夜会にて
複数下がるシャンデリアには、魔法火が灯されているらしい。通常よりも明るい火が照らし出す、豪奢な壁紙や彫刻。制服を着た男女が食べ物や飲み物を給仕し、煌びやかに装った人々がそれを手に、あちこちで談笑している。談笑の声を彩る背景は、楽団が奏で続ける音楽だ。
……この光景を見て、素晴らしいと息を呑む者と、こんな事にこれ程金をかけるなんてと馬鹿馬鹿しく思う者は、一体どれほどの比率なのだろうか。
いくら相手をしても尽きない貴族達からの挨拶に辟易した私は、メイヒューと、昴を街の舎に預けて戻ったボローニに後を任せ、早々に人の輪から外れ、冷めた気分でそんな事を考えていた。
「……よろしいのですか、シイナ様?」
貴族とはあまり関わり合いたくないらしく、自ら護衛を買って出たホルンが、躊躇いがちに尋ねてくる。
「別に良いだろう。あれでは勇者との親交を深めるどころか、この国の貴族に取り入られかねない」
勇者と呼ばれる者達は、押し並べて人だかりの中心にいた。あれでは、彼等の応対だけで宴が終わってしまう。本末転倒な状況に、わざわざ付き合ってやる義理もない。
「適当なところで切り上げて、帰るぞ。宿を取っておいて正解だった」
「……そこまでお考えでしたか」
溜息をつく彼女を、甘いと思う。私に言わせれば、こんなもので夜遅くまで時を無駄にする、彼等の神経が理解出来ない。
「あのう……勇者の方、ですよね?」
手元の皿を持て余しつつ、壁際で談笑の様子を眺めていた私は、久々に声をかけられ、視線を移した。
そこにいたのは、金に近い茶髪に明るい茶の瞳を持つ背の高い少年と、この世界では珍しい、黒目黒髪の小柄な少女だった。どちらも相当整った顔立ちをしていて、自然と人目を引くものを持っている。
「まあ、一応。エルド国の勇者として、ここにいる」
少し低い声を意識して、答える。一応ここでは、男性として振る舞わなければならない。服も男性の正装姿だし、髪も装飾なしに括っている。
——最も、この2人にそんな偽装が必要かは、疑問だが。
「……日本の方、ではありませんか?」
緊張気味に尋ねてくるのは、少年の方。最初に話しかけたのも、この声だった。少女は未だ、怖々とこちらを伺うばかりで、話す余裕はなさそうだ。
「ああ。貴方達もか?」
頷くと、2人の表情が明るくなった。
「うわあ……! こんな事ってあるんだなあ。そう、俺達も日本の高校生。さっき彼女と話して、そうと分かったんだ。君も、容姿からもしかしたらと思って、話しかけたんだよ」
声を弾ませる少年は、そこで手を差し出してきた。
「俺、瀬野秀吾。高校2年生。同じ日本人のよしみで、よろしくな」
少し迷ったが、儀礼的に握手に応じる。先輩という事で、敬語に切り替えた。
「椎奈です。高校1年」
そう答えて、少女の方に視線を向ける。視線の意味を悟った少女が、おそるおそる口を開いた。
「……吉野真、です。あの……高校1年生です」
「同学年だな。敬語を使う必要は無い」
そう告げると、少女——吉野は、少し困った顔で首を振る。
「いえ……癖なので。気にしないで下さい」
「分かった」
強制するつもりはないので、直ぐに引き下がる。その時、少年——瀬野が軽く手を上げた。
「俺もイッコしか変わらないし、学校でもないし、タメで」
「タメ?」
聞き返すと、何故か戸惑ったような顔をされる。
「……ええと、敬語無しで」
「ああ、そういう事か。分かった」
その表情を不思議に思いつつ、頷く。旭や池上相手でもこの口調だ、問題はあるまい。
「よろしく。ところでさ、それ、食わないの?」
にこりと笑った瀬野は、ふと私の手元に視線を下げ、首を傾げた。視線の先には、持て余していた皿。半分以上食べ物が残っている。
「もう要らない。必要以上によそられて、困っていたところだ」
「大した量じゃないだろ? 勿体無いなあ……」
そう首を傾げる瀬野に、試しにと皿を差し出してみる。
「食べかけが気にならないなら、食べるか?」
「いいのか? じゃあ、遠慮無く。俺、あんま食えなかったから、腹減ってたんだ」
躊躇いもせず受け取り、少し離れた所にいた使用人からフォークを受け取ると、瀬野は食べ始めた。そのペースはかなり速い。言葉通り、お腹が空いていたようだ。
「あれだけ話しかけられれば、無理も無いだろうな。2人とも、護衛は?」
側に人がいない事を妙に思って尋ねる。安全上、私の側には常に誰かいる。それが必要かどうかはともかくとして、誰もいないというのは拙くないだろうか。
そう思って尋ねるも、瀬野は口に食べ物が入っていて、答えられる状態ではない。吉野に目で尋ねると、強張った表情で、一点に視線を向けた。
「あの……故郷の話をしたいからと、瀬野先輩がお願いしてくれまして」
彼女の視線の方向を見ると、銀に近いブロンドの髪を持つ神官らしき男と、同じく神官の格好をした金髪の少女が話をしていた。それぞれの護衛を務めている2人なのだろう、話をしながらも、意識はこちらに向けているようだ。
