第三十二話 ヘビさんと主と秋の料理
とある田舎にひっそりと佇む森山 小春の小さな店。今日は三つ目の試練の日で、向かいのカウンター席にはヘビが座っていた。
「やだ、小春っち、表情が固いじゃん。もっとリラックスしなよー」
「ヘビさん…!そう言われても、これは試練なわけで…!」
「そんなガチガチだと、普段はしないような失敗しちゃうかもよー?」
「そ、そんな怖いことを言わないでくださいよ…っ」
「いや、冗談だから。ちょっと小春っち、深呼吸しな?」
すーはー。すーはー。手振りもつけて、小春がしっかりと深呼吸する。小春が落ち着いた頃を見計らって、ヘビが声を掛けた。
「じゃあ小春っち。試練を始めるよ。お題は『秋の料理』。うちの主に捧げる一品をお願いしたいわけ」
「はい! 承りました!」
まずは鍋でだし汁を作る。出汁、酒、砂糖、みりん、酢、醤油を入れて強火で煮詰める。その間にエリンギを裂いて、しめじを割る。石づきを取ったしいたけと、程良い大きさに切った豚肉も用意する。
「きのこ類は包丁で切るより手で裂く方が、味が馴染みやすいですよ」
食材に薄力粉をつけ、油で揚げる。器に盛ってだし汁をかければ出来上がりだ。
「油とだし汁が混じった、なんともいえない香ばしい匂い……きのこの揚げびたしの完成です!」
「だし汁がちょーいい感じ! 絶対おいしいやつじゃん!」
神様に届けるために、小春が器をラップに包もうとする。しかしヘビはそれを制して、にこりと笑ってみせた。
「あれ? 金運の神様に届けないんですか?」
「届けるっていうか、来てくれるっていうか?」
「へ?」
ヘビが椅子から降りて、襟を整える。そして尾で自分の身体を叩いて、柏手を打った。
パシンパシンと、小気味よい音が響く。
「恐み恐みも申す」
遠くから、かすかな鈴の音が響いた。空気がきりりと澄み、あたたかい光が空間を満たしていく。瞬きをするたびに世界の輪郭がゆるみ、現実と神界の境が曖昧になる。そして光の中から、ゆったりと一つの影が形を取った。
「………、」
小春は思わず息を呑んだ。
金運の神は、陽だまりのような笑みを浮かべたふくよかで穏やかな男神だった。衣は金糸を織り込んだ深い黒。その手には打ち出の小槌。小さく振ると、空気の中に金の粒がきらりと舞った。
「……え?」
「小春っち。こちらがうちの主、金運の神様でーす。直接来てもらっちゃった」
「えええええ!?」
確かに『ここに神様が来て食べてくれてもいいのに』と思ったことはある。だけど、まさか、そんな。本当に来てくれるとは夢にも思わなかった。
「邪魔するぞ、小春や」
声は低く、どこか土の底から響くようだったのに、不思議と心が温かくなる。ただの金運の神様というより、働き者を見守る商いの守り神――そんな存在感だった。
ヘビがさっとカウンター席の椅子を引く。金運の神様はゆったりとした動きでそこに座り、正面から小春と向き合った。
「ふむ。これが秋の料理か。いただこうかの」
「は、はい! どうぞご賞味ください!」
金運の神様が一口頬張る。口の中でゆっくりと味を転がし、静かに息を吐いた。
「ふむ、なるほど」
「………」
少しの沈黙が心臓に悪い。笑みを浮かべたままの金運の神様を、小春はじっと見つめた。
「土の気を感じる良い料理だ。まさしく私に合う料理だの」
「……! それじゃあ、」
「うむ、合格じゃ」
「――や、やったあ!」
小春は思わず、神様の目の前だということも忘れて、ヘビの尾とハイタッチをする。
「これで三つ目の試練も合格ね、小春っち!」
「はい! すごく嬉しいです!」
「良き料理であった、小春。そなたの私を想う心が料理を通じて伝わってきた」
「あ、ありがとうございます…!」
「ほほ。次の試練は健康のところの付き人が担当だったか」
「健康の神様といえばイノシシさんですね! 頑張らないと!」
最後の試練に向けて力の入る小春を、金運の神様とヘビが温かく見守る。彼女の身体の周りが、うっすらきらきらと輝いていることに気づいたのは、その二人だけだった。
「小春。そなたが久一の後を継ぐのを楽しみにしておるぞ」
「はい!」
『神様ごはん相談所』。思いがけぬ神の訪れに、小春の心はまだ温かい光に包まれていた。今日も店主は、食べる人の幸せを想いながら、静かに鍋の蓋を開ける。




