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契約

「……シイナ様」


 ふとその時、ホルンに声をかけられる。振り返ると、曖昧な表情をしたホルンが、私を見つめていた。


「……古来より、一角獣は誇り高き種族として、森の奥に住まい、人間の干渉を避けてきました。彼等の角や毛は、魔法具などとして非常に強い効果を発する為、密漁を試みる者は多けれど、全て半殺しにされて追い返されてきました。……誰もが美しい姿に侮り、その獰猛さを忘れてしまうが故に」


「……急にどうした?」

 既知の知識を滔々と述べだしたホルンに、怪訝な思いを抱き問い返す。


 自分の中にある考えを確認するように、彼女は続けた。


「彼等が人に従うのは、世界がそうあれと意思持ちし刻——古い文献で、そう書かれていました。子供とはいえ、シイナ様と契約を望むからには、それは深い意味を持つのではないでしょうか」


「……それは、本気で言っているのか?」

 無意識のうちに声が低くなる。彼女は、私がこの世界に永住する身ではないと知っているのだ。とても正気の沙汰とは思えない提案だが、ホルンの表情は飽くまで真剣だった。


「シイナ様の御懸念も分かりますが、今回の事態は今までとは異なります。この世界のものを少しでも味方に出来るのならば、一時的なものでも、契約は悪くないかと存じます」

「……仮契約、か」


 一時的な契約——仮契約は、魔力での繋がりだけを共有する簡単なものだ。名と体の1部——血や髪などが一般的だ——を与えて、生涯仕える事を誓う本契約とは異なり、簡易なもの。互いに負荷も少なく、途中で契約を解く事も出来る。



 だが。



「断る。私は今までも、そしてこれからも、契約を結ぶ気は無い。どんな形でも、だ」

 はっきりと意志を告げる。これは、私の生筋とも言える意思だ。



 ——誰とも、何とも関わらず、近寄らない。


 己の罪深さを知ったあの瞬間から、私は独りで生きていくと決めた。


 それが己の首を絞める事になろうとも、意志を曲げるつもりはない。



 絶対に譲らないと悟ったのか、ホルンが息を吐きだし、引き下がる。


 けれどそこで、ボローニがおそるおそる口を挟んだ。

「……しかし、ですね。そうなると我々は徒歩で移動する事になります。闘技大会に間に合いません」

「街まで行けば、馬くらい融通出来るだろう。それまでは、申し訳ないが彼等に世話になろう」


 そう言ってジャンに目を向けると、彼は困ったように首を傾げた。

「うーん、そうしても良いけど……急ぐんだろ? これだけ人がいると、結構時間かかるよ」


 そう言われて、黙り込む。闘技大会まで、時間は無い。準備がいろいろあったから、かなりきつい旅程を組んでいる。足を奪われるとは、少し迂闊だった。


「だからさ、せめて馬を買うまででも、お願いしたら? 折角名乗り出てくれてるんだし」

「…………」

 彼が言っている事は、正しい。こちらの都合を考えても、それが最も良い方法だというのは、頭が理解している。


 けれど、だからといって主義を変えられるかと言うと、それはまた別問題だ。



 黙り込む私の葛藤を察したのか、冒険者のグループは口を閉じた。けれど、この場にいる誰もが、契約を薦めている事は明らかだ。



 ……どうすれば良いか迷うなんて、いつ以来だろうか。



 目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をする。脳に酸素をしっかり送り込んでから、妥協点を見つけ出す。


 ——旭のように冷静に、感情を排して、最適な方法を。



 ゆっくりと目を開け、顔を上げる。一角獣と目が合った。空色の目に、静かに伝える。



「私は、お前と契約する事は出来ない」



 透き通るようではっきりと色を映し出す瞳が、曇る。



「……けれど、少しだけ、力を貸してくれないか?」



 再び項垂れかけていた一角獣の顔が、上がる。周囲の視線が集まっている事を感じつつ、言葉を重ねた。



「私は、お前の身を保証する。聖域へと寄り道するのは難しいから、次の街で馬を買ったら、ギルドなりに連絡を取り、お前を無事帰すように依頼する。お前は私達を、街まで連れて行く。契約ではなく、取引だから、それ以上の事はしないし、しなくて良い。……悪くはないと思うが、どうだ?」



 出来れば側に置くのも気が進まないが、背に腹は代えられない。戦闘時には結界を張り、この神獣をしっかり守ろう。術師としてではなく、巫女として結界を張れば、何とかなるはずだ。


 問題は、この様な形で人に従うような真似を、この誇り高い神獣が許容するかどうか。



 やや不安に思いつつ、その瞳を伺おうとした瞬間、目の前の神獣が唐突に動いた。余りに近かった故に、何も出来ずに押し倒される。


「っ、おい!」


 慌てて体勢を整えようとしたが、それより早く、また顔を舐められる。どうやらこれはかの生き物なりの感情表現らしいが、やられる側はたまったものではない。潰されるような体勢で抵抗も出来ないのは、些か心臓に悪かった。


