第四十一話 睡眠の神様と温かい飲みもの
神様たちの初日の協議が終わった夜。小春は一人、神界の厨房までやってきていた。
神界の夜は、地上よりも静かだ。風も虫も眠り、遠くの星々の瞬きだけが世界を照らしている。
もうすっかり夜も更けたのに、神様たちはまだ宴会をしている。いい加減眠らなきゃいけないと思った小春は、こっそり抜け出していた。
(とはいえ、まだ眠れそうにないんだよなあ)
今日は初めてで圧倒される出来事ばかりで、気が高ぶっているのかもしれない。その気分を少しでも抑えるために何か温かい飲みものでも淹れようと、厨房に来たのだった。
「神様って、あんなにいっぱいいるんだな…」
社殿にずらっと並んだ神様たちのことを思い出す。それでも神様全員があの場に集まっているわけではないらしい。一体この国にはどれほどの神様が存在するのやら。
そうして思い返すは、『悪くない』と評価された自分のぜんざい。
今まで神様や付き人たちに『おいしい』と言ってもらっていたせいか、その言葉を聞いて素直に落ち込んだ。
「食物の神様のうず煮は褒められてたな…。これが今の彼女と私の実力差かあ…」
今まで料理のライバルと呼べる人物がいなかった小春にとって、食物の神様との出会いは衝撃だった。最初は一方的にライバル視されていただけだったけれど、今日お互いの料理を比べられて、はっきりと『悔しい』という気持ちを持った。
「悔しいけど、確かにおいしかった……」
全く雑味のないフグの出汁が驚くほどおいしかった。しっかり出汁が出ているにも関わらず、具材の味を邪魔しないどころか、旨味を引き立てている点も素晴らしかった。
食物の神様の料理は、素直に料理人としておいしいと思えるものだった。
「私も少なくとも食物の神様と同じところまで……いつかはおじいちゃんを超えるところまで行かなきゃ…」
こんなことを考えては、ますます眠れなくなる。小春は小さく苦笑して、改めて厨房に立った。
氷室から牛乳を取り出す。そして小鍋に入れて火をかければ、はちみつを小さく垂らした。
牛乳が小鍋の中でふつふつと泡立ち、はちみつが溶けてやわらかな甘い香りが立ちのぼる。その香りに包まれると、胸の奥までじんわりと温まるようだった。
「――やっぱり眠れないときは、はちみつ入りホットミルクに限るよね」
沸騰寸前で火を止め、マグカップに移そうとしたときだった。
「……それ、ワタシにも…くれる?」
「っ!?」
小春は声にならない悲鳴を上げて、後ろを振り返った。
その青白い肌は、月明りの下に長く晒されたかのように透けるほどで、目の下には濃い影の隈がくっきりと刻まれている。ぼさぼさの銀灰色の髪は、ところどころ寝癖で跳ねていた。
「あ、あなたは……?」
「ワタシ? 睡眠の神」
重たげに半分しか開いていない目で小春を覗き込む。その姿は睡眠の神というよりは、寝不足の神と呼ぶに相応しい。
「それ、くれる?」
「あ、えっと、どうぞ」
ホットミルクを淹れたマグカップを睡眠の神に渡す。すると彼は大切そうに両手で持って、ゆっくりと一口すすった。
「……温かい。オイシイ」
「温かい飲みものっておいしいですよね、分かります」
「チガウよ。キミの温かい味。オイシイ」
「あっ、」
まさかこんなところで『おいしい』と言ってもらえるとは。先ほどまで少し落ち込んでいた小春の気分は、ゆっくりと浮上した。
「ゼンザイも、オイシかった」
「ありがとうございます。でも……まだまだ未熟みたいで」
「キミの祈り、こもってた。オイシかった」
「………」
優しい睡眠の神様の言葉に、小春の涙腺が緩みそうになる。小春はそれを乱暴に拭うと、またホットミルクを作った。
「キミ、眠れない?」
「……はい。なんだか目が冴えちゃって」
小春も熱々のホットミルクを一口すする。柔らかくて甘い香りが、胸を満たしてくれるような気がした。
「ダイジョウブ。キミ、良い夢見る」
ふわり。睡眠の神様の優しい手が、小春の頭を一撫でした。
「あ、れ…?」
あれほど目が冴えていたはずなのに、不意にゆったりとした眠気を小春の中に広がる。それが睡眠の神様によるものだと、すぐに理解できた。
「……睡眠の神様、ありがとう、ございます…」
「ウン」
睡眠の神様が、小春の手からマグカップを抜き取る。まるで後のことは任せておけと言わんばかりの彼の態度に、すっかり眠気に襲われている小春は甘えることにした。
「おやすみなさい…神様…」
「オヤスミナサイ」
ゆっくりと歩き出す小春の後ろ姿を、睡眠の神様はじっと見送っていたのだった。
まだ遠く、東の空がわずかに白みはじめていた。小春の眠りが明ける頃、きっと新しい朝が来るのだろう。
『神様ごはん相談所』。今日は落ち込むこともありましたが、一晩寝て、また元気な姿で料理を頑張りたいと思います。




