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第三話

目の前に立つ、漆黒の鎧をまとった巨人。

血のような赤い瞳。

背負った巨大な剣。


どう見ても、この世の終わりを告げる死神だった。


私は恐怖で喉が引きつり、スライムのわらび餅風が入った葉っぱの皿を取り落としそうになる。

逃げなきゃ。でも、腰が抜けて力が入らない。


巨人が一歩、また一歩と私に近づいてくる。

足音が地面を揺らし、そのたびに私の心臓が跳ね上がる。

彼は私の目の前で立ち止まると、ゆっくりと手を伸ばし──


グゥゥゥゥゥ……ルルルゥ……。


「……え?」


凄まじい音が響き渡った。

それは地鳴りのようでもあり、猛獣の唸り声のようでもあったが、紛れもなく「空腹の音」だった。


巨人の動きがピタリと止まる。

兜の下から、なんとも気まずそうな気配が漂ってくる。


「……すまない」


低く、しわがれた声。

次の瞬間、巨人は糸が切れた操り人形のように、その場にどうと膝をついた。

ガチャリ、と重たい金属音が森に響く。


「三日……いや、一週間か。何も食っていない……」


「えっ、一週間も?」


私は思わず聞き返していた。

彼は虚ろな目で私──の手元にあるスライムを見つめている。


「呪いだ。魔竜の呪いを受けてから、何を食っても泥と灰の味しかしない。吐き気で水すら喉を通らん」


「泥と灰……」


料理人だった前世の記憶を持つ私にとって、それは死刑宣告よりも恐ろしい言葉だった。

食べる喜びを奪われるなんて、生きる意味を半分失っているようなものだ。


「貴様のその食い物……不思議と、旨そうな匂いがした。だが、俺が食えばどうせ泥になる」


彼は自嘲気味に笑い、力なく項垂れた。

その姿は、恐ろしい死神というより、雨に濡れた捨て犬のように見えてしまった。


(……放っておけないわね)


私の悪い癖だ。

お腹を空かせている人がいると、相手が誰であれ、何かを食べさせたくてうずうずしてしまう。

それに、もし彼の言う通り「呪い」のせいで食事ができないなら、私のスキルが役に立つかもしれない。


「あの、お名前は?」


「……ギデオンだ」


「ギデオン様。私、ロザリアと申します。少し待っていてください。すぐに『泥』じゃないものをご用意しますから」


私は立ち上がると、辺りを見回した。

都合よく食材が転がっているわけがない──なんてことはなかった。


ガサガサッ!


茂みをかき分けて現れたのは、鼻息の荒い二足歩行の豚。

『ワイルド・オーク』だ。

体長二メートルを超える筋肉質の巨体。手には粗末な棍棒を持っている。


「ブモォォォォ!」


オークは私を獲物と認識したのか、よだれを垂らして突進してきた。


「危ない!」


ギデオン様が剣に手をかけようとする。

けれど、彼は立ち上がる力も残っていないようだった。

私は慌てない。

【直感調理】のスキルが、オークの急所を赤く光らせて教えてくれているからだ。


「食材が自分から来てくれるなんて、サービスがいいですね!」


私は先ほどスライムの冷却に使った魔力の残滓をかき集める。

生活魔法『洗浄クリーン』の応用。

水圧を高めて、一点に撃ち出す!


高圧洗浄ハイ・プレッシャー・ウォッシュ!」


チュドンッ!


鋭い水流の弾丸が、オークの眉間──最も骨が薄い部分を正確に貫いた。

オークは悲鳴を上げる間もなく、ドサリと倒れ伏した。


「……なっ」


ギデオン様が唖然としているのを横目に、私はすぐに解体作業に取り掛かる。

ナイフ代わりの黒曜石を走らせる。

普通なら硬くて切れないオークの皮も、スキルの導きに従って筋繊維の隙間に刃を入れれば、嘘のようにスルスルと解体できる。


『食材名:ワイルド・オークの肩ロース』

『特徴:脂身が甘く、赤身は濃厚』

『推奨調理法:臭み消しの香草と共に焼く』


やはり、ただ焼くだけでは獣臭さが残るようだ。

呪いで味覚が敏感になっている彼には、少しの臭みも命取りになるだろう。


私は周囲の草むらを走り回った。

スキルが「使える」と判断した野草を次々とむしり取る。


『ドラゴン・ジンジャー』──根っこが生姜のような刺激臭を持つ草。

『スネーク・ガーリック』──ニンニクに似た強い香りを持つ球根。


「これならいける!」


私は平らな石を拾い、火魔法で熱した。

即席の鉄板──ならぬ石板だ。


薄くスライスしたオーク肉を、熱した石の上に並べる。


ジュワァァァァァ……!


