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第七話

それは、私がダンジョンでの生活を謳歌し、ギデオン様と激辛麻婆豆腐で絆を深めていた頃のこと。

地上にある王宮では、ちょっとした……いいえ、かなり深刻な「食糧危機」が起きていたらしい。


   ◇


「なんだこれは! 今日のスープも泥水のように不味いぞ!」


王宮のダイニングルーム。

豪奢なシャンデリアの下で、王太子アレクセイの怒声が響き渡った。

彼はスプーンを投げ出し、目の前の皿を睨みつけている。


「申し訳ございません、殿下! シェフはいつも通りの手順で作っているのですが……」


給仕長が青ざめた顔で頭を下げる。

しかし、アレクセイの怒りは収まらない。


「いつも通りだと? 嘘をつくな! 以前はもっとコクがあって、野菜の甘みが溶け込んでいたはずだ。パンだってそうだ。最近のパンはパサパサで、喉に詰まる!」


彼の言う通りだった。

ロザリアが追放されてから、王宮の食事の質は劇的に低下していたのだ。


かつて、ロザリアは「公爵令嬢のたしなみ」として、厨房の管理を任されていた。

彼女は表立って料理をすることはなかったが、休憩時間にこっそりと厨房へ入り、スープの火加減を調整したり、硬い肉を柔らかくする下処理を施したり、隠し味を足したりしていた。

シェフたちも、彼女の的確なアドバイスと魔法による食材管理に頼りきりだったのだ。


彼女がいなくなった今、誰もその「魔法のひと手間」を再現できない。

結果、王宮の食事は「ただレシピ通りに作っただけの、味気ない餌」に成り下がっていた。


「ああ、殿下ぁ。そんなに怒らないでくださいませぇ」


アレクセイの腕に、とろりと甘ったるい声を出してしがみつく少女がいた。

ピンク髪の小柄な聖女、ミシャだ。


「ミシャ……。すまない、君の前で取り乱してしまって。だが、この食事では喉が通らない」


「かわいそうなアレクセイ様。きっと、厨房の人たちが怠けているんですわ。……それよりも、私、神託を受けましたの」


「神託?」


ミシャは上目遣いで、もっともらしい嘘をついた。

彼女は転生者であり、この世界の知識を少し持っているだけだ。

「聖女の力」も、微弱な光魔法を派手に見せかけているに過ぎない。


「『奈落の森』の奥深くに、どんな病も治し、若返らせ、そして何より『極上の美味』をもたらす秘宝が眠っていると……」


「美味だと!?」


アレクセイが食いついた。

食への不満が溜まっている彼にとって、それは何よりも魅力的な言葉だった。


「それに、あの森には悪女ロザリアが捨てられましたでしょう? きっと今頃、魔物の餌になって骨だけになっていますわ。ついでにその死を確認して、国中に『悪への天罰』を知らしめるのも、王太子の務めかと思いますの」


