もう1人の同郷者
「……とりあえず、今後はどうなさいますか」
じれったさに唇を噛んだその時、ボローニがいきなり沈黙を破った。その言葉に含まれたものに気付き、頷き返す。
「そうだな、闘技大会もある事だし、まずは……」
間を置く事で全体の注意を引きつけると同時に、ダガーをドアに向かって投擲した。ボローニの横を通り過ぎてドアを貫通したのに合わせて、ダガーに込めた霊力が爆ぜる。
「うおっ、爆発した!?」
若い男の叫び声。悲鳴とも言える声を聞きつつ懐刀を抜き放ち、構えた。
襲撃を警戒しつつ、ボローニがさっとドアを開く。扉の向こうにいたのは、背の高い黒目黒髪の少年。奇襲にも関わらず無傷の彼は、しかし壁を大きく抉って突き刺さるダガーを呆気に取られて見つめている。驚くほど隙だらけだ。
「答えなさい。お前は誰」
ホルンが鋭い口調で誰何する。その声にようやく振り返り、彼はこちらが臨戦体勢である事に気付いた。護衛達と比べて平坦な顔に、引き攣った笑みが浮かぶ。
「えーと、ルームサービスです」
場を読まない発言に、ホルンが小さく呪文を唱え始める。刀は構えたまま、斜め前に立つ彼女の肩に手を置いた。
「待て、ホルン」
「何故です。尾行していたのも彼なのでしょう?」
「そうだ」
「ならば——」
「あー、ちっと待ってくれ。なんか誤解されてるっぽいんだが」
私達の会話に少年が割って入る。ホルンの魔術は完成に近付いているのだが、彼に慌てる様子はない。
「誤解? 尾行をしていたのもドアの外で聞き耳を立てていたのも、お前だろう」
「まあそうだけどよ。……ってかあれ投げたの、あんたか?」
あっさり認めつつ、彼はそんな事を訊いてくる。それを聞き、メイヒューが気色ばんだ。
「お前に質問する権利があるとでも——」
「いや質問じゃ無くて確認。騎士様が投げナイフなんて使う訳ねーだろ」
メイヒューの言葉を軽くいなし、私に視線を向けてくる。こちらの返答を聞くまで待つつもりらしい。
「ああ、私だ。それが?」
「いや、びびったから。何だあれ、何のギミック?」
「……何、だと?」
「ぎみっく……?」
ボローニが怪訝な声で聞き返す。メイヒューも怪訝な呟きを落としている。それを聞き、彼は意味ありげな笑みを浮かべた。
殺意が、急速に失せていく。溜息をついて答えた。
「晶華が埋め込まれているだけだ。魔力を込めれば、遅延起動型の武器になる」
「へえ、便利だな。かなり良いもんだろ、どこで手に入れたんだ?」
「おい!」
緊張感のない会話に痺れを切らしたのか、ボローニが彼の腕を掴んで部屋に引きずり込む。あえて除外していた扉に改めて防音の術を施し、抵抗せずに入ってきた彼を意外に思いながら、改めて観察する。
会場で出会った2人の勇者と比べると、はっきりと見劣りする容姿。体はかなり鍛えこんである。池上程ではなくとも、一般人を遥かに凌ぐ身体能力を持っていると考えて良い。腕を引かれてもバランスを崩していないし、重心も低い。武道経験者であるのは間違いないだろう。
そして。勇者達と最も異なるのは、容姿なんてどうでもいいものではない。
——覚悟。
普通は持たない筈の、命がけで戦う覚悟が、彼の物腰に感じ取れた。
「いい加減に動機を話せ。答え次第では、殺す」
「……こえーなあ」
本気の殺気を漏らすボローニの恫喝にも動じていない。言葉とは裏腹に、その瞳には剣呑な光が見え隠れしていた。
「おい」
「ん、何だ?」
のんびりした応え。気の抜けた態度ながらも、意識の大半はボローニの挙動と発動一歩手前の魔法陣を維持するホルンに向けている。明らかに『戦う者』である彼に、尋ねる。
