*魔王様は*
大変、大っ変! お待たせいたしました!!!
ふう、と溜息をついて、魔術書から顔を上げる。窓の外は既に暗くて、いつの間にかこんな時間になってたんだ、と驚いた。
「わ、もう夜じゃん……」
思わず呟くと、隣で同じく魔術書を読んでいた詩緒里と、奥で魔法陣を試していた旭先輩が、同時に窓を見た。
「本当だ。気付かなかった……良い事、なのかな?」
「ううん、ご飯の時間を忘れかけてた事は良くない事だと思う」
「……里菜、そればっかだね」
苦笑する詩緒里に失礼な、と顔を顰めて見せてから、旭先輩を振り返る。視線の意味を理解した先輩が、口を開いた。
「先に戻って食べていろ」
「はい」
多分、まだ魔法陣の実験が終わっていないのだろう。動く様子のない旭先輩にそう当たりを付けて、頷く。
「いこ、詩緒里」
「うん」
少しだけ残念そうな詩緒里と一緒に、自分達の部屋へと戻る。毎日通っている道だから、ぼうっと歩いていても、もう迷わないと思う。
「でも、ぼうっとしてちゃ駄目なんだよねー」
「まだ慣れないね。1週間だし、しょうがないけれど」
言い合いながらも、うろうろと周りを見回したまま。主に魔力を意識をしながら、慎重に帰ってゆく。
誰にも会う事無く部屋に辿り着いて、思わずふーっと息を吐き出す。それを見たサーシャさんが、困ったような顔で笑った。
「お帰りなさいませ、リナ様、シオリ様。直ぐにお食事になさいますか?」
「サーシャさん、敬語ー」
やめてって言ったじゃんと口を尖らせてみれば、「失礼しました」と一礼してから、にこりと笑う。
「食事の準備は出来ていますよ、どうぞ」
「ありがとう!」
礼を言ってから、いそいそと席に着く。詩緒里も笑いながら、同じく席に着いた。
「今日は誰にも会わなかったようですね」
「はい。もうなんか、肝試しみたいな気分」
「肝試し、ですか?」
不思議そうに首を傾げたサーシャさんに説明すると、クスクスと笑いだした。
「え、変かなあ?」
「いいえ。リナ様が彼等にどういう感情を抱いているか、とても分かりやすい例えだったので、つい」
「うん、お化け役扱いだもんね」
詩緒里までそういう事を言う。だって、本当にどきどきするじゃない。
椎奈が出発した次の日には、旭先輩が言っていた事を、嫌になる程理解した。椎奈はほんっとうに気を遣ってくれてたんだなあと、しみじみ思ったものだ。
椎奈が出発した日のお昼。遅れるなとばかりに貴族達からお茶とか夜会のお誘いが来た。直ぐに断ったけど、それで諦めてはくれなくて。
そこから丸1日、あれこれ用事や訓練の為にお城を歩いていると、後から後から貴族が話しかけてくる。明らかに媚を売ってきたり、話をしようとしたり。旭先輩が一言で断ったり無視したりと、実に素っ気なくあしらっても、ちっともめげないのだから、ある意味凄い。
それからもずっとそう。断ったり無視したりする間に結構諦めてくれたけど、まだ時々にょきっと現れたりするから、心臓に悪い。
今まで1度も近寄ってこなかったのに今はしつこくやってくる理由って、やっぱり手を回してくれてた椎奈がいない事だと思う。……どうやってたのかは、全然分かんないけど。
「アサヒ様は、まだ戻られませんか?」
「うん、まだ魔術試してました」
そう答えると、サーシャさんは軽く頷いた。
椎奈はあれこれやってくれた代わりに、私達の行動をかなり強く制限していた。練習の時間とか、内容まで全て決めていた。
それと比べて、旭先輩は、私達のやる事に全く干渉しない。剣術を中心にやるか、魔術を中心にやるか。内容も限度も自分で決める。旭先輩は、質問に答えて、手が空いている時に頼めば教えてくれるだけだ。
『俺は2人に常時目をかけながら自分の事をやる余裕はない。自分の事は自分が1番分かっているはずだ、全て自分の責任で行動しろ』
椎奈がいなくなった夜、言われた言葉だ。椎奈のようにあれこれ世話を焼く気は無いと、その場で宣言された。
そして、その言葉は徹底された。最初の日は、貴族の事を知らない私達の為か、ずっと側にいてくれたけど、次の日からは用事が合わない限り、一緒に行動しない。私達のやり方に一切口を出さない代わりに、困っても怪我しても自己責任。貴族に揚げ足取りのようなやりとりで騙されかけても、椎奈のように脅して庇う事もしない。サーシャさんにもそれを守るように言ったらしい。