ミシャの本音は別にある。

王宮の食事が不味いのは彼女も不満だったし、何より「S級ダンジョンを攻略した」という名声を得て、自分の地位を盤石にしたかったのだ。

騎士団を盾にすれば、なんとかなると思っている。


「なるほど、素晴らしい提案だ! よし、直ちに近衛騎士団を招集せよ! 奈落の森へ遠征だ!」


こうして、食欲と虚栄心に突き動かされた愚かな一行が、私の住むダンジョンへと向かうことになったのだ。


   ◇


一方その頃。

私、ロザリアは優雅なティータイムを楽しんでいた。


場所は、拠点である「隠れ宮殿」のテラス。

ここはダンジョンの深層だというのに、ギデオン様が古代の魔道具を起動させてくれたおかげで、擬似的な青空と心地よいそよ風が吹いている。


「はい、ギデオン様。どうぞ」


「……ああ、いただく」


テーブルの向かいに座るギデオン様は、今日も今日とて漆黒の鎧姿だ(いつ敵襲があってもいいように、らしい)。

でも、その手には可愛らしい花柄のティーカップが握られている。


今日のメニューは、『ダンジョン・ストロベリーのショートケーキ』。


「これは……宝石か?」


ギデオン様が皿の上のケーキを見て、ため息をつく。


主役となるのは、第十階層の『荊棘の園』で採取した『ルビー・ストロベリー』。

一粒が赤ちゃんの拳ほどもあり、その名の通りルビーのように透き通った赤色をしている。

糖度は驚くほど高く、酸味はほんのりとして上品だ。


スポンジケーキは、『ジュエル・ウィート』の粉と、コカトリスの卵を泡立てて焼いたもの。

キメが細かく、口に入れるとシュワっと溶ける軽やかさだ。


そして、たっぷりの生クリーム。

これは『ミルキー・カウ』という魔獣から絞ったミルクを使用している。

濃厚な乳脂肪分を含んでいるのに、後味は驚くほどさっぱりしていて、いくらでも食べられる悪魔的なクリームだ。


「いただきます」


ギデオン様がフォークを入れる。

ふわふわのスポンジとクリームが、抵抗なく沈んでいく。

ルビー・ストロベリーを一切れと共に、口へ運ぶ。


「…………んんッ」


彼の眉間によったシワが、一瞬でほどけた。


「甘い……。なんて優しい味だ」


クリームのコクと、苺の甘酸っぱさが口の中で爆発する。

スポンジの卵の風味が全体を包み込み、幸せの味へと昇華させる。

かつて泥の味しかしないと嘆いていた彼が、今は目を細めてスイーツを堪能している。


「この紅茶も素晴らしいな」


「『トレント』の若葉を乾燥させて淹れたハーブティーです。リラックス効果が高いんですよ」


琥珀色の液体からは、森の清涼な香りが立ち上る。

甘いケーキとの相性は抜群だ。


「ロザリアとこうしていると、ここが地獄のようなダンジョンであることを忘れてしまう」


「ふふ、住めば都と言いますしね」


ギデオン様が穏やかに微笑み、私も微笑み返す。

平和だ。

本当に、平和な午後だった。


──ドォォォォォン!!