「これまでに魔物を祓った経験は、どれだけある?」
「……シイナ様?」
怪訝そうなメイヒューの声は、私も彼も無視した。
「結構あるな。冒険者として依頼を受けつつ、あちこちふらふらしてっから」
その経歴は奇妙でありながら、不思議と彼に相応しく感じる。少し躊躇ったが、彼と真っ直ぐ目を合わせ、切り込んだ。
「——何人、殺した」
彼の顔が初めて強張る。やや間を置いて、彼は苦笑した。
「……ま、何度か護衛やったし、旅してると山賊が襲ってくるしな。なるべく致命傷は避けたが……2,3人は確実に」
やや痛みを滲ませる表情と声に、全ての警戒を解いた。刀を鞘に収め、護衛の3人に声をかける。
「引け」
「シイナ様!?」
「いい。剣を引け」
命じると、渋々といった様子でボローニとメイヒューが剣をしまう。それを確認すると、彼も肩の力を抜いた。
「ええと、これは無罪放免って事で良いのか?」
「敵でない事は最初からほぼ確信していた。ただ、尾行と盗聴の理由は話せ」
そう促すと、彼は小さく笑う。何が可笑しいのかと軽く眉を寄せると、彼は軽い口調で嘯いた。
「命令かよ」
「こちらも見逃したとは言え、一応犯罪だろう」
「まーな」
あっさりと頷き、彼は私に軽く片手を上げてみせる。
「取り敢えず自己紹介な。俺は小崎朔夜。お気づきの通り、日本の高校生さ。ガレリアで勇者やってる瀬野秀吾の幼馴染だ。いわゆる巻き込まれ召喚ってやつで、この世界に来た」
その言葉に、勘付いていたらしいホルンを除く2人が目を見張る。私はと言えば、ちくりと胸を刺された気がした。
巻き込まれ召喚。それは、古宇田と神門にも言える事だ。あの2人もまた、私に巻き込まれてこの世界に来た。その責任を忘れるつもりはない。
だが彼女達は、今まで1度も私を責める事が無かった。どうしてこんな目に遭っているのだと、私のせいで巻き込まれたのだと、決して言わない。責めてもどうしようもないと思っているのか何なのか、理由は分からないが。
しかし彼——小崎はそれをあっさりと口にした。そしてどうやら、瀬野とは別行動を取っているらしい。幼馴染と言っていたが、彼は——
「誤解してるみたいだから言っとくが、俺は秀吾を恨んでるわけじゃねーぞ。そもそもあいつには元の世界でも迷惑かけられまくってんだ、嫌ならとっくに縁切ってる。納得ずくで巻き込まれてんのさ」
沈黙に勘付いたのか、小崎は私の疑念をあっさりと否定した。その言葉に嘘は無いが、納得出来ない。
「……そのせいで、人を殺す羽目になったのにか?」
「てめーが死なない為とはいえ人を殺した責任をあいつに擦り付ける程、俺は腐っちゃいねーよ。俺は俺の意思で殺したんだ、他人のせいにするつもりはない」
迷いのない言葉に、黙り込む。それでも、と訊きたい問いを、呑み込んだ。
——それでも、誰かのせいで命の危険に晒される事を、お前は赦せるのか。
「で、あんたの名前は?」
小崎の問いかけに、まだ名乗っていない事を思い出す。
「椎奈。高校1年だ。瀬野が2年と言っていたから、小崎もそうか?」
「おう、ガッコもクラスも一緒。小学校の頃からずっとだぜ? 何か人為的なものを感じるよな。しかし、後輩かー」
どこか楽しげな表情の小崎に、ふと問う。
「言葉を変えた方が良いですか?」
「いらねんじゃね? 部活どころか学校の後輩でもなさそーだし。大体、ここじゃ関係無いだろ」
瀬野と似たような事を言う彼に、頷く。
「分かった。それで? 何故尾行、盗聴した?」
改めて目的を尋ねると、小崎は飄々とした態度を崩さないまま、のたまった。
