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第四話

「つかまっていろ。舌を噛むぞ」


「は、はいっ!」


私は今、Sランク冒険者ギデオン様の腕の中にいた。

いわゆるお姫様抱っこ、というやつだ。

けれど、その速度はロマンチックな雰囲気とは程遠い。


ヒュンッ! ドムッ!


ギデオン様は人間離れした脚力で、ダンジョンの複雑な地形を跳躍しながら進んでいく。

襲い来る魔物がいても、彼は足を止めない。

すれ違いざまに蹴り一発、あるいは殺気だけで追い払ってしまう。


呪いが抑制され、私が作ったオークの生姜焼きでスタミナを回復した彼は、まさに『最強』の名にふさわしい動きを見せていた。


「すごい……。これなら馬車より早いです」


「俺の拠点は深層に近いエリアにある。徒歩だと三日はかかるが、俺が運べば数時間だ」


彼は涼しい顔で言うけれど、抱えられている私はジェットコースター気分だ。

でも不思議と怖くはない。

彼の腕は鋼のように硬いけれど、私を抱える力加減はとても丁寧で、まるで壊れ物を扱っているようだったからだ。


「……着いたぞ」


数時間後、私たちは森を抜け、岩山に囲まれた開けた場所に到着した。

そこには、周囲の荒々しい自然とは不釣り合いな、荘厳な石造りの建物が鎮座していた。


「これが、ギデオン様の拠点?」


「ああ。昔の王族が避難用に建造した『隠れ宮殿』らしい。俺が主を倒して、そのまま住処にしている」


宮殿、という言葉に嘘はなかった。

外壁は黒ずんでいるものの、その作りは堅牢で優美。

まさかダンジョンの奥底に、こんな豪邸があるなんて。


「中は広いが、俺一人では管理しきれていない。汚れているが我慢してくれ」


ギデオン様が重厚な扉を押し開ける。

中はひんやりとした空気が漂い、家具にはうっすらと埃が積もっていた。

生活感がない。

というより、ただ寝るためだけに帰ってきていたような殺風景さだ。


「部屋は好きに使っていい。……その、まずは、台所を見るか?」


彼は少し申し訳なさそうに私を見た。

私が何を一番求めているか、完全に理解されている。


「はい! ぜひお願いします!」


案内された厨房は、私の予想を遥かに超えていた。

広さは王宮の厨房にも匹敵する。

魔石を動力としたコンロ、巨大な氷室(冷蔵庫代わり)、豊富な調理器具。

前の主人が美食家だったのか、設備だけは超一級品だ。


「素晴らしい……! これなら何でも作れます!」


私は埃を被った調理台を愛おしそうに撫でた。

前世の料理人魂が燃え上がる。

まずは大掃除からだけど、それすらも楽しみで仕方がない。


「水も火も魔石で使い放題だ。……俺は、掃除をしてくる」


「え? ギデオン様がですか?」


「君に料理を作ってもらうんだ。環境を整えるのは俺の仕事だ」


そう言うと、彼は風魔法を使って器用に埃を外へ掃き出し始めた。

Sランク冒険者を掃除係にするなんて恐れ多いけれど、彼の背中は「早く飯が食いたい」と語っている。


私も負けてはいられない。

さっそく、最初の仕事に取り掛かろう。


今回のメニューは、拠点への到着祝いと、これからの活力のために。

日本人のソウルフードであり、幸福の象徴。

そう、『親子丼』だ。


食材は、来る途中でギデオン様が「ついで」に狩ってくれた獲物を使う。


『食材名:コカトリス』

『可食部位:肉、卵、内臓』

『特徴:鶏肉に近いが、弾力と旨味は段違い。石化の毒袋さえ取り除けば絶品』


コカトリスは、蛇の尾を持つ巨大な鶏の魔物だ。

その肉は引き締まっており、噛むほどに味が染み出す。

そして何より、彼らが守っていた巣から拝借した卵。

これがすごい。

ダチョウの卵ほどの大きさがあり、殻を割ると、夕日のように濃いオレンジ色の黄身がとろりと現れた。


「おいしそう……。これ絶対、濃厚なやつだ」


まずは米だ。

幸い、この隠れ宮殿の食料庫には、保存状態の良い『ジュエル・ウィート(宝石小麦)』が大量に残っていた。

米と麦の中間のような穀物で、炊くと真珠のように輝き、モチモチとした食感になる。

これを研いで、魔石コンロの鍋で炊き上げる。


次に、出汁だし

乾燥させておいた『ドライ・マイコニド(キノコ魔物)』と、コカトリスのガラを煮込んで、黄金色のスープを取る。

そこに、以前採取した植物から作った即席の醤油風調味料と、蜂蜜スライムの蜜を加えて、甘辛い割りわりしたを作る。


厨房に、甘く香ばしい匂いが充満し始めた。


