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第一話

「──ロザリア・ベルンシュタイン! 聖女ミシャを害したその罪、万死に値する! よって貴様との婚約を破棄し、この『奈落の森』への追放を命じる!」


冷たい風が吹き荒れる、ダンジョンの入り口。

王太子アレクセイ殿下の、やけに響く甲高い声が私の鼓膜を叩いた。


私の背後には、一度入れば二度と戻れないとされるS級ダンジョン、奈落の森の暗闇が広がっている。

目の前には、勝ち誇った顔の元婚約者と、その腕にまとわりつく聖女ミシャ。そして、私をここまで連行してきた騎士たち。


普通なら、ここで泣き叫んで慈悲を乞う場面なのかもしれない。

あるいは、身の潔白を主張して地面に額を擦り付けるべきなのかもしれません。


けれど。


(……お腹、すいたなあ)


私の頭の中を占めていたのは、絶望でも悲しみでもなく、強烈な空腹感だった。


今朝、断罪イベントが起こるとも知らず、朝食を抜いて王宮に向かってしまったのだ。

焼きたてのパン。とろとろの半熟卵。カリカリに焼いたベーコン。

それら全てがお預けになったまま、馬車に揺られて三時間。

今の私は、極限の空腹状態にあった。


「ふん、何も言い返せないか。恐怖で声も出ないようだな」


アレクセイ殿下は私の沈黙を恐怖と受け取ったらしい。

ミシャが「かわいそうですぅ」とわざとらしい猫なで声を出している。


「さあ、行け! 魔物の餌食となって、その汚れた魂を浄化するがいい!」


ドン、と背中を押された。

私はよろめきながら、境界線を越えて森の中へと足を踏み入れる。


背後で結界が閉じる音がした。

もう戻れない。

公爵令嬢としての地位も、家も、財産も、すべて失った。

着ているのは薄手のドレス一枚。武器もなければ、食料もない。


「……はあ」


ため息をつくと、それだけでお腹がグゥと情けない音を立てた。


「とりあえず、何か食べないと死んじゃう」


私はロザリア・ベルンシュタイン。

前世では日本の小料理屋で包丁を握っていた、ただの料理好き。

過労で倒れて目覚めたら、乙女ゲームの悪役令嬢になっていたという、よくある身の上だ。


でも、そんなことはどうでもいい。

問題は、今の私が餓死寸前だということだ。


森の中は薄暗く、湿った土の匂いが立ち込めている。

木々はねじれ、見たこともない色の葉を茂らせていた。

どこか遠くで、獣の咆哮が聞こえる。


普通の令嬢なら恐怖で足がすくむだろう。

でも、私の目は違った。


(あれは……食べられる?)


私の視線の先には、紫色の斑点がある巨大なキノコが生えていた。

高さは私の膝くらいまである。

それが、のそりと動いた。


「キシャアアア!」


そのキノコ──低級魔物『ウォーキング・マッシュ』が、私に気づいて襲いかかってきたのだ。

太い足のような菌糸を動かし、体当たりをしてくる。


危ない!


私はとっさに身を翻し、ドレスの裾をまくり上げた。

令嬢らしからぬ動きで近くにあった手頃な大きさの石を拾う。


「晩ご飯の邪魔をしないで!」


ドゴォン!


手にした石を、ウォーキング・マッシュの傘の真ん中、急所と思われる部分に全力で叩きつけた。

前世で魚の頭を叩いて締めていた要領だ。

魔物は「プギ」と短い悲鳴を上げて、動かなくなった。


「……ふう。なんとかなった」


肩で息をしながら、私は倒した魔物を見下ろした。

毒々しい紫色。表面はぬめりがあり、正直に言って不気味だ。

普通なら、こんなものを食べようとは思わない。


けれど、私の目には『それ』が見えていた。


私の固有スキル【直感調理】。

前世の記憶とリンクして、対象の食材としての情報が浮かび上がって見えるのだ。


ウォーキング・マッシュの上に、半透明のウィンドウが浮かぶ。


『食材名:ウォーキング・マッシュ』

『可食部位:傘および柄』

『注意:紫色の皮には麻痺毒あり。加熱で無毒化』

『推奨調理法:直火による炙り焼き』

『味覚情報:濃厚な旨味と弾力のある食感』


(……濃厚な旨味)


その単語を見た瞬間、口の中に唾液が溢れ出した。

毒がある? 加熱すればいい。

見た目が悪い? 皮を剥けばいい。


「いただきましょう。私の最初の獲物」


私は覚悟を決めた。

幸い、攻撃魔法は使えなくても、生活魔法は使える。

洗浄クリーン』の水魔法と、『着火イグニス』の火魔法だ。


まずは『洗浄』で泥や汚れを洗い流す。

次に、近くに落ちていた鋭利な石片をナイフ代わりに使い、紫色の皮を慎重に剥いでいく。

皮の下から現れたのは、驚くほど白く、きめ細やかな身だった。

まるで高級なエリンギか、松茸のようだ。


「……おいしそう」


思わず声が漏れる。

適当な木の枝を『洗浄』して串にし、切り分けたマッシュルームを刺す。

枯れ木を集めて『着火』で火を起こし、それを炙った。


パチパチと薪が爆ぜる音。

炎に炙られたキノコの表面から、じわりと水分が染み出してくる。

やがて、香ばしい香りが森の中に漂い始めた。


それは、日本の秋を思い出させるような、芳醇で奥深い香りだった。

醤油もバターもないけれど、素材そのものの香りが強烈に食欲を刺激する。


「もういいかな……」


こんがりと焼き色がついた熱々のキノコ串。

私はそれを両手で持ち、ふーふーと息を吹きかけてから、大きく口を開けた。


はふっ。


熱い。けれど、噛み締めた瞬間に世界が変わった。


「んんっ……!」


キュッ、とした心地よい弾力。

歯を入れると、閉じ込められていた熱々のスープが口いっぱいに弾け飛ぶ。

それはキノコとは思えないほどジューシーで、まるで上質な肉汁のようだった。

森の栄養をたっぷりと吸い上げた滋味深い味わいが、空っぽの胃袋に染み渡っていく。


調味料なんていらない。

魔物特有の強い生命力が、そのまま旨味となって舌の上で踊っている。


「おいしい……っ! なにこれ、王宮で食べてたスカスカのスープより全然おいしい!」


夢中で咀嚼し、飲み込む。

喉を通った熱が、お腹の底から身体全体へ広がっていくのがわかった。

手足の指先まで力がみなぎってくる。

魔物を食べることで、魔力が回復しているのだ。


あっという間に一本を食べきってしまった。

まだ足りない。

もう一本、焼いてあった串に手を伸ばす。


「これならいける。私、この森で生きていけるわ」


二本目を頬張りながら、私は確信した。

アレクセイ殿下は、私を死刑にするつもりでここに送ったのだろう。

泥をすすり、絶望の中で死ねと。


でも、残念でした。

ここには、王宮のシェフも知らない未知の食材が溢れている。


「スライムはどんな味かしら? オーク肉は? コカトリスの卵は?」


想像するだけで、恐怖よりもワクワクが勝ってしまう。

私は口の端についた汁を指で拭い、ニヤリと笑った。


「見てらっしゃい。伝説の魔物だって美味しく調理して、お腹いっぱい食べてやるんだから!」


こうして、悪役令嬢ロザリアの、美味しくて危険なダンジョン生活の幕が上がった。

この時の私はまだ知らなかった。

この先で、もっととんでもない「ご馳走」に出会うことになるなんて。


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