仕掛け
出発前に頭に入れた地図を頼りに、王都をゆっくりと歩いて回る。
まずは、地図と実際の街並みの摺り合わせ。並んでいる店や宿、その場の雰囲気を把握し、どこにいても位置が分かるよう、隅から隅まで歩いた。
地図を脳内に完成させ、次に街に走る魔力の線——地脈に沿って歩を進める。魔力の溜まり場——龍穴も確認し、予め頭に描いた地図に書き加えていく。
これで、基本情報が完成した。
続いて、現状の把握だ。気配に違和感を感じた場所、地脈の流れに不自然さを感じた場所を、全ての感覚を研ぎ澄ませて歩く。己の直感を確信に導く為に、人々の魔力の状態や街全体の活気、飛び交う声に込められた言霊にまで注意を配りつつ、幾重にも、幾通りにも道を歩いていく。
この間護衛達は、何も言わずに私の後を付き従っていた。ホルンは理魔術師として行動の意味を理解しているし、ボローニは経験故に動じないのだろう。
だが、経験不足、心の未熟さの目立つメイヒューは、意図不明な街の練り歩きに、とうとう我慢出来なくなったようだった。
「……あの、シイナ様。差し出がましいようですが、何故このような行動をお取りなのか、ご説明願えますか?」
最も大きな通りを通る事5度目、メイヒューに問われて足を止める。振り返ると、困惑も露わなメイヒューと申し訳なさそうなボローニ、やりとりを気にもせず周囲の様子を窺うホルンという、三者三様の表情が目に入った。
「説明も何も、ただ街の様子を確認しているだけだ。最初に説明しただろう」
「ですが……」
なおも食い下がろうとするメイヒューを制して続ける。
「まあ、少し休憩しようか」
「はい」
明らかにほっとしているメイヒューとボローニ、やや不満そうなホルンを横目に、近くにある喫茶店に入った。
適当に注文した飲み物が運ばれてくるのを待って、ホルンが口を開く。
「シイナ様、この後のご予定は?」
暗にまだ回るのかと尋ねる理魔術師に、肩をすくめて見せた。
「まあ、こんなものだろう。気になる場所はあるか?」
「城内……は無理でしょうから、大聖堂をもう1度」
「ああ、なるほど。そうだな、確認しておくか」
私達の会話を聞いて、ボローニは表情を引き締めた。
「結論が出ましたか」
彼の言葉を聞き、今まで状況を掴めずにいたメイヒューが、はっと息を呑む。
「ああ。確認は必要だが、ほぼ間違いないだろう」
頷きながら、後で話す意思を視線と口調で伝える。それを理解した3人が、僅かに表情を変えた。問うような視線に、ゆっくりと頷く。
——今、話す訳にはいかない。この視線が、ある限りは。
街を歩く間ずっと感じていた、視線。尾行の類いにかなり熟練しているようだが、街の様子を探る為に感覚を尖らせていた私は誤魔化されなかった。
だが、今の所は敵意も悪意も感じられない。勇者である私に興味を持っているだけかもしれない——だとすると、全行程を追ったというのが理解不能だが——ので、好きにさせている。やましい事があるわけでもないのだ、放っておいて構わないだろう。
残っていたコーヒーを飲み干し、立ち上がる。
「そろそろ行こう」
「はい」
3人を促し、店を出る。気付かれた事を悟ったのか、視線の主は追って来なかった。
日が傾き、空が燃えるような紅に染まりゆく。黄昏時と呼ばれるに相応しい空の色に、そっと息を吐き出した。
黄昏時——太陽神の加護を失い、闇が世界を覆い始め、妖が跋扈する刻。かつて人々はこの陰の気が強まる時間帯を、大禍時と呼んだ。
大聖堂を見やる。神聖な筈のその建物は、光が薄れゆく中、歪みを露わにしていた。
「……シイナ様」
「ああ、間違いないな」
ホルンに呼びかけられ、首肯する。メイヒューとボローニも、私達ほど強くはなくとも違和感を感じるらしく、ただただ無言で大聖堂の塔を見上げていた。
塔に燃え盛る、聖火。揺らめく炎は相変わらず美しいが、意識して視れば、その異様さは浮き彫りになる。
神々しいのに、歪んでいる。盛大に燃えているのに、どこか儚い。矛盾した感覚が神経を逆撫でる。
「……宿に戻るか」
あまり長い事見つめていると、感覚を歪めそうだ。そう思い護衛に声をかけると、3人とも直ぐに頷いて踵を返す。もう1度聖火に視線を投げ掛けてから、背を向けて立ち去った。