じゃあと自分なりにやってみたその日の夕方、方針の差による違いをきっちり味わった。魔術の練習中に、魔力の使い過ぎで倒れかけたのだ。
あの時はきつかった。身体が重いし、妙に眠い。頭が何だかふわふわして、考える事が出来ない。魔力切れ特有の症状らしいんだけど、アレはもう2度と味わいたくない。椎奈が厳しく魔力の使用を制限した訳を身をもって知った。
そしてそんな時でも、旭先輩はふらふら歩く私を労る事もなければ、そんな状況の私に話しかけてくる魔導師のメレリさんとのやりとりにも口出ししなかった。詩緒里が助けてくれなかったら、途中でぱったり倒れるか、あのままメレリさんと変な約束してたと思う。
……その後話を聞いたユウとミキにお説教されたのは、一生忘れられない思い出となっている。あれから、物凄く魔力量に気を遣うようになった。
あの時のお説教を思い出してつい遠い目になっていると、サーシャさんが不意に顔を上げた。そこに訝しげな色と緊張が見えて、ぱっと視線を追う。
視線の先、扉の向こうに、知らない魔力を感じた。その魔力の持ち主らしい人が、扉をノックする。
思わず、ぎゅっと眉を寄せた。まさかと思うけど——
そのまさかだった。サーシャさんがすっと扉に歩み寄り、開けると、貴族の豪華な服を纏ったおじさんが、ニコニコと笑顔を浮かべて立っていた。
「初めまして、勇者様方。わたくし、リード子爵と申します。どうぞ御見知り置き下さい」
「どのような御用でしょうか、子爵」
サーシャさんが冷静な声で尋ねると、リード子爵という人は一瞬だけ笑顔を曇らせたけど、直ぐに笑顔に戻って頷く。
「いや、この国を守って頂く勇者様に、今まで感謝を示す事も出来ませんでしたからな。皆様お忙しい様でなかなかお目に掛かれませんが、偶然おふたりがお部屋に向かわれる所を拝見したもので」
「偶然、ですか」
静かな声に横を見ると、詩緒里が真っ直ぐリード子爵を見つめていた。
「私達の通った道は、子爵が通る道とは随分離れている筈ですが。子爵の働く場所は、そもそも階が違うでしょう。どのような「偶然」で、こちらの階に来たのですか」
詩緒里は記憶力が良いというか、細かい所に良く気付く。言われてみれば、貴族さんが騎士や魔術師の訓練所に近いこの場所に来る機会なんて、そう無い。
「それは、そう、少し魔術師に用がありましてな。相談に来たのですよ」
「どのような御用でしょうか。魔術師達には知己も多いですし、よろしければ口利き致しますが」
今度はサーシャさんの追求。魔術師であるサーシャさんの前で選んだ理由がまずおかしいよね、表情も焦ってるもんなあ。
そう思いつつ、私もと口を開く。
「それに、今は椎奈も旭先輩もいません。スーリィア国にいる椎奈はともかく、旭先輩がいない時に来ても、きちんと感謝を示せないのではないですか?」
きっとこの人、旭先輩がいない時を狙ったんだと思う。こっそり様子を伺って、私達だけが部屋にいるタイミングを狙ったのが見え見えだ。
「旭先輩もそのうち戻って来ると思いますけど。私達これから食事ですし、全員が食事終わってからでは時間が遅いです。明日にでも都合を聞いて下さい」
私がそう告げると、子爵はちょっと顔を顰めた。うん、聞いても教えないよ。プライバシーの権利って、私達には常識だし。
「……そうですね、また後ほど感謝の言葉を申しに伺います。けれどよろしければ、おふたりにお話があるのですが」
「……何ですか」
ちょっと低い声が出る。私さっき、今からご飯って言ったよね。こっちは丸1日訓練頑張ってお腹空いてるんだけど、気にしてくれないのかなあ。
空気の読めない子爵——もうおじさんでいいや——は、にこりと笑って話し出した。
「娘はおふたりと同じ年頃でして。今度娘が友人を招いてパーティを開くので、おふたりもいかがですか? 訓練ばかり頑張っていらっしゃるそうですが、たまには同年代の人とゆっくり談笑するのも悪くないかと」
「…………」
咄嗟に声に出しそうになった怒鳴り声を、ギリギリで心の中に押しとどめた。
貴方が私達に、それを言うんだ!?
誰のせいでクラスメイトに会えないのか。誰のせいで雑談も滅多にせずに訓練しているのか。全て、この国の人達が、私達を勇者にしたからじゃないか。
椎奈なんて、危ないのに、1人、戦いに出かけているのに……!