「……いい匂いだ」


いつの間にか掃除を終えたギデオン様が、厨房の入り口に立っていた。

鎧を脱ぎ、ラフなシャツ姿になった彼は、驚くほど整った体躯をしていた。

ただ、その視線は私ではなく、鍋に釘付けだ。


「もうすぐできますよ。座って待っていてください」


私は仕上げにかかる。

一口大に切ったコカトリスの肉を、割り下で煮る。

肉の色が変わったら、溶き卵を回し入れる。


ここが勝負だ。

卵は二回に分けて入れるのがコツ。

最初はしっかり火を通し、二回目は余熱で半熟に仕上げる。


トロットロの半熟卵が、甘辛いタレと肉を優しく包み込む。

炊き立ての熱々ジュエル・ウィートを丼によそい、その上から鍋の中身を豪快に滑らせる。

最後に、彩りとして刻んだ『ミント・パセリ』を散らせば完成だ。


「お待たせしました。コカトリスの特製親子丼です!」


湯気と共に運ばれてきた丼を見て、ギデオン様が息を呑んだ。

黄金色に輝く卵と、艶やかな肉のコントラスト。

甘辛い香りが、彼の鼻腔をくすぐる。


「親子……丼?」


「はい。コカトリスの肉と卵を使ったので、親子です」


「なるほど……残酷だが、食欲をそそる名前だ」


彼はスプーンを手に取り、震える手でそれを掬った。

とろりとした卵が絡んだご飯と肉が、スプーンの上に山を作る。

それを、ぱくりと口に含んだ。


「…………ッ!」


ギデオン様の目が、カッと見開かれる。


濃厚な卵のコクが、口いっぱいに広がる。

コカトリスの肉はプリプリと弾力があり、噛み締めると肉汁がジュワッと溢れ出し、甘辛いタレと混ざり合う。

それを受け止めるジュエル・ウィートのモチモチ感。


全てが完璧なハーモニーを奏でていた。


「うまい……! なんだこれは、味が……味が押し寄せてくる!」


彼は猛然とスプーンを動かし始めた。

一口食べるごとに、「うまい」「甘い」「すごい」と呟きが漏れる。

もはや、以前の泥の味しかしないという呪いの影響は微塵も感じられない。


「この卵のまろやかさ。肉の力強さ。そして、この穀物の甘み。全てが俺の体を満たしていく……」


見ていると、彼の身体が淡い光に包まれ始めた。

食事によって得られたエネルギーが、魔力へと変換され、枯渇していた彼の器を満たしていくのだ。

顔色がみるみる良くなり、肌に艶が戻ってくる。

目の下の隈が消え、精悍な顔つきがさらに男前になった。


「ふう……」


あっという間に巨大な丼を空にしたギデオン様は、満足げに息を吐いた。

そして、名残惜しそうに丼の底を見つめてから、私に向き直った。


その瞳は、出会った時の殺気だった赤色ではない。

宝石のルビーのように、透き通った美しい赤色だった。


「ロザリア」


「はい、お粗末さまでした」


「いや、最高だった。……俺は、誓う」


彼は席を立ち、私の前まで歩み寄ると、不意に片膝をついた。

私の手を取り、その甲に恭しく口づけを落とす。


「えっ、あ、あの!?」


「俺は、君を一生守る。どんな魔物からも、どんな理不尽な悪意からもだ。君が料理を作ってくれる限り、俺の剣は君のためにある」


真剣そのものの表情。

それは騎士の誓いのようであり、同時に、餌付けされた大型犬の絶対服従のようでもあった。

食事一つでここまで重い誓いを立てられるなんて、冒険者というのは極端な生き物なのだろうか。


「そ、そこまでしなくても……私はただ、美味しいものが食べたいだけですので」


「それがいい。君の『美味しい』が、俺を救ってくれる」


彼は立ち上がり、私の頭をポンポンと優しく撫でた。

その手は大きく、温かい。

無愛想で怖い人だと思っていたけれど、満腹になった彼は、驚くほど甘い空気をまとっていた。


「さあ、今日はゆっくり休んでくれ。明日の食材は、俺が最高級のものを狩ってくる」


「あ、はい……楽しみにしています」


キラキラした笑顔で「狩り」を約束する彼に、私は苦笑いで返すしかなかった。

どうやら私は、最強の護衛兼、食材調達係を手に入れてしまったらしい。


この拠点での生活は、思っていたよりもずっと快適で、そして美味しいものになりそうだ。


その夜、私は久しぶりに柔らかいベッドで眠りについた。

夢の中で、次はどんな魔物を調理しようかとメニューを考えながら。


けれど私はまだ知らなかった。

私の作る『魔物食』の噂が、やがて王宮にまで届き、あの元婚約者たちを巻き込む大騒動になることを。


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