら無い以上、身分を気にする必要も無い。貴族達の申し出を受けないのも同様だ」
暗に無礼な態度を詰る言葉を潰すと同時に、1つ目の案件を提示する。王は僅かに狼狽したような顔をして、黙り込んだ。
やはり王は、俺達が貴族からの誘いを全て断っている事を憂いていたようだ。椎奈のように使用人らが味方でない状態では、疑心のみを生むのは分かっていた。
それでも、古宇田や神門が取り込まれない為にも、対処法を身に付けさせる為にも、必要な処置だったのだ。
「彼等に取り込まれる事を期待していた。それは、俺達を止める楔が欲しかったという意味か。俺達は、魔王を倒せば元の世界へと戻る。それは決定事項だと思っていたのだが」
その言葉を聞いて王妃が何事か言いかけるのを、王が押しとどめる。ようやく意識が切り替わったのか、その顔は既に、他者を使い国を統べる者のそれだ。
「そなたが出した条件に、元の世界へ還るというものは無かった」
「それ、屁理屈じゃないですか」
古宇田の声が割って入った。視線を向けると、王を睨むような目で見ている。
「私達を無理矢理浚っておいて還さないなんて、どういう事ですか?」
「還さないとは言っていない。ただ、そなたらが「己の意思で」残る事を選べば、私はその意思を尊重するだろう」
「己の意思、を強要する気ですか」
古宇田が眉根を寄せる。今自分が言った言葉の理解度は、おそらく8割程度だろう。
貴族が俺の元へやってきた女共と同じ考えを俺以外へと向ければ、彼女達は確かに逃れられなくなる。王は、それすらも止める気が無いのか。
「王。俺が還る事を条件に入れなかったのは、そちらに頼らずとも還れるからだ。還る意思が無いのではない」
それを聞いた王の表情が変わった。頼らないという言葉の意味を悟ったのだろう、顔に焦燥が滲む。
「王は事態を把握出来ていないのか。俺達は既に、条件をほぼ満たしている」
「……何?」
必死で焦りを押し殺そうとしている王に、事実を突きつける。
「俺が約束したのは、「魔王討伐の協力」だ。魔王を討伐するとは一言も言っていない。現在椎奈がスーリィア国に行っているが、その間に魔王が差し向けた魔物か魔族を祓えば、協力した事になる」
「途中で放り出すつもりですか!?」
我慢出来なくなったのだろう、王妃が悲鳴に近い声を上げた。一瞥し、淡々と返す。
「命がけの戦いに最後まで臨み続ける事を、いつの間に俺達は義務づけられた。既に契約に応えるだけの犠牲を払っている。これ以上は俺達の意思次第だ」
「犠牲……?」
王妃が呟きを漏らした。表情から見るに、彼女は分かっていない。不快感が込み上げる。
「椎奈は1人でスーリィア国へ行った。ひとつ間違えれば死ぬ恐れすらある地へと向かわせておいて、犠牲は無いと言うのか」
無事王都に着いても、安全は保証されない。勇者同士の戦いは殺傷攻撃も許可されていると聞く。いくら椎奈が強くても、強者同士の戦いでは、もしもを否定できない。
——そして、それを狙った連中が襲ってくる可能性も。
俺達が訓練に集中出来る様にと1人で向かった彼女の犠牲は、大きい。
「椎奈が戻り、その報告次第では、俺に刻まれた魔法陣は契約履行を認め、俺達が還る事を許すだろう。それを理解した上で、尚俺達に枷を付けようとするのか」
告げながら、内心溜息をついた。くだらない矜恃に付き合わされていては、いつまでも話が本題に進まない。
「王。椎奈には勝てずとも守られていた俺達ならば思い通りになる、そう思っていたなら認識を改めろ。椎奈の様な器用さは無くとも、俺は交渉で引けを取る気は無い」
俺を信頼して1人戦いへと向かった椎奈の期待を、裏切るような下手は打たない。彼女が帰ってきた時、直ぐに戦わざるを得ない環境は作らない。
戦いでは未だ足手纏いである俺の、最低限成すべき事だ。
「本題に入れ。内容はおおよそ想像が付く。その為にこんな事をしたのも分かるが、逆効果だ」
今まで侮っていた俺に手の内を全て読まれていた悔しさか、王は一瞬顔を歪めたが、少しして深々と嘆息した。
「……察しの通り、魔物の大群が王都を目指している。国境からの連絡だ」
息を呑む古宇田達を横目に、尋ねる。
「こちらに来るまでの日数は、見当付いているのか」
質問は予測していたらしく、王は直ぐに頷いた。
「4,5日程度だろう。飛行を移動手段にする魔物も確認されたが、飛べないモノ達に足並みを揃えているそうだ」