見れば詩緒里も、静かな表情なのに、雰囲気が怖い。そりゃあそうだよ、詩緒里だって私だって、こんな無神経な言葉、腹が立つに決まっている。
「悪くない話でしょう? 少しの時間でも良いですし、娘達も喜び——」
「帰って下さい」
駄目だ、お腹空いてるからか、我慢できない。刺々しい声を出しても良い事無いって、学んだんだけど。
「え?」
間抜けた顔のおじさんに、苛立ちを隠さずに言った。
「帰って下さい。私達、今から食事なんです」
「……分かりました。それでは、パーティの時にお会い——」
「パーティーも行きません。とにかく、もう関わらないで下さい」
ちゃかりパーティに行くのをOKした事にしようとするおじさんの言葉を遮って、力一杯拒絶の言葉を突きつける。流石にむっとした顔のおじさんが、嫌み臭い言葉を放った。
「随分と従順ですな。接触を禁じるとは、君達の主は——」
「主?」
抑揚のない、けれど疑問に思っているのははっきりと分かる低い声に、おじさんは文字通り飛び上がる。
「古宇田と神門に主はいない。王の事を言っているのならば、俺達はこの国に服従しているわけではないと、王に改めて告げておこう」
おじさんの真後ろに立っていた旭先輩が、あくまでも淡々と言う。えげつない脅しに、おじさんは蒼白になった。
「何故陛下に……っ」
「貴族の見解は国の見解、国の見解は王の見解だ。子爵である貴様がそう思っているのならば、王に事情を聞くのは道理」
さらりと答える旭先輩。おじさん、相手が悪いって。貴方の目の前にいるの、「魔王」だよ?
元々学校でも大人相手だろうと言い負かしていた先輩の弁論は、この程度の貴族にはまず通用しない。おじさんに出来る事は、たった1つだ。
「……失言でした。謝罪いたします」
「古宇田は、出て行けと行った。その言葉を無視して侮辱し、俺には謝罪か」
その言葉に思わず詩緒里と顔を見合わせたけれど、おじさんは気付かなかったらしい。慌てた様子で私達に頭を下げて、逃げるように部屋を出て行った。
「……旭先輩、いつからいたんですか?」
「子爵が、パーティがどうのと言っていた時だ」
それだけ言うと、旭先輩は詩緒里の隣に腰を下ろす。途端詩緒里が緊張しだしたけど、私はただ不思議に思うばかりだった。
椎奈がいた間は、全然気付かなかった事。時々、本当に時々感じるだけの、疑問なんだけど。旭先輩って、偶に妙に影が薄い。いや、先輩には物凄く似合わない言葉だけど、でも本当にそうなんだからしょうがない。
練習の時、夜部屋にいる時。ふとした瞬間に、旭先輩がどこにいるのか、急に分からなくなる。質問とかの為に探そうとすると、一瞬、誰を探そうとしているのか、分からなくなる。いる筈のない人を探そうとしているみたいで、どきっとするのだけど。
この事は、詩緒里には相談していない。好きな人の事をそんな風に言われたら、嫌だろうし。前にユウとイラに相談してみたんだけど、ユウもイラも曖昧に言葉を濁して、何も教えてくれなかった。何か知ってる感じだったけど……。
もやもやとした疑問が落ち着かなくて、けれど何だか聞きづらいから、そのままにしている。
「それから、先程のリード子爵だが、娘に関わる気はあるか」
顔を顰めたその時、旭先輩にいきなりそう聞かれた。迷わず即答する。
「いえ全く。何でですか?」
そもそもあのおじさんに関係する人だし、会うつもりは無い。けど、旭先輩が私達の行動について尋ねてきたのが意外だ。どうしたんだろう?
「娘は夜遅くに平然と薄着で現れて人気の無い部屋に誘い込むような、常識も羞恥心もない女だから、関わらない方が身の為だ、と忠告すべきだと判断した」
「……ソウデスカ」
全く知らなかったけど、旭先輩には、小説なら笑い話な状況がマジで起こっているみたい。優秀だし、引き留めるのに手段は選ばないっていうのは分かるけど、椎奈がいるのになあ。
「先輩、大変ですね」
詩緒里が心配げかつちょっと怒ったような声でそう言うと、旭先輩は軽く肩をすくめた。
「貴族の女は貞操観念が基本だと認識していたが、誘ってきた女共は全員手慣れているように見えた。雄が雌を見て発情する以上はそれなりに有効な手段だからこそ、彼女達は身に付けているのだろうな」
……ハイ。旭先輩は、ほんっとうに言葉に情け容赦の無い魔王様ですね。