第八話
「黒き剣聖……ギデオン・ラグナロック……!」
騎士団長が震える声でその名を呼ぶと、場は凍りついたような静寂に包まれた。
無理もない。
ギデオン様は、たった一人で国を滅ぼせるほどの力を持つ、生ける伝説なのだから。
「ひ、人違いだ! そのような英雄が、こんなダンジョンの奥底にいるはずがない!」
アレクセイ殿下が、顔を引きつらせながら否定する。
けれど、その足はガクガクと震え、後ずさりしている。
本能が理解しているのだ。
目の前の男が、自分たちとは次元の違う捕食者であることを。
「俺が偽物だと思うなら、試してみるか?」
ギデオン様が、スッと人差し指を上げた。
ただそれだけの動作なのに、騎士たちが「ヒッ」と悲鳴を上げて一斉に構える。
「……まあまあ、ギデオン様。せっかくのティータイムが台無しですわ」
私はギデオン様の腕に手を添えて、なだめた。
ここで彼らを全滅させるのは簡単だ。
でも、それでは面白くない。
私の復讐は、彼らに「私がいないとどれだけ損をするか」を骨の髄まで理解させることなのだから。
「殿下、そしてミシャ様。お腹が空いているのでしょう? 特別に、私たちの夕食をお見せしましょうか」
「ゆ、夕食だと……?」
「ええ。ちょうど今から、メインディッシュを焼こうと思っていたところなんです」
私はエントランスに設置した移動式の魔石コンロに火を入れた。
そして、亜空間収納(ギデオン様から借りた魔法の鞄)から、とっておきの食材を取り出した。
ドサッ。
重厚な音と共にテーブルに置かれたのは、巨大な肉塊だった。
美しい霜降りの赤身。
表面にはうっすらと黄金色の粒子が輝いている。
「な、なんだその肉は……牛か?」
アレクセイ殿下が、空腹のあまりよだれを垂らしそうな顔で食いつく。
「いいえ。これは昨日、ギデオン様が狩ってきてくださった『フレイム・エンペラー・ドラゴン(炎帝竜)』のテール肉です」
「ド、ドラゴンだと!?」
「はい。その中でも特に脂が乗っていて、希少な部位です」
私はニッコリと笑い、調理を開始した。
熱した厚手の鉄板に、牛脂ならぬ『ミノタウロスの背脂』を引く。
溶けた脂が透明になり、甘い香りを漂わせる。
そこに、分厚くカットしたドラゴンのステーキ肉を乗せる。
ジュウウウウウウウウッ!!
爆発的な音が響き渡った。
肉が焼ける音。それは全人類共通の、抗いがたい誘惑の音色だ。
「っ……!」
騎士たちが一斉に喉を鳴らした。
アレクセイ殿下もミシャ様も、目が釘付けだ。
ドラゴンの肉は、加熱することでその真価を発揮する。
内包された魔力が旨味成分へと変わり、濃厚な肉汁となって表面に滲み出てくるのだ。
私はそこに、刻んだ『キング・ガーリック』と『オニオン・スライムの涙(玉ねぎエキス)』をたっぷりと投入する。
ジュワァァァッ!
ガーリックの香ばしい匂いと、焦げた醤油のような香りが混ざり合う。
いわゆる、シャリアピンソース風の味付けだ。
この匂いを嗅いで、平気でいられる人間はいない。
「……いい匂いだ」
ギデオン様が私の隣で、わざとらしく大きな声で言った。
「ロザリアの焼くドラゴンステーキは世界一だ。外はカリッと、中はとろけるように柔らかい。噛めば極上の脂が溢れ出し、飲み込むのが惜しいほどだ」
「や、やめろ……その説明はやめろぉぉ!」
アレクセイ殿下が頭を抱えて叫んだ。
王宮での泥のような食事と、数日間の絶食。
今の彼にとって、この光景は拷問以外の何物でもない。
「あ、あら! 騙されてはいけませんわ、アレクセイ様!」
その時、ミシャ様が金切り声を上げた。
彼女はハンカチで鼻を押さえ、軽蔑したような目で私と肉を交互に見た。
「魔物の肉ですって!? 信じられませんわ! そんな汚らわしいもの、人間の食べるものではありません! きっと毒が入っています! あるいは呪われて、食べた瞬間に魔物になってしまいますわ!」
彼女の言葉に、動揺した騎士たちがざわつく。
確かに、一般常識では魔物は「不味い」「毒がある」とされている。
私の【直感調理】による適切な下処理を知らなければ、そう思うのも無理はない。
「ロザリアさんは、私たちに毒を食べさせて殺そうとしているんです! なんて恐ろしい悪女なのでしょう!」
ミシャ様はここぞとばかりに私を指差した。
そして、ふんっと胸を張る。
「ですが、安心してくださいませ。聖女であるこの私が、その汚れた肉を『浄化』して差し上げますわ!」
「おぉ、聖女様の浄化!」
「それなら安全に食べられるのか!?」
騎士たちが期待の眼差しを向ける。
ミシャ様は得意げに肉の前に進み出ると、大仰なポーズで手をかざした。
「聖なる光よ! 穢れし魔物の肉を浄化し、我らの糧としたまえ! ピュリフィケーション!」
彼女の手から、パラパラと微弱な光の粉が舞った。
キラキラと綺麗だが、それだけだ。
ただの演出用魔法。
当然、鉄板の上のドラゴンステーキには何の変化もない。
いや、むしろ焼き加減がちょうどよくなってきた。
