第四十八話 芸能の神様とバレンタインデー
田舎にひっそりと佇む古民家を改装した小さなお店。店主の森山 小春は、お昼ごはんの片付けをしながら、来客をのんびり待っていた。
外は風の音しか聞こえない。店の中も、静かだ。
「今日はお客さん来ないかもしれないなぁ」
なんといっても今日はバレンタインデーだ。友だちや恋人、家族などに向けて、忙しい一日を送っている人も多いのかもしれない。
「せっかくだし、何かチョコレートのお菓子でも作るかなぁ」
そしておじいちゃんや両親にプレゼントしようか。身近な人たちの顔ぶれの中に、一瞬なぜか骨董品屋のあの人の顔が出てきたが、小春はそれを慌てて振り払った。
「そうと決まれば早速準備しますか!」
カウンターの奥から材料を持ってくる。チョコレート、バター、卵。どれも製菓ではお馴染みのメンバーだ。
腕まくりをして、いざ調理に取り掛かろうとしたところで、冷たい風とともに店の扉が開かれた。
「ごめんくださいな」
カランと鈴のような音がして振り返ると、美しい女性がそこに立っていた。
「いらっしゃいませ」
「――チョコレートの香り。今日はバレンタインデーね」
一目で分かる。彼女は神様の一柱だ。長い黒髪に流し目。見惚れるどころではない、潤むほどの存在感があった。
「初めまして。私は芸能の神。今日は貴女にお願いがあって来たのよ」
「お願いですか?」
「ええ、お願い。今、忙しかったかしら?」
芸能の神様の視線が小春の手元にある材料へと向けられる。小春はそれに気づいて、照れたように笑った。
「いえ、お客さんが来なかったのでバレンタインデーのお菓子でも作ろうかと思ってたんです」
「あら? もしかして恋人でもいるのかしら?」
「い、いませんよ、そんな人! 家族に向けてです!」
小春の慌てっぷりがおもしろかったのか、芸能の神様がふふふと笑う。その姿がまた艶やかで、小春は思わず見惚れてしまった。
「実はね、私のお願いもチョコレートに関することなの」
「そうなんですか?」
「ええ。芸能を司っているから、この時期は私にもたくさんお菓子が届いてね。それを見て、私も私に贈りたいって思ったの」
「友チョコならぬ、自分チョコってところですか…」
「人の子の間ではそう呼ぶの? ならその自分チョコというものを、私に作ってもらえないかしら?」
『そういうことなら』と、小春は頷く。ちょうど今から作ろうと思ったお菓子を、芸能の神様のために作ろうと思い直した。
「どうぞお掛けください。今からお作りしますね」
「ええ。ありがとう」
芸能の神様が座ったのを見届けてから、小春は調理を再開した。
耐熱ボウルにチョコレートとバターを入れ、湯煎で溶かしながらよく混ぜる。チョコレートが溶けると、芳醇な香りがより濃く広がった。
別のボウルに卵とグラニュー糖を入れてしっかり混ぜ合わせたあと、チョコレートと合わせてよく混ぜる。
「砂糖のジャリジャリ感がなるべく残らないように混ぜるのがポイントです」
振るっておいた薄力粉とココアパウダーをボウルに入れ、ツヤが出るまで混ぜる。それから生地を、バターを塗って薄力粉を薄くはたいておいたマフィン型に均等に流し入れた。
「あとは予熱したオーブンで焼いていきます」
「チョコレートが焼ける匂いってすごく香ばしいのね」
焼いたあとは粗熱を取って、型から外せば完成だ。器に盛り付けて、小春は芸能の神様へと差し出した。
「お待たせしました。フォンダンショコラです。どうぞご賞味ください」
「すごく良い香り。ありがとう」
フォークでショコラを割る。すると中からとろりとチョコレートが溢れ出した。そして一口頬張り、チョコレートを堪能するようにゆっくりと咀嚼した。
「まあ、おもしろい。表面のサクっとした生地と、中の溶けたチョコレートの組み合わせが楽しいわ」
「ありがとうございます。この中の溶けているチョコレートが、フォンダンショコラの醍醐味なんです」
そのまま無言で食べ進めていく芸能の神様。彼女の食べている姿は美しく、小春はずっと見ていられる気持ちになっていた。
「――ああ、おいしかった。たまには自分のためのお菓子というのも良いものね」
ショコラの温かさてほんのりと淡く色づいた芸能の神様の頬。小春はそれを見て、微笑んだ。
「気に入ってもらえたようで何よりです」
「ええ。とても。貴女の私を想う気持ちも伝わったわ」
するりと流れるように立ち上がった彼女は、そっとカウンターの上に銀貨を一枚置いた。
「ありがとう、小春さん。貴女のおかげで、今日はとても良い日になったわ」
「こちらこそありがとうございます」
銀貨を受け取る小春の指先を、芸能の神様がじっと見つめる。
「あの…、何かありましたか?」
「いいえ。貴女の調理するときの横顔や指先、とても綺麗だったわ」
「へっ!?」
美しい同性からの思わぬ誉め言葉に、小春の顔が赤くなる。
「ふふっ、可愛いのね、貴女。また来るわ」
芸能の神様は最後に小春の頬をするりと撫でて、静かに店を出て行った。
「な、なんて色気のある神様なの…」
芸能の神様の色気に当てられて、小春はぼうっとその後を見送ったのだった。
『神様ごはん相談所』。今日出会った神様は、とても美しく艶やかな人でした。いつか私の料理でも、神様を『魅せる』ということができるでしょうか。




