第四十九話 イヌさんと春のごはん
冬の名残と春の兆しが混ざりあって、空気の匂いがやわらぐ頃。まだ寒さが目立つ外の空気を纏って、とある付き人が元気に店の扉を開けた。
「こんにちワン!」
「イヌさん! いらっしゃいませ!」
店主の森山 小春は、明るく挨拶につられて笑顔で挨拶を返した。店先では、舌を出しながら尻尾を振っているイヌの姿があった。
「少しずつ春の匂いがするようになってきて、わくわくが止まらないワン」
「さすがはイヌさんのお鼻ですね。私の鼻はまだ冬の匂いのままです」
ぶるると身体を震わせて、外の空気を吹き飛ばしたイヌ。乱れた狩衣を整えて、カウンター席に座った。
「今日はどんなご相談ですか?」
「春が近づいているのに、神様が寝ぼけたままなんだワン。春のごはんを食べて、目を覚ましてほしいワン」
「春眠暁を覚えず、って神様にも通じる言葉なんですね」
「ずっと眠そうにしてるワン」
春のごはんと言えば何があるだろうか。目が覚めるようなごはん。
「目が覚めるといえば……フキノトウが顔出してたんだよねぇ」
そこで小春ははっとなる。春の山菜は、冬眠からの目覚めと呼べるのではないだろうか。
「イヌさん! 良い料理を思いつきましたよ! 少しお待ちくださいね」
「もちろんワン! いつもありがとうワン!」
小春はカウンター奥へと一度姿を消す。そして盆ざるにフキノトウ、タラの芽、ツクシを乗せて戻ってきた。
「早速調理していきますよー」
まずは山菜に薄力粉をまぶす。フキノトウは見栄えが良くなるようにガクを開く。
「ガクを開いておくと、アクが抜けて苦味がちょうど良くなるんですよ」
ボウルに薄力粉、片栗粉、酢、冷水を入れて、天ぷら粉を作る。冷水を入れたあとは、混ぜ過ぎないように注意する。
揚げ油を中火にかけて温めたら、山菜に天ぷら粉をつける。そしてそっと揚げ油の中に落とした。
「油に入れたあとは、すぐに触らないようにしてください。衣が剥がれたりして、仕上がりが油っぽくなってしまいますよ」
「さすが小春さんは物知りだワン」
しばらくして衣が固まったら、上下をひっくり返す。全体的にカラッと揚がったら出来上がりだ。
「山菜の天ぷらの完成です! どうぞご賞味ください!」
「天ぷらから春の匂いがするワン! この香りで神様も目覚めるワン!」
カウンターの上に置かれた天ぷらをイヌが頬張る。ハフハフと熱さを逃がしながら噛んだ瞬間、サクリと衣の崩れる音がした。
「サクサクだワン! 山菜特有の苦みの少なくて、食べやすいワン!」
フキノトウ、タラの芽、ツクシ。まだ背の低い、春の先触れたちだ。イヌはそれぞれの食感や味の違いを楽しみながら、あっという間に平らげてしまった。
「食べ終わったあとも、口の中に春の匂いが残ってるワン。これなら神様も間違いなく目が覚めるワン」
「お口に合ったようで良かったです。今、レシピを書いてきますね」
「お願いするワン!」
いつものようにレシピを書き留める。天ぷら粉をつけるときのポイントや揚げるときのコツも、記しておいた。
「小春さん、どんどん料理が上手になっていってるワン」
レシピを渡すときに、イヌがそう言った。
「小春さんの料理、神様のほうを『向いてる』味がするワン。しっかりと徳を積んでいるおかげワン」
「そう、なんですかね? ただ誰かのために毎日料理を作っているだけで…あまり実感が湧きません」
「小春さんにとっては、その誰かのために料理をするというのが大事なんだワン。次の神在月では、小春さんの神格が上がると思うワン」
お代の銀貨一枚を渡して、イヌは帰路につく。小春はその背中に手を振りながら、『料理が上手くなった』と言ってくれた言葉を噛みしめた。
「もっともっと、みんなにおいしいって言ってもらいたいな」
料理の神様として神格が上がることも大事かもしれない。しかしそれよりも、自分の料理を食べて人々が笑顔になるのを見たいと思う小春だった。
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