宿に戻り、私達は昨晩同様、部屋で顔を付き合わせていた。ボローニはドア、メイヒューは窓の側に立ち、ホルンは私の直ぐ側に控えている。尾行の件もあって、敵襲を警戒しているらしい。
目を伏せ、結印する。部屋の全ての壁に防音の術を張り巡らせた。
「さてと、現状の確認と行こうか」
そう切り出して、3人を見回す。頷いたのを確認して、口を開いた。
「まず、この国に流れる王の乱心の噂。王の行動が最近妙で、側近も緊迫していた。民にも噂が広まりつつある。ここから導き出せるのは、国が中枢から傾きつつあるという事」
その言葉を聞き、メイヒューとボローニが顔を青醒めさせる。
「この大国が……ですか」
「大きなもの程、崩れ去る時はあっけないものだろう」
強固に見えるもの程、絶対に負けそうにないもの程、崩れ落ちるのは一瞬だ。人であろうと、家であろうと、国であろうと、同じ。かつて何度もそんな様を目にしてきた。
「それから、お前達は王をどう思った?」
尋ねると、ボローニが直ぐに答えた。
「ご乱心なさったとの事ですが、切欠が不明です。魔物が入れ替わっているのでは?」
「可能性はありますね。素手で臣下の首を引きちぎったという噂もありますし」
ホルンが後を引き継ぐ。その2人に、更に訊いた。
「では、王子はどうだ?」
「……王太子殿下ですか? 然程違和感は感じませんでした」
「シイナ様に執着しているご様子は見受けられましたが」
不思議そうな顔のボローニとホルンの言葉。彼等には城の結界に瑕疵を与えた魔術師の事を言っていないから、違和感を感じなかったか。
そう思いつつ、発言の無いメイヒューに視線を向ける。言おうかどうか迷っている様子の彼女に、促した。
「メイヒュー、お前はどう感じた?」
メイヒューはゆっくりと、言葉を探すように答える。
「……陛下よりも、王太子殿下に、違和感を感じました。殿下は、神霊魔術師ですよね?」
「ああ。この国の王族は、全員そうだ」
首肯して、間違いなく真実を捉えているだろう彼女の、続く言葉を待つ。
「私は神官と少し交流があるのですが、彼ら神霊魔術師の気配は非常に濃密です。空気が研ぎ澄まされていて、常に魔力を漂わせているような、そんな感じがあります。勿論、シイナ様も同様に。ですが……」
「王子にはそれが無い」
言葉を引き継ぐと、メイヒューは迷いを浮かべながらもはっきりと頷いた。
「私の感覚が鈍いだけかもしれませんが」
「いや、その通りだ」
私の相槌に、ボローニが身を乗り出す。
「……それでは、シイナ様」
「そうだ。この件、王族の中で魔族と関わりがあるとすれば、王子だ」
「……根拠は?」
納得のいかない様子のホルンが理由を尋ねてくる。理魔術師らしい頑固さを好ましく思いつつ、昨日今日で手に入れた情報を整理していく。
「メイヒューの言っていた神霊魔術師の持つ独特の気配というのは、精霊の気配だ。精霊を使役するだけの力を持つ故か、神霊魔術師は精霊を集めやすい。精霊魔術師もそれは同じだが、圧倒的に数が違う。精霊は世界に漂う力の塊のようなものだ。メイヒューが感じ取ったのはそれだろう」
精霊魔術師にしては、かなり感性が鋭い方だ。訓練次第では、神霊魔術師と張り合う魔術師となれる。
「……シイナ様から感じる異様な気配も、そのせいでしたか」
ボローニの呟きに、肩をすくめて返した。
「私の場合は、元々の魔力も多分にあると思うぞ」
唖然とした視線は無視して、話を戻す。
「さて、王についてだ。確かに歪みを感じたが、あれはどちらかと言えば、魔法の気配と見て良いと思う」
「魔法!?」
ボローニが驚きに声を荒げたのはこれが初めてだ。国に仕える騎士としては、それだけ衝撃が大きいのだろう。確かに、大国の頭が魔法を受けているというのは、洒落にならない。
「おそらく操られているのだろう。人を操れるという事は、魔物ではなく魔族だな」
こちらの世界では、知性があり人語を解する魔物を、魔族と呼ぶ。知性がもたらす優位性はやはり相当なものらしく、魔族は魔物を遥かに凌ぐ力を持つ。