脂が弾ける小気味よい音が、静かな森に響き渡った。

同時に、肉の焼ける香ばしい匂いが立ち上る。

すかさず、石ですり潰しておいたドラゴン・ジンジャーとスネーク・ガーリック、そしてスライムから採取した塩分を含んだ体液(天然の塩水だ)を回しかける。


ジュワッ! パチパチパチ!


香辛料の刺激的な香りが、肉の脂と混ざり合い、暴力的なまでの「食欲」となって襲いかかる。

それは、日本の定食屋で嗅いだ、あの懐かしい「豚の生姜焼き」の香りそのものだった。


「……なんだ、この匂いは」


ギデオン様が鼻をひくつかせている。

虚ろだった瞳に、微かな光が戻っていた。


「お待たせしました。特製、オークの生姜焼き風です!」


私は大きな葉っぱに焼きたての肉を盛り付け、彼に差し出した。

表面はこんがりと狐色に焼け、タレ代わりの肉汁と香草が絡んで艶々と光っている。


ギデオン様は震える手でそれを受け取った。

けれど、口には運ばない。

恐怖があるのだ。

口に入れた瞬間、またあの泥の味に変わってしまうのではないかという恐怖が。


「大丈夫です。私の料理は、誰にも邪魔させません。呪いなんかに負けませんよ」


私は彼の目を見て、力強く頷いた。

彼は意を決したように、一枚の肉を摘み、口へと放り込んだ。


咀嚼する。

一回。二回。


彼の動きが止まった。


「…………」


沈黙が流れる。

失敗だっただろうか?

不安になりかけた、その時だった。


「……あじが、する」


ギデオン様の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


「うまい……。肉の味がする……。生姜の香りがする……!」


彼は獣のように、夢中で肉を貪り始めた。

もう一枚、また一枚。

噛み締めるたびに「うまい、うまい」と涙を流しながら。


「この脂の甘み。ピリッとした刺激。体が……熱くなる」


彼が食べるたびに、その身体から黒い靄のようなものが霧散していくのが見えた。

おそらく、あれが呪いの瘴気だ。

私の料理──【直感調理】によって最適化された「命の味」が、呪いを中和しているのだ。


あっという間に、山盛りだった肉が消えてしまった。

ギデオン様は名残惜しそうに指についた脂を舐め取り、それから私を真っ直ぐに見つめた。


先ほどまでの死神のような雰囲気は消え失せていた。

そこにあるのは、満たされた男の、どこか幼さすら感じる純粋な瞳だった。


「……ロザリア」


「はい」


彼は私の手を取り、その場に跪いた。

まるで騎士が姫に忠誠を誓うように。

けれど、その口から出た言葉は、予想の斜め上を行くものだった。


「俺の専属料理人になってくれ。給金は言い値で払う。住む場所も、安全も、全て俺が保証する」


「え?」


「君の料理がないと、俺はもう生きていけない。……頼む」


その手は熱く、力強かった。

何より、その瞳があまりにも真剣で、必死だった。


胃袋を掴むとは言うけれど、どうやら私はこの最強の冒険者の生命線を、ガッチリと掴んでしまったらしい。


「ふふ、わかりました。これからよろしくお願いしますね、ギデオン様」


私が微笑むと、彼は安堵したように息を吐き、それから少し顔を赤らめた。


「ああ。……それと、おかわりはあるか?」


私は吹き出してしまった。

どうやら、私のダンジョン生活は、この食いしん坊な魔獣使い(?)との二人三脚になりそうだ。


「ええ、もちろん。オーク一頭分ありますから、お腹いっぱい食べてください!」


森の奥で、新たな香ばしい煙が立ち上る。

それは、私たちがこの過酷な世界で生き抜くための、のろしのような煙だった。


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