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第六話

その日の朝、私は寒さで目を覚ました。


「……寒い」


季節はまだ初夏のはずだ。

寝る前までは快適な気温だったのに、今は吐く息が白くなるほど冷え込んでいる。

布団をかぶり直そうとして、違和感に気づいた。


寒さの発生源が、窓の外ではなく、廊下の方から漂ってきているのだ。

そして、私の肌がピリピリと粟立つような、不吉なプレッシャー。

これは、ただの気候の変化じゃない。


「まさか……ギデオン様?」


私はベッドから飛び起き、ガウンを羽織って部屋を飛び出した。

廊下に出ると、そこは冷蔵庫の中のようだった。

壁や床にうっすらと霜が降りている。


「ギデオン様!」


彼の寝室の扉を開ける。

そこには、ベッドの上で苦悶の表情を浮かべ、ガタガタと震えるギデオン様の姿があった。


「う、うぅ……っ……」


「ギデオン様!」


駆け寄って彼の額に触れる。

氷のように冷たい。

けれど、その内側では高熱が暴れているような、矛盾した熱さを感じる。

彼の体から、黒い靄のような瘴気が立ち上り、部屋中の空気を凍てつかせていた。


「これが、呪いの発作……!?」


以前、彼は言っていた。

『魔竜の瘴気』が体内で暴れ出すと、体が芯から冷え切り、味覚だけでなく生命力そのものを奪っていくと。

最近は私の料理で抑え込めていたから油断していた。

魔物を食べ続けることで呪いは弱まっているけれど、完全に消えたわけではなかったのだ。


「寒い……暗い……」


うなされる彼の唇は紫色に変色している。

回復魔法のポーション? いいえ、呪いには効かない。

毛布? 外側から温めても、内側からの冷気には勝てない。


なら、どうする。

どうすれば、体の内側から燃え上がらせることができる?


「……料理だわ」


私の【直感調理】が、猛烈な勢いで答えを導き出す。

今の彼に必要なのは、優しくて消化の良いおかゆじゃない。

この凍てつく瘴気を焼き尽くし、強制的に血流を爆発させるような「炎」の料理だ。


私は震えるギデオン様の手を一度だけ強く握りしめ、厨房へと走った。


「待っていてください。すぐに、目が覚めるような『劇薬』を作ってきますから!」


   ◇


厨房に入ると、私は食材庫をひっくり返した。


狙う味は『麻辣マーラー』。

舌が痺れるような『麻』と、喉が焼けるような『辣』。

この二つの刺激で、ギデオン様の体を強制起動させる。


まずは豆腐だ。

幸い、先日の探索で見つけた『ホワイト・オーガ・ビーン』という巨大な豆から、自家製の豆腐を作って水に浸けておいたものがある。

日本の大豆よりも濃厚で、クリームチーズのようなコクがある特製豆腐だ。


次に、肉。

『ファイア・ボア』の粗挽き肉を使う。

火属性の魔物であるボアの肉は、それ自体が熱を帯びている。


そして、今回の主役である香辛料たち。


『マグマ・ペッパー』。

火山の近くにしか生えない真っ赤な唐辛子。一粒で口の中が火事になる激辛食材。

『サンダー・サンショウ(雷山椒)』。

食べるとパチパチと電流が走るような痺れをもたらす実。


「よし、やるわよ!」


私は魔石コンロの火力を最大にした。

中華鍋を熱し、煙が出るほど加熱する。

そこにたっぷりの油と、刻んだマグマ・ペッパー、ニンニク、ショウガを投入する。


ジュワァァァァッ!!


厨房に、目と鼻を刺すような刺激臭が充満する。

普通の人なら咳き込むレベルだが、今の私にはこの刺激が頼もしい。

油が真っ赤に染まり、辛味成分が抽出されていく。


そこにファイア・ボアの挽き肉を投入。

肉の色が変わるまで炒め、自家製の『魔味噌マメー・ジャン』と豆板醤風の調味料を加える。


「いい香り……!」


焦げ付く寸前の、最も香りが立つ瞬間。

そこに鶏ガラスープ(コカトリスの出汁)を注ぎ入れる。


ジュウウウウウッ!