「しかし、この国の王は優秀と聞きます。魔族相手とはいえ、そう易々と操られるでしょうか?」
ホルンがもっともな疑問を呈す。少し考えて、それに答えた。
「情報が少ないから何とも言えないが……王は家族を大事にしていたと聞く。王子を信じすぎたのではないか?」
国を統べる者にとって、信頼は甘さ。個人を優先しては国を傾ける。王はまさにその過ちを犯してしまったのだろう。
「話を王子に戻そうか。彼の気配の違和感は、おそらく精霊の数の少なさ故だ。だが、精霊の数が少ないのは、何も王子の周りだけではない」
街を歩き回って得た収穫の1つだ。昨日から感じ取っていたのは、精霊の少なさだったのだ。
「街にいる精霊の数が少なすぎる。この国は神霊の加護を得ている筈なのに、精霊がこんなに少ないのはおかしい」
神霊は、精霊を統べる存在。精霊のいない所に神霊がいる筈がないし、逆もまた然り。
「では、聖火に感じた違和感もそれですか」
ボローニの問いかけは、確認に近かった。直ぐに頷く。
「神霊の御座である筈の聖火に、精霊が寄り集まっていない。神霊魔術で無理矢理維持しているようだな。それがあの違和感の正体だろう」
凄まじいまでの違和感。聖火が、聖なる火としての役割を果たしていない。それはつまり、王都への神霊の加護がほぼ失われているという事。
更に。
「……魔力線が歪んでいたのも、精霊の数が少ないせいでしょうか?」
己の思考に沈む様子ながらも、ホルンが訊いてくる。それには首を横に振った。
「寧ろ精霊の減少と魔力線の歪みに、同じ原因があると見るべきだろうな」
この街の魔力線——地脈を辿ってみると、流れが澱んだり本来あるべき方角から外れていたりと、酷い有様だった。あれではこの街の大地を支えるどころか、崩壊へと誘ってしまう。
そのような所から精霊が逃げ出すのは道理だが、神霊の加護ある地で地脈があれほど歪むとなると、人為的な原因が絶対に存在する。
「シイナ様、それは真ですか? 魔力線が歪むなど……」
ボローニは顔を強張らせていた。彼の疑問も尤もで、地脈は人の手でどうこう出来るものではない。魔術の力を持ってしても、世界の土台である地脈への手出しなど、普通は出来ないのだ。
「言いたい事は分かるが、事実だ。どうやら今回は、かなり強力な魔族が相手のようだな」
一体いつから工作を始めたのかは分からないが、質が悪い。人どころか世界に喧嘩を売る行為だ。成る程、神が干渉を考えるのも無理からざる事かもしれない。
「そして、歪んだ魔力線の中心地が、大聖堂だった」
ホルンが頷く。残りの2人もようやく衝撃から立ち直ったようだが、ホルンと同じく深刻な表情を浮かべる。
「神を祀る場所を本拠地とするか……神官達は王子側か、それとも王のように操られているのか」
「大聖堂は今、王太子殿下の管轄ですが……どちらもありえますね」
メイヒューの言葉通りで、彼等に関わっていない以上、両方の可能性を否定できない。
「さて、今分かるのはこんなものか」
「全ての原因となる仕掛けは、分かりませんか」
ホルンの言葉に頷くしかない自分が悔しい。
「……ああ。気が澱んでいる事は分かったが、隠蔽の魔術が思った以上に強力だ」
国の上層部がこれ程の異変に気付かないのは、おかしい。よしんば王城の関係者全てが魔族の手に堕ちたとしても、隣街にはギルドの本部があるのだ。流れの魔術師を囲っている彼等が気付かない訳もなし。いくら国への不干渉が不文律だとしても、これ程の危機に動かない筈がない。
にもかかわらず、こんな状況になるまで誰も動かなかった——気付けなかったのは、街全体を覆っている、大規模な神霊魔術のせいだ。
歪みを歪みと感じさせず、異変など無いように見せる魔術。神霊魔術は幻術の類いを得意とするとはいえ、相当高度な魔術だ。異界を構築する結界に近い。
その上、他者の干渉を撥ね除ける魔術まで併用している。全ての大本となる原因が分からないのも、この魔術のせいだった。
原因を探るには魔術全体を解体するしかないが、それをすれば街に混乱を引き起こす。魔族にとって願ったり叶ったりの状況だ。原因を潰すのに時間が必要なら、その時点でこちらの敗北となる。八方塞がりだ。