「いや、美人な女性を見かけたら、後を追ったり住んでる所までつけ回したりするのが、男ってもんだろ」
……あまりにあっけらかんと言われたせいで、束の間言葉が理解できなかった。それは護衛達も同じようで、唖然とした表情を浮かべている。
1つ、深呼吸をする。その音で我に返ったらしいホルンに、一言。
「ホルン」
「はい」
敵と認識していた時から維持し続けていた魔術を、彼女は迷わず放った。氷刃を含んだ小さな竜巻が、彼に真っ直ぐ向かっていく。
「うぉあ!?」
室内で魔術を向けられるとは思っていなかったのか小崎が焦りと驚きの声を上げるが、その声は竜巻の轟音でほとんど掻き消された。
狙いは正確、部屋に被害はない。余波を無くすのは思いの外難しいが、みごとにやってのけている。精度の高い理魔術に、素直に感心した。威力も十分で、不意打ちで食らえばまず命はないだろう。
——だが。
「ツッコミにしては激しすぎねーか!?」
唐突に魔術が消えると同時に戯けた事を叫ぶ小崎は、無傷でその場に立っていた。
「ストーカーは早めに排除すべきだ」
「排除の仕方があまりにも過激だろーが! ストーカーしたら殺されるとか、聞いた事ねーぞ!」
「この世界でストーカーを許したら命の危険があるだろう。第一、殺すつもりはない。痛い目に遭わせようとは思ったが」
「あれでか! あれがあんたらの『痛い目』か!」
小崎はやたらと食い下がっているが、無傷とは驚いた。彼の様子からかなりの力量だろうと予測していたが、これ程の理魔術でも無傷でいられるとは予想外だ。
——彼は、魔術を一切使っていないのに。
「それで、今のは何だ?」
「スルーか!」
間髪入れずよく分からない合いの手を入れる小崎を、黙って見つめる。答えるまで何も言うまいという意思は通じ、小崎は渋々といった様子で答えた。
「……この世界に来たオプション、俺の能力だよ。なんつーの、空間を弄くる感じ」
「空間を?」
今まで敵意を隠しもせずに小崎を睨み付けていたホルンが、驚きの声を上げる。彼女に視線を向け、彼は頷く。
「亜空間的なもんを作れる。そこに色々放り込めるんだよ、ものも攻撃もな」
「成程、魔術ごと空間に入れたのか」
「そ。それに、空間を渡る……要するにテレポートも出来る。便利だろ? この能力のおかげで荷物軽くって……ほら」
言いながら、腰のポーチに手を入れる。ポーチよりも明らかに大きなナックルを取り出して見せ、言葉を証明した。
確かに便利な力だ。魔力は然程多くないようだから、魔力を消耗しない力は貴重だろう。仕組みはよく分からないが。
「そんな力が……」
ボローニが唖然とした表情で呟く。彼が驚くという事は、この世界でも稀少なもののようだ。
「ずっと使ってると、めちゃめちゃ疲れるのが難点かな。普段は精霊魔術使ったり拳術を応用したりしてる」
言いながら再びナックルを示す彼に、疑念も露わに尋ねた。
「何故それを、私に言う?」
普段使わないという彼の能力は、いわば隠し札だ。それをあっさりとばらしてしまう神経が分からない。
「その理由が、尾行や盗聴をした理由でもあるんだけどな。あ、部屋まで知ってんのは、たまたま俺もこの宿に泊まってるから。夕食食ってる時に、部屋に上がってくのを見かけたんだよ。流石に宿まで追い回したわけじゃねーぞ」
そう言って笑いかけてくる小崎に、視線で続きを促す。やや不服そうな顔をした彼は、けれど直ぐに真顔に戻った。
「これは偶然だが、秀吾との会話を又聞いてぴんと来た。あんたもこの街の違和感に気付いてるってな。異変に気付いた数少ない者同士、手を組んだ方が良いんじゃねーかと思ったんだよ」