普通の価値
僕には、生まれたときから父親がいない。
母からは『交通事故で亡くなった』としか聞いていなかった。
小さい頃は、居ないのが当たり前だったし、何より周と変わらない家庭環境だと思っていた。
僕の母は自分の店を経営していた。フレンチレストランのシェフとして。
そんなに大きい店じゃないけど、母は一人でその店を切り盛りしていた。
料理を作って、提供して。
だから、同時に接客できるお客さんは2組がやっと。
それ以上の予約も、もちろん予約なしで来た3組目以降のお客さんにはお断りすることもあった。
お店も、僕がまだ小さいときは早い時間で締めることもあった。
病気の時は休みにしたこともある。
今思うと、その時入っていた予約を、どうやって断ったのだろうと思う。
きっと怒った人だっていたに違いない。
だけど、そんな母の葛藤に気付かないほどに、熱を出した僕のことを心配してくれていた。
幼い僕はただ、母がそばにいてくれることがうれしく感じていた気がする。
でも、13歳くらいだっただろうか。中学生になったとき、この『周りと変わらない』ということが、
どれだけ特別だったかというこがわかった。
母が手術することになった。なにやら婦人系の病気ということで、詳しいことがよくわからないし、
母も教えてくれない。
ただ、入院は一週間程度。帰ってからもすこし療養が必要だということだった。
「ノア、とりあえず、なにはともかく食べることだけしっかりね。困ったことはお隣にお願いできるように言っておいたから」
この時の母の顔にはあまり余裕がなかったと、今は思う。
僕が少し大人になってたから「大丈夫。できる」と思ったのか、それとも、それくらい余裕のない深刻な事態だったのか。
今でもわからない。
だけど、その時まで、家でやることがこんなに多いなんて知らなかった。
ご飯の用意、洗濯、食器の片づけ、買い物。これだけでも、すべてが何がなんだかわからなかった。
言い換えれば新鮮だったのかもしれないが、そんな気持ちになる余裕なんてなかった。
その時、自分の『周りと変わらない』は、母が作ってくれていたものだという事を、まだ未熟ながらに強く思った。
仕事から帰ってきて、家事をやって、朝早くからレストランの仕込みをして…。
見ていたはずなのに、あまりの当たり前のことに、きっと麻痺してしまっていた。
自分の能天気さに、ほとほと呆れてしまった。
その時から「これからは母を支えよう」と、心のどこかのスイッチがカチッと入った気がした。