 再び霊力を解放して、軽く脅してでものけようとしたとき、ふと顔が遠ざかった。それを疑問に思う間もなく、左手にちりっと痛みが走る。続いて、体重が取り除かれた。


 慌てて身を起こすと、一角獣は私の手の甲を舐めた。繰り返し舐めるその舌は、手からこぼれ落ちる赤いものを掬っていて——



「……なっ!」


 その意味に気付いたときには、もう手遅れだった。声を上げると一角獣は顔を上げたが、どこか勝ち誇ったように近寄り、私の目の前で脚を折った。そのまま、甘えるように顔をすり寄せてくる。



「……言われなくても分かるみたいだけど。血を舐められちゃった以上、ちゃんと本契約しないと、その子の為にならないよ」

 おずおずとケイがいう事は、紛れもない事実だった。契約の途中破棄は、契約を始めた側に返るのだから。


「この、馬鹿…………」

 頭を抱えたい気分だったが、そんな事をしても現実は変わらない。


 人生でも指折りではないかと思えるほどの、大きな溜息をついた。まあどうせ、化け物の主義主張など、神獣の気まぐれと天秤に乗せたら、傾く側は決まっている。



 ——後で神に相談してみよう。この神獣にかかるだろう負荷を、私が肩代わりする方法を。



「……意図せずとはいえ血を与えたから、後は名前か」

 異世界の神獣に名を与える機会を与えられるとは夢にも思わなかった。さて、どんな名を付ければ良いのか。


 占具があれば、ある程度相応しい名を選び出す事が出来たのだけれど。今の自分には、直感というあやふやなものしか無い。



 ——ただでさえ、名を与えるというのはかなり重大な事で、絶対に私に許されてはならないと思っていた、のに。



 躊躇いと己の失態への苛立ちを抑え、一角獣と目を合わせる。その身に相応しい名。契約主と認められるだけの力を持った名を、心に浮かび上がらせる。



 青い瞳と真っ直ぐに向き合う。その青は、どこまでも突き抜けていくような、果てしなく広がっていく、美しい空の色を映し出していて。



 空の色。青。



 ——声が、蘇った。



『こんな美しい空の色を、蒼穹って言うんじゃぞ。ほれ、あの蒼穹に輝いておるのは——』

「——昴」



 言葉がこぼれでた。直ぐに、こんな容易な名前を口にしてしまった愚かさに、心底慌てた。


「あ、いや、今のは……」

 直ぐに無かった事にしようとしたのだが、手遅れだった。蒼穹の瞳が見開かれ、喜びに輝く。



 刹那、体から霊力が流れ出ていき、同時に、神聖な力が流れ込んでいく。


 一角獣が纏う白銀色の光が広がり、柔らかく包み込んだ。



「……気に入ったのか?」

 あんな名前を付けてしまう己の感性の無さに辟易しつつ、契約により生まれた力の繋がりを、身に受け容れた。力の流れが収まるのと共に、光も収まっていく。



 やがて、光が消える。それは同時に、契約の完了を示していた。


 不思議な余韻がその場を満たしていた。どこか厳かな神聖さに、誰もが心奪われ、その心地よさに浸る。



 ざらりとした温かいものが頬に触れ、我に返った。契約をすませた一角獣——昴を軽く撫で、立ち上がる。


「……行くぞ」

 護衛達に声をかける。それを切欠に、静止していた刻が、緩やかに流れ出した。


「はい、直ちに準備いたします」

 慌てて動き出した護衛達を目で見送り、ジャンに話しかける。


「ではな。彼等の事は、頼んだ」

「ああ、ありがとな。じゃあ、俺達も行こう」


 彼が頷いて仲間に声をかける。ジャンがケイと協力して拘束した護衛達を商人とは別の馬車に押し込んでいる間に、レーナに小さな声で話しかけられる。

「勇者の方だったのですね」

「一応、そう呼ばれているな」


 肩をすくめると、レーナは丁寧に一礼した。


「改めて、協力に感謝を。私達では、そちらの神獣を正しく丁重に扱えたか、やや怪しかったものですから」

「こちらとしては、礼を言われる事でもない。そもそも、こいつと契約したと聞いたら、そちらの依頼主はいい顔をしないだろうし」

「そんな事はどうでも良いのです。相応しい方が、相応しい相手と契約を交わしただけなのですから」


 そこで言葉を句切り、レーナは不意に笑みを見せた。不敵で、好戦的なそれに、自然と身が引き締まる。


「実は私達も、総合闘技大会に参加する予定なのです。今年のルールをまだ知りませんから分かりませんが、もしぶつかったときは宜しくお願いします」

「こちらこそ」


 自然と手を差し出す。その手を握り、レーナは再びにこりと笑った。


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