「軍としての認識を持った魔物の大群か。魔族は?」
本能のままに人間を襲う魔物が、集団で足並み揃えて向かう意義を理解出来るとは思えない。にも関わらずそのような行動に出ているとなると、魔族が指揮している可能性が生じる。
「今のところ確認されていない……が、既に王都に潜入しているとすれば、あるいは」
「検問をくぐり抜けられた恐れがある、と」
「そこの魔術師の件を考えれば、否定は出来ん」
サーシャの肩が揺れる。王が彼女の件を認識していたのは少々意外だが、これ程の魔術師に憑依し、城で疑われる事無く生活出来る程の知性を引き合いに出されれば、頷く他ない。
「要求は、大群への対応か」
王と王妃が同時に頷く。王が僅かに身を乗り出した。
「勇者達よ、そなたらは強い。我々王国軍だけでは、報告された魔物全てを滅すのは厳しいのだ。そなたらにも戦って欲しい」
「王は椎奈と約束していただろう。俺達の訓練が終わるまでは、全力を尽くして魔物を退けると」
この世界に来て最初の日に、椎奈が王を問い詰めた時の返答だ。
「それは、そうだが」
「椎奈はあの時、王から言質を取っていた。神霊魔術師の言質、その意味くらいは知っているだろう」
神霊魔術師は、術師は、言霊を扱う事を得意とする。世界へと干渉する彼等が、世界の一面を構築している言霊を操るのは、お手の物なのだろう。
椎奈は、その言霊の扱いがずば抜けている。優れすぎているが故に、普段は言霊をわざわざ打ち消して会話や詠唱を行っている程だ。
王にもその知識はあったらしく、顔を顰めている。椎奈はあの時点でこのような事態を予測していたのだと、ようやく気付いたらしい。
「だが、そなたらは相当強い。訓練の成果も出ていると聞くし——」
「スーリィア国へ行く事も出来なかった俺達が、数週間やそこらで、王国軍でも対処出来ない魔物の大軍に敵うようになるとでも?」
認めざるを得ない事実だ。今の俺達に、前線で戦い勝てるだけの力は無い。
「敵わないのですか?」
心底驚いたような王妃の言葉。軽く頷いて肯定を示す。それを聞き、王の顔色が僅かに青醒めた。
視線を古宇田達に向ける。顔を見合わせていた2人は、視線に気付いたのか俺の方を向いた。
「あの、先輩。これって——」
続く言葉を制する。ここで疑問を呈する事が出来るならば、正確に事態を理解出来ているという事。それ以上聞く必要も無い。
「王。言質を取られた、それを認識した上で答えろ。この国は、魔物を押しとどめる事は出来るのか」
王が唇を噛んだ。その口から答えが出てこないのは、取られた言質の重さから、その反りを恐れるが故。
だが、答えがないことが何よりの答えだ。
「何故勝てない? この城の騎士や魔術師は、かなり戦闘能力が高いだろう。何を恐れている」
「……騎士達が詠唱の時間を稼ぎ、機を見て魔術師が一掃する。それが戦いの定石だが、大群では間に合わないことがある。そして、怖いのは飛行能力を持った魔物だ」
険しい表情で答える王を、隣の王妃が不安げに見ている。初めて実態を聞き、自分がどれ程脆い土壌に立っているか、ようやく気付いたのだろうか。
「詠唱の間に、飛行部隊に魔術師を殲滅される恐れがある、か」
「連中が足並み揃えているのはその為だろう、というのが魔術師達の意見だ」
サーシャに目を向けると、黙って首肯した。定石からするとかなり異色の戦闘スタイルを持つ彼女も、その見解には賛成らしい。王の顔色を見れば、それがどれほど厳しいことかは分かる。
古宇田達に改めて目を向ける。既に俺の意図を理解しているのか、2人ともはっきりと頷いた。頷き返し、王に向き直る。
「ならば、俺達は飛行部隊を相手しよう。後方から彼等を叩くことだけに専念する。全て滅せないようなら地面に引き摺り落として、止めは騎士に任す。前線には絶対に出さない、それを約束出来るならば力を貸そう」
この城が落とされるわけにはいかない。ここで椎奈を迎える為に、それまでにより強くなっている為に、何より、自分達の身を守る為に。
——この国が確実に生き残るよう、出来るだけ安全を確保した上で、手を貸す。
「感謝する、勇者達よ」
俺達の申し出に喜ぶ彼等に、静かに言い添える。
「ただし、条件がある」
いくつかの要求を告げつつ、俺の思考は既に、4日後の戦いに向けて段取りを練っていた。