到着
スーリィア国。
平地が多く、豊かな土壌に恵まれ、多様な農産物が生産される。加えて湖が存在し、農業のみならず漁業、運輸業が盛んなこの国は、産物を各国に輸出して多大な利益を上げている。
湖に面した南の地は商業都市となっており、湖や西門から様々な国の人がやってきて、常に賑わっている。
王城を東に構えた王都は商業都市と隣接しており、北に住む人々は商業都市と同じ西門を利用して、この街の出入りが出来るようになっている。
門での検閲の順番待ち中、メイヒューの説明と自身の知識を擦り合わせながら、私は王都へと入っていく馬車達を見るともなしに眺めていた。
ようやく、王都に辿り着いた。手前にあった小規模な町まで1度も宿に泊まれなかったのはまだ良いとして、予想外に旅の同行者を得る事となってしまったのは、今後を思うと頭が痛い。
馬車の前方に視線を向ける。目敏く視線に気付いた昴が振り返ろうとするのを、ボローニが慌てて引き留めた。
昴との契約後、主張通り昴に馬車を引いてもらう事となったのだが、ここで一悶着あった。
何せ、一角獣だ。馬車馬代わりに使うなど、本来は不敬極まりないし、何より目立つ。神獣が堂々と引いている馬車など、盗賊のカモにしかなり得ない。
それは昴の許可を得て幻術を掛け、普通の馬に見せる事で解決したのだが、最も大きな問題は、誰が手綱を持つか、だった。
今まで御者の役目を務めてきたのはボローニだが、基本一角獣は男性に懐かない。子供である昴も例外ではなく、最初はボローニが近づく事すら嫌がった。メイヒューやホルンにはある程度近付く事を許したが、触れるのは駄目だった。寧ろ、精霊魔術のみを扱うレーナの方が、昴には受け容れやすかったようだ。
となると、どうも納得出来ないのだが、最も懐く私に手綱を持ってほしいというのは、昴にとっては当然の感情だったのだ。
だがそれは、護衛役の3人が許さなかった。勇者である私に御者をさせるのはあり得ないと、彼らは強く主張した。
確かに、御者の位置は馬車の中よりも狙われやすく、危険も多い。彼等が渋るのは当然と言える。私はどちらでも良かったが、これから他国へと赴くのだから体裁は大事だ、と言われれば、大人しく引き下がる他ない。
しかし昴は酷く駄々を捏ね、一時話し合いは膠着した。
最終的には私が昴を宥めすかし、最初はメイヒューが手綱を握る事となった。理魔術の使い手であるホルンよりは、まだ相性が良かったらしい。ボローニは治療し終えた馬に乗り、治療を任せられる所に付くまで、馬車と併走していた。ケイの治癒魔術が優秀だった故、それが出来る程度には回復したのだ。
ようやく町に辿り着き、馬を預ける頃には、昴は完全に護衛達に慣れ、ある程度の世話焼きを許容するようになった。子供故、可愛がってくれる相手には懐きやすかったようだ。事ある毎に私にじゃれつこうとするのには、変わりなかったけれども。
けれど、流石は一角獣と言うべきか、昴は体力があるし、足も速い。お陰で、想定外の事態が続いたにも関わらず、予定通りに辿り着く事が出来た。
馬車がゆっくりと進み、止まった。ボローニの声と、緊張気味な若い男の声が聞こえてくる。国境を通った時の認可証を見せたのだろう、間もなく馬車は動きだし、王都の中へと入っていった。
人も馬車も通る道だ、今までのような速度で進むと危険である。ボローニはそれを心得ているし、昴も何となく察したのだろう、馬車は先程と比べ、幾分かゆっくりと進んでいった。
街の様子は、元居たエルド国の城下町と然程変わりない。中世のヨーロッパを彷彿とさせる街並みは、石材ばかりを使っているのが目に付いた。
もう1つ目に付くのは、あちこちに出ている山車だ。普段からあるようには見えないのは、そこに集まる人々の、どこか浮き立った空気のせいだろうか。
「流石に活気がありますね」
「総合闘技大会は、半ばお祭りと化しています。こうしてあちこちに山車が出るのは、商業都市が隣接しているこの街ならではですね」
視線に気付いたのか、メイヒュー、ホルンがそう言った。軽く頷きつつも、小さく息を吐き出す。
「……シイナ様、どうかなさいましたか?」
応対に違和感を感じたらしく、ホルンが首を傾げて問うてきた。僅かに躊躇い、首を振る。
「なんでもない」
ホルンはその返答に満足しなかったようだが、それ以上の追求はなかった。内心で安堵の息を漏らす。今はまだ、何も答えられない。
街は整備されていて、馬車が多く通る筈の石畳もあまり欠けていない。衛生観念もそれなりにあるらしく、中世ヨーロッパには付きものだったという悪臭もない。大通りを通る人々の表情は明るく、それなりに満ち足りた生活をしているのは明白。笑い声や商いの声が響く街は、エルド国よりも賑やかだ。