そんな静寂を破る、無粋な爆発音が響いたのはその時だった。


「……なんだ?」


ギデオン様の目が、瞬時に冒険者の鋭い眼光に戻る。

テラスから身を乗り出して下を見ると、宮殿の前庭にあたる広場に、ボロボロになった一団がなだれ込んでくるところだった。


鎧はひしゃげ、煤で汚れ、肩で息をしている騎士たち。

その中心に、見覚えのある金髪の男と、ピンク髪の少女がいた。


「あれは……」


「まさか、アレクセイ殿下?」


彼らは命からがら、魔物の群れを突破してここまで辿り着いたらしい。

いや、正確には、ギデオン様が周辺の強力な魔物をあらかた「食材」として狩り尽くしていたから、運良く通過できただけだろう。


「ここは何だ!? こんな場所に建物が!?」


アレクセイが叫んでいる。

そして、彼の鼻がピクリと動いた。


「……なんだ、この甘い香りは」


テラスから漂う、焼きたてのスポンジケーキとバニラの香り。

極限の空腹と疲労状態にある彼らにとって、それは理性を吹き飛ばすほどの誘惑だった。


「おい! そこに誰かいるのか! 直ちに食料を出せ! 我は王太子アレクセイであるぞ!」


宮殿を見上げ、喚き散らすアレクセイ。

私はギデオン様と顔を見合わせた。


「どうします? 追い返しますか?」


「……俺としては今すぐ斬り捨ててもいいが、ロザリアの元婚約者だろう? 君の気が済むようにすればいい」


ギデオン様は私の意思を尊重してくれるらしい。

私は少し考えて、意地悪く笑った。


「せっかくのお客様ですもの。ご挨拶くらいはしてあげましょう」


   ◇


私たちはテラスから降り、宮殿の入り口へと向かった。

重厚な扉を開け放つ。


「遅いぞ! さっさと案内……」


怒鳴り込んできたアレクセイとミシャは、私を見て固まった。


「ごきげんよう、殿下。それにミシャ様。ずいぶんと汚れた格好でのピクニックですね」


「な……ロ、ロザリア!?」


アレクセイが素っ頓狂な声を上げた。

ミシャも目を見開いている。


「お前、生きていたのか!? それに、なんだその恰好は!」


今の私は、ボロボロのドレスではない。

ギデオン様が「君に似合う」と、宝物庫から出してくれた古代王朝のドレスを身にまとっている。

肌はダンジョンの美味しい食事のおかげで艶々としており、以前よりも美しくなっている自覚がある。


一方、アレクセイたちは見るも無残だ。

何日も風呂に入っていないような悪臭。

頬はこけ、目は血走っている。

どちらが王族で、どちらが追放者なのかわからない。


「どうして……どうしてお前がそんなに綺麗なままなのよ! 魔物に食われて死んでるはずでしょう!?」


ミシャが金切り声を上げた。


「残念ながら、ここの魔物は食べる側ではなく、食べられる側でしたので」


「はぁ? 意味がわからないわよ!」


「それよりロザリア! その匂いだ! 貴様、何を食べている!?」


アレクセイは私の言葉など聞いていなかった。

彼の視線は、私の背後──エントランスのテーブルに置かれた、食べかけのショートケーキに釘付けになっていた。


「ああ、あれですか? ただのおやつですよ。ダンジョン産の苺で作ったケーキです」


「ケーキだと……!?」


ゴクリ、と騎士たちが喉を鳴らす音が聞こえた。

彼らは携行食の干し肉くらいしか食べていないはずだ。

甘く、柔らかく、とろけるようなケーキの香りは、彼らにとって拷問に近い。


「よこせ! それをこちらへ献上しろ! 王族への不敬罪で処刑されたくなければな!」


アレクセイがズカズカと踏み込んでこようとした。

その瞬間。


ドオォォォン!


凄まじい殺気が膨れ上がり、アレクセイの足を縫い止めた。


「……誰の許可を得て、敷居を跨ごうとしている?」


私の背後から、漆黒の影がぬらりと現れた。

ギデオン様だ。

兜は外しているが、その顔は鬼のように険しい。

赤い瞳が、ゴミを見るような冷たさでアレクセイを見下ろしている。


「ひっ……!」


アレクセイが腰を抜かして尻餅をついた。

Sランク冒険者の、それも「魔竜殺し」と恐れられる男の威圧プレッシャー

温室育ちの王太子などが耐えられるものではない。


「き、貴様は何者だ! 無礼者め、騎士団、であえ!」


アレクセイが叫ぶが、騎士たちは動かない。

いや、動けないのだ。

ギデオン様の圧倒的な実力差を肌で感じ取り、全員が震え上がっている。


「俺か? 俺はここの主であり、ロザリアの……そう、パートナーだ」


ギデオン様は私の肩を抱き寄せ、見せつけるように引き寄せた。


「パ、パートナーだと……? 嘘だ、ロザリアのような地味な女に、こんな……」


ミシャが信じられないという顔で呟く。

すると、ギデオン様は鼻で笑った。


「地味? お前たちの目は節穴か? 彼女は俺の呪いを解き、俺の心と胃袋を満たした至高の女性だ。貴様らのような薄汚い人間が、気安く名前を呼んでいい相手ではない」


「呪い……? ま、まさか、貴方は『黒き剣聖』ギデオン・ラグナロック様!?」


騎士団長らしき男が、震える声で叫んだ。

その名を聞いた瞬間、アレクセイとミシャの顔から血の気が引いた。


伝説の冒険者。

国家戦力に匹敵すると言われる男。

それが今、完全に「敵」として彼らの前に立ちはだかっているのだ。


「さて、招かれざる客人の諸君」


ギデオン様は愉しげに、しかし目は笑わずに告げた。


「ロザリアのティータイムを邪魔した罪は重い。……どう落とし前をつけてもらおうか?」


漂う甘いケーキの香りと、死の予感。

天国と地獄が混ざり合う空間で、ざまぁ劇の幕が上がろうとしていた。


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