「……あれ?」
ミシャ様が焦ったように何度も手を振る。
「おかしいですわね……穢れが強すぎるのかしら? えいっ、えいっ!」
必死に手を振る彼女の姿は、滑稽としか言いようがなかった。
そもそも、この肉には穢れなどない。
新鮮で、最高級の食材なのだから。
「……茶番は終わったか?」
低い声が響いた。
ギデオン様だ。
彼は冷ややかな目でミシャ様を見下ろした。
「そ、その肉は呪われているのです! 私の力が効かないなんて、よほどの悪霊が……」
「呪われているのは、貴様のその曇った眼と性根だろう」
「ひっ!?」
ギデオン様が軽く足を踏み鳴らすと、ビリビリと空気が振動した。
ミシャ様は尻餅をつき、涙目で後ずさる。
「この肉は、ロザリアが丁寧に血抜きをし、筋を切り、最適な温度で管理した一級品だ。貴様のまやかしのような光など、スパイスの足しにもならん」
そう言って、ギデオン様は焼きあがったステーキを皿に移した。
こんがりと焼けた表面。
ナイフを入れると、抵抗なくスッと切れ、断面からロゼ色の美しい肉が見える。
溢れ出る透明な肉汁。
ギデオン様は一切れをフォークで刺し、口へと運んだ。
パクッ。
「ん……」
彼は目を閉じ、咀嚼する。
「……うまい」
その一言が、全てだった。
彼が演技をしていないことは、その恍惚とした表情を見れば誰にでもわかる。
「脂の甘みが舌の上で溶ける。ガーリックの刺激が食欲を煽り、噛みしめるたびにドラゴンの力が体中にみなぎるようだ。……ロザリア、今日の焼き加減も完璧だ」
「ありがとうございます。ソースもたっぷりつけて召し上がってくださいね」
私は残った肉汁ソースを回しかける。
ジュワッという音と共に、破壊的な香りが再び広がる。
グゥゥゥゥゥ……キュルルルル……。
その場にいる全員の腹の虫が、大合唱を始めた。
騎士たちの中には、剣を取り落として膝をつく者もいる。
アレクセイ殿下は、口の端からよだれを垂らしながら、ふらふらと肉に手を伸ばそうとした。
「く、くれ……。一口でいい……その肉を、余によこせ……!」
プライドも何もかもかなぐり捨てた、哀れな姿。
かつて私を「汚らわしい」と罵って追放した男が、今は私の料理を乞い願っている。
「あら、いけませんわ殿下」
私は冷たく言い放った。
「これは『汚らわしい魔物の肉』ですもの。高貴な殿下のお口には合いませんわ。それに、先ほどミシャ様がおっしゃいましたよね? 毒が入っているかもしれないと」
「か、構わん! 毒でもいい! この空腹を止められるなら、何でもいいのだ!」
「だめですよ。食あたりでも起こされたら、私のせいにされてしまいますから」
私は残りの肉をすべて皿に盛り、ギデオン様の前に置いた。
そして、自分用の分──『クラーケンのカルパッチョ』が入った皿を手に取る。
「さあ、ギデオン様。冷めないうちに部屋で食べましょう」
「ああ。こんな騒がしい場所では、味も落ちる」
ギデオン様は肉の乗った皿を持ち、私をエスコートして宮殿の中へと戻ろうとする。
アレクセイ殿下が絶叫した。
「ま、待て! 行くな! 余を見捨てるのか! 余は王太子だぞ!?」
その叫びに、ギデオン様が足を止めた。
振り返った彼の瞳には、明確な殺意が宿っていた。
「……勘違いするな」
ドッ、と漆黒の覇気が噴き出した。
アレクセイ殿下はおろか、騎士たち全員がその場にひれ伏す。
呼吸すら困難な重圧。
「今、俺が貴様らを殺していないのは、ロザリアが『つまらない』と言ったからだ。彼女の温情に感謝して、さっさと消えろ」
「あ、あぁ……」
「次に俺の視界に入ったら、その時は食材として狩る。……オークの方がまだ食い出がありそうだがな」
ギデオン様が扉を閉める。
バタン、という重い音が、彼らと私たちを隔絶した。
◇
宮殿の中に戻ると、ギデオン様はすぐに覇気を収め、私を見てふわりと笑った。
「……少し、意地悪すぎたか?」
「いいえ。とってもスカッとしました!」
私は満面の笑みで答えた。
本当に、胸のつかえが取れた気分だ。
彼らに直接手を下す必要なんてない。
あの惨めな姿を見られただけで、十分だ。
「さあ、冷めないうちに続きを食べましょう! 私、お腹ぺこぺこです」
「そうだな。君のドラゴンステーキは、冷めても美味いが、熱いのが一番だ」
私たちはダイニングルームへ向かう。
外にはまだ、絶望と空腹に打ちひしがれた元婚約者たちが残されているはずだ。
彼らはこの後、美味しい料理の香りが染み付いたこの場所から、何も食べられないまま、危険なダンジョンを引き返さなければならない。
来る時に狩り尽くされたとはいえ、夜のダンジョンは甘くない。
せいぜい、不味くて硬い『ゴブリンの干し肉』のような雑草でも齧りながら、後悔の味を噛み締めればいい。
私はフォークを手に取り、肉厚なドラゴンステーキを口に運んだ。
ジュワッと広がる脂の甘み。
「ん〜っ! おいしいっ!」
やっぱり、ざまぁの後に食べるご飯は格別の味がした。