……それなのに、心が落ち着かない。
先程から、背筋に凝る何かが気になって、五感を介して伝えられるこの街の状況を、肯定できない。
勘と言うにも曖昧なその感覚がどうにも気に食わなくて、神経がささくれる。
——何かが、おかしい。
それだけが確かに分かる事で、苛立ちが込み上げてくる。
どうにも役に立たない自身の感覚に湧き上がるもどかしさを抑え、違和感の正体を求めて、馬車の外を眺め続けた。
手早く所用を済ませた後、言われていた通りに、王都の中心部へと向かった。
王都の中央にあるのは、大小の塔が目立つ石材の建築物。周りに比べると随分と背の高い建物は、この国の宗教の中枢であるヴェッリアーラ大聖堂だ。
石材特有の、白が特徴の建造物。事前に仕入れた情報によると、正面玄関を底辺とした、五角形の建物らしい。正面玄関の反対側の頂点には、最も高い塔。そこには、紅の炎が燃えさかっていた。
——エルドが信仰するのは、水の神霊。対して、スーリィアが信仰するのは、火の神霊。
神霊の加護の証なのだろうか、その炎は勢いを失う様子もなく、その威を示している。
——これも、何かがおかしい。
やはり感じる違和感に、自然と眉が寄る。だが、違和感の正体を探そうとするより先に、馬車のドアが開いた。
メイヒューに続いて馬車から降りると、偉丈夫の男性と目が合った。背中に届くほどの金髪を後ろで1つに括った彼は、何故かその深緑の目を軽く見張った後、表情を隠すように深く一礼した。
「エルド国の勇者様ですね? お待ちしておりました。私はシーグ=アレルド=ケネグ。エルド国の正騎士団長を勤めております」
スーリィア国には、国の依頼を最優先するものの、普段は自由に依頼を受ける冒険者達で構成された傭兵団と、正式に国の訓練を受け、城に仕える正騎士団がある。
前者は国籍も経歴も関係無く、実力さえあれば入れるが、後者は一定以上の身分が必要であり、常に己を磨き続ける事を求められるという。どこの騎士もそれは同じだが、努力している様子が無ければ、正騎士の資格を容易に剥奪されてしまう辺りが、特別厳しいと言える。
そんな、心技共にエリートである集団の長。立ち姿や気配から、それが偽りではないと分かるが、それ程の男が、わざわざ案内役など務めるだろうか。
「椎奈です。貴方が案内人ですか?」
そんな疑問を暗に込めつつそう尋ねると、ケネグは頭を上げ、はっきりと頷いた。
「私に敬語を使われる必要はございません。予定を押して訪れてくださったエルドの勇者様への敬意を示す為、私が赴くようにと、王太子殿下から仰せつかっております」
「……そうか」
王子の顔が頭に浮かぶ。エルド国を侮っていた彼が敬意を示すとは、何とも奇妙な話だ。
疑問が頭を過ぎったが、直ぐに打ち消す。どうせこの後顔を合わせるのだ、今ここで考える必要はあるまい。
「よろしく頼む。このまま王城へ向かうのか?」
「はい。シイナ様がいらっしゃった事で、全ての国の勇者様が揃われました。今夜、明日からの総合闘技大会の激励会を兼ねて、勇者様方の懇親会となるパーティを開く予定にございます」
ケネグのこの言葉に、所用を済ませておいて正解だったと知る。全く、余りに分かりやすい。
「それは、私も参加を?」
「ええ、差し支えなければ、是非」
「分かった」
頷き、ホルンに目配せをしてから、私は馬車に戻った。メイヒューとホルンが後に続き、ボローニとケネグは御者席に座る。昴がケネグに手綱を握らせるはずもない。ボローニがなにやら言い繕い、ケネグの案内の元、昴を再び走らせ始めた。
道中、他の建造物と比べて圧倒的に大きいドーム状のテントに、自然と目が引き寄せられる。
「あちらが、総合闘技大会の会場の1つとなります。もう1つは大聖堂を挟んだ反対側に位置しておりますが、シイナ様はこちらの会場で戦われることとなります」
御者席に腰掛けているケネグの説明に頷きを返しつつ、テントを観察する。
テントには、複数の魔法陣が視えた。テントの保護魔術に加え、防音や遮光も施されている。戦いで起こる騒音などの被害を軽減する為だろう。
そこまで視た時点で、テントの姿は馬車の幌に隠れてしまった。
「闘技大会についての説明は、明日の開会式で行われますから、その時に」
ケネグの言葉に再び頷き、ゆっくりと背を馬車に預けた。
東に面する城は、外敵を強く意識した造りだ。
高い城壁が幾重にも続き、所々に射撃、投擲用の小さな窓がある。四方にある石造りの塔は、その形状や位置から言って、まず間違いなく物見櫓だ。