赤いスープが煮立ち、ボコボコと地獄の釜のように泡立つ。

さいの目に切った豆腐を優しく滑り込ませる。

豆腐は崩さないように、お玉の背で優しく押すだけ。


グツグツと煮込み、豆腐に辛味と旨味を吸わせていく。

仕上げに、片栗粉の代わりとなる『ポテト・スターチ』でとろみをつける。

赤い油とスープが一体化し、とろりとした艶が出る。


最後に、追い打ちの『サンダー・サンショウ』の粉末と、刻んだネギをたっぷりと散らす。


「完成! 特製・激辛地獄麻婆豆腐!」


見た目は凶悪なほど赤い。

けれど、ただ辛いだけじゃない。

幾重にも重なった旨味と香りが、本能を揺さぶる。

私は熱々の土鍋を盆に乗せ、ギデオン様の部屋へと急いだ。


   ◇


「ギデオン様、起きてください。ご飯ですよ」


部屋に戻ると、室温はさらに下がっていた。

私は彼の上半身を起こし、背中にクッションを当てて支える。

彼は薄く目を開けたが、焦点が合っていない。


「……ロザリア……? 逃げろ……俺のそばにいると……凍る……」


「逃げません。その代わり、これを食べて温まってください」


私は土鍋の蓋を開けた。

瞬間、部屋の中に爆発的なスパイスの香りが広がった。

立ち上る湯気だけで、周囲の霜が溶けていくようだ。


ギデオン様の鼻がピクリと動いた。


「口を開けてください。……あーん」


スプーンで救った真っ赤な豆腐を、ふうふうと冷ましてから彼の口へと運ぶ。

彼は反射的にそれを飲み込んだ。


「……んぐっ」


一瞬、彼の動きが止まる。

次の瞬間。


「ガハッ……!?」


彼の目がカッと見開かれた。

喉の奥で爆発が起きたような衝撃。

マグマ・ペッパーの辛味が食道を焼き、胃袋に落ちると同時にカッカッと燃え上がる。


「からっ……!? なんだ、これは……熱い!」


「まだ終わりじゃありません。どんどん食べて」


私は間髪入れずに二口目を運ぶ。

今度はサンダー・サンショウの痺れが襲う。

舌がビリビリと麻痺し、それが逆に唾液を溢れさせる。

冷え切っていた彼の内臓が、驚いて活動を再開し始めたのだ。


「熱い、辛い……だが、うまい!」


最初は強制的に食べさせられていた彼が、自らスプーンに食らいついた。


「なんだこの暴力的な旨さは……! 痛いほどに辛いのに、レンゲが止まらん!」


ハフハフと熱い息を吐きながら、彼は麻婆豆腐を貪り食う。

ファイア・ボアの肉汁と、滑らかな豆腐。

そして脳天を突き抜けるスパイスの刺激。


食べるごとに、彼の額から玉のような汗が噴き出した。

顔色が青白さから赤みへと変わり、首筋の血管が力強く脈打つ。

立ち昇っていた黒い瘴気が、彼の体から発する高熱によって霧散していく。


「もっとだ! もっとくれ!」


「はい、はい。まだたっぷりありますよ」


彼は汗だくになりながら、土鍋いっぱいの麻婆豆腐を完食した。

最後に残った赤いタレまで飲み干し、大きく息を吐く。


「ふぅぅぅぅぅ……っ!」


その吐息は、もう白くない。

熱を帯びた、生きた人間の息だった。


「……助かった」


ギデオン様は呆然と天井を見上げ、それから私を見た。

全身びっしょりと汗をかいているが、その瞳は澄み渡り、生気に満ちている。


「死ぬかと思った。暗い水の底に沈んでいくような感覚だった。……だが、君の料理が引きずり上げてくれた」


「良かったです。さすがに、スパイスを入れすぎたかと心配しましたけど」


私がほっとしてタオルで彼の汗を拭おうとすると、不意に腕を引かれた。

バランスを崩し、彼の胸の中に倒れ込む。


「きゃっ」


「……あたたかい」


彼は私を抱きしめ、私の首筋に顔を埋めた。

さっきとは逆だ。

今の彼は、火傷しそうなほど熱い。

心臓の音が、ドクンドクンと私の体にまで響いてくる。


「ギ、ギデオン様? もう大丈夫なんですか?」


「ああ。体中が燃えているようだ。……だが、まだ足りない」


「え? おかわりですか?」


「違う」


彼は顔を上げ、至近距離で私を見つめた。

汗に濡れた前髪がセクシーで、赤い瞳が熱っぽく潤んでいる。

それは、唐辛子の辛さのせいだけではないように見えた。


「ロザリア。……俺は今、猛烈に君に触れたい」


「は、はい!?」


「呪いが引いて、感覚が鋭敏になっているんだ。君の肌の温もりが、匂いが、愛おしくてたまらない」


彼は私の頬に手を添え、親指で唇をなぞった。

まだ麻婆豆腐の熱が残る彼の指先。

私の顔が一気に沸騰する。


「あ、あの、病み上がりですから、安静に……!」


「……そうだな。今は、我慢する」


彼はふっと力を抜き、私の肩に頭を乗せた。


「だが、覚えておいてくれ。俺はもう、君なしでは生きられない体になってしまったようだ」


「…………」


それは料理の話ですよね?

そう聞きたかったけれど、あまりにも甘い声色に、言葉が喉に詰まって出てこなかった。


結局、その日は熱が冷めるまで、彼に抱き枕のようにされながら過ごすことになった。

最強の冒険者様の「食事依存」は、どうやら「ロザリア依存」へと、形を変えつつあるようだった。


そして、私たちの絆が深まる一方で。

ダンジョンの外では、ついに王宮が動き出していた。

私を追放した元凶たちが、この「奈落の森」へ向かっているとは知らずに。


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