何となく、視線をホルンに向ける。険しい表情でそちらを睨んでいた彼女は、私の視線に気付いて首を振った。少し気になるが、後で詳しく聞くことにする。
「そうか、なら良い」
相槌を打った時、瀬野が顔を上げた。
「あー、美味かった。俺が召喚された国もそうだけど、城の食事って美味いよな」
満足げな言葉に視線を下げると、割と量があったはずの食事が、全て無くなっている。
「……早いな」
思わず漏らすと、瀬野は首を傾げた。
「そう? これくらい普通だと思うけど。俺の親友なんて運動部だから、倍は食べるよ」
とても想像出来ない。旭もそれなりに食べるが、瀬野程食べ物に執着していない。その倍となると、もはや理解の外だった。
「寧ろ、椎奈がどうしてそんなに食べないのかの方が、不思議だよ」
「私は普通。栄養バランスは守っているし、体調を崩した事も無い」
名か名字か分かりづらい名前を迷わず呼び捨てにされた事に少し驚きつつも、古宇田達にしたのと同じ説明を繰り返す。吉野が躊躇いがちに口を挟んできた。
「私には、少なく見えます……」
「私がどんな食生活を送ろうと、私の自由だろう」
「っ、はい、そうですよね。ごめんなさい」
別段口調をきつくした覚えもないが、吉野は怯えたように身を竦ませ、謝ってくる。
出会った当初の神門でも、まだましな反応だったように思う。どうやら吉野は、相当気が弱いらしい。
「女の子を怖がらせるなよ、椎奈」
だが瀬野には、こちらに非があるように見えたらしい。眉を下げた彼に、軽く詰られる。
「思った事を言ったまでだ。瀬野にあれこれ言われる筋合いは無い」
「なっ……」
言葉を詰まらせる彼を無視して、視線を会場の奥に向けた。丁度現れた人物は、流石に無視する訳にはいかない。
一拍置いて、場内が静まりかえった。何事か言いかけていた瀬野は、渋々口を閉じ、私の視線を追う。
獅子を思わせる金髪、威風堂々たる体躯。息子とよく似た瑠璃色の瞳を会場に巡らす様は、獲物を探す肉食獣そのままだった。
「各国の勇者の方々、良く来てくれた」
その人物——スーリィア国王の声が、会場中に響き渡る。拡声魔法を使っている訳でもないのに、その太い声は、一語一語、はっきり聞き取れた。
「総合闘技大会への参加に、改めて礼を言う。明日は選手登録と開会式のみだが、明後日から競技が始まる。それぞれがしのぎを削り、高みを目指す戦いを期待している」
月並みではあれど、国の頂点である男の言霊は、流石に重い。けれど、それにどこか歪みを感じて、無意識に顔を歪めた。
「だが、今宵は友好を深める時。魔王という共通の敵を倒す仲間として、存分に語り合って欲しい。それでは、宴を楽しんでくれ」
そう言葉を締めくくり、王は優雅に腰を下ろした。鳴り止んでいた音楽が再び奏でられ、会場は元の賑やかさを取り戻していく。
「あの人が、スーリィア国の王様か……」
ぽつりと落とされた言葉に妙なものを感じて、瀬野の方を見やる。僅かに眉を寄せた彼は、視線に気付いてこちらを見返した。
「結構優秀な王様らしいんだけど、ここ最近おかしいんだってさ。今までになく強引な手段を取るし、部下に対して厳しくなった。魔物が取り憑いてるんじゃないか、なんていう噂もあるくらいだ」
ね、と瀬野が吉野に声をかける。吉野もおずおずと頷き、周囲の視線を気にしつつ、小さな声で賛同した。
「護衛をしてくださっている方が言ってました。彼の動きや様子には気を配って、警戒しておけって……。この国が落ちたら、大混乱に陥るからと」
「…………」
無言で視線を玉座に向ける。先程の言霊と同じような歪みが、彼を取り巻いているのが視えた。
彼に不自然さを感じるのは事実だ。外者の彼等にそんな噂が届くからには、明確な異変が生じているのだろう。
——だが。
何かしらの意見を述べる事無く、控えていたホルンに目を向けた。
「ホルン。この場合、王に挨拶をするべきか?」
「いえ。城に世話になる訳でもなく、王子殿下に到着の挨拶は済ませております。シイナ様が、我が国とスーリィア国との良好な関係を保つのに協力なさるというのならともかく、義務はありません」
ここに居るのがホルンで良かったと思う。国への忠誠心は割合薄く、3人の中では私の立場を最も正確に理解している彼女は、隠し立ても誤魔化しもなく、はっきりと意見を述べる。
「そうか。なら帰るぞ」
「そうですね」
ホルンは頷き、ボローニとメイヒューに合図を送った。気付いた2人が、こちらに戻ってくる。
「……え、もう帰っちゃうのか?」
驚いた様に瞬く瀬野に向き直り、頷いた。
「ああ。元々私は城外に宿を取っているからな。そろそろ出ないと城門が閉じてしまう。そうなる前に、帰る」
「城外に……」
ぽつりと呟いたのは、吉野だ。神妙な表情で私を見る彼女にも頷いて見せ、瀬野に視線を戻す。
「それでは、ここで暇する」
「あ、ああ。じゃあ、明日の開会式で。試合で当たったら、よろしくな」
人当たりの良い笑顔を浮かべる彼にもう1度頷く。それ以上誰かに足止めされる前に、私は会場を去った。