複数の城門をくぐる間にも、あちらこちらに兵が見える。五角形の刺繍をした腕章以外、装いが統一されていない所を見ると、傭兵なのだろう。
ようやく辿り着いた城の外見も、豪奢というより堅牢という言葉が相応しい。遠くから狙われる事を警戒しての事なのだろう、然程高さはない。
けれどよく見れば、所々に王家の紋章らしき彫刻はあるし、左右対称な中庭の芝生は綺麗に整えられ、中央には純白の石で作られた噴水がある。王宮としての見栄も忘れていないようだ。
馬車を降り——昴はなんとか宥めすかし、ボローニと共に残らせた——、メイヒューとホルンを連れて城内に入る。
外観とは一転して、中は随分ときらびやかだった。天井のタペストリ、所々に金や銀を使った壁紙、飾られている絵画。一般人である私からすればうんざりする程に、装飾があちらこちらに施されている。
貿易で様々な物が入ってくるからだろう、室内の物はどこか統一性がなく、騒がしい印象を与える。個人的には、派手派手しくも意匠は単調と言える程だったエルドの方が、まだましだ。
城内の様子にやや辟易しながら連れて行かれた小さな部屋には、両手を広げ、歓迎の意を表す王子が待っていた。
「おお、シイナ様。良く来て下さりました」
「いえ。こちらこそ、遅くなりまして」
相手の身分に合わせ、丁寧に一礼する。いつも下ろしていた髪は、旅の間は常にひとくくりにしている。その為、普段ならば視界を塞がれる動作をしたのに、相手の姿がよく見えた。
瑠璃を思わせる青い瞳、光を受けて輝く金髪。顔立ちは上品さが目立つが、表情から抜け目のない性格を窺わせる。今も、にこやかに歓迎している風を装いつつ、探るような色を目に宿していた。
「お待ちしておりました。エルド国経由で魔物の大群と遭遇したという連絡を受け、背筋が冷える思いでしたよ。あの魔物達を無傷で倒すとは、勇者の名は伊達ではありませんね」
侮っていた相手が、予想外の力を有していた。そんな警戒心を肌で感じつつ、些末な事だと肩をすくめてみせる。
「相性が良かっただけです。それにしても、数が増えているようですね。あの様子だと、被害も拡大しているのでは?」
「ええ、陛下も頭を抱えております。我が国は戦力が多いので、多少魔物が増えた所でどうという事も無いのですが、あれ程増えると、どうしても……」
眉を下げ、心底参ったという様子で首を振る王子。その様子をじっと見つめていると、王子は直ぐに笑顔に戻った。
「ああ、失礼。客人を前にしてする話ではありませんね。シーグからお聞きでしょうが、今宵勇者様方の懇親会を行います。闘技大会で剣を交える相手であり、魔王を宿敵とする同士です。友好を深めるのは大事でしょう。シイナ様も、是非ご参加頂きたく思います」
「ええ、招待を受けさせて頂きます」
頷くと、王子は安堵したように表情を緩ませる。
「着いたばかりでお疲れでしょうが、お楽しみ頂けるかと。それでは部屋に案内させますので、時間までおくつろぎ下さい」
「その事ですが」
そう言ってケネグに目配せする王子を、声をかけることで制する。
「どうかなさいましたか?」
一転して不思議そうな顔つきの王子に、淡々と告げた。
「宿は王都の方に取りましたので、こちらにはお世話になりません。私は庶民ですので、王城での歓待に慣れていなくて」
真っ直ぐ約束の場所に行かなかった理由がこれだ。おそらく王子はこちらを迎える準備をしているだろうと、予測は付いていた。直ぐに王城へ向かえば、なし崩しに泊まる事になるだろうという事も、また。
今日開かれるパーティはおそらく、準備や身支度のあれこれをここで行って、そのままその部屋を使ってもらおうという狙いがあったに違いない。
「ですが……この城は、日が変わる頃には門を閉じます。パーティは遅くまで続くでしょうし……」
王子のこの言葉からも、パーティに足止めの意図があるのは明白だ。
「それなら、門を閉じる前にお暇します。申し訳ありませんが、宿の手続きを済ませておりますし、今から断るわけにもいきませんので」
引き下がる気はさらさら無かった。エルドの城にはなんとか慣れたが、あの場所よりも尚きらびやかな場所でくつろげる筈もなし。
——第一、敵かもしれないものがいる場所で寝食を行うなど、とても出来ない。
こうして視ても、王子の様子や気配に、不自然なものはない。けれど、異様に気配の薄い彼を、白と断ずることはありえない。
「……分かりました。それでは、パーティの準備の間だけでも、部屋をご利用下さい」
「そうさせていただきます」
渋々頷く王子に一礼して見せ、ケネグの後に続き、部屋へと向かった。