第三十話 タヌキさんと春の料理
五月晴れが続く頃、森山 小春の小さな店には、タヌキが来店していた。
「いやぁ、小春さんが決心してくれて良かったっす!」
タヌキが口を大きく開けて明るく笑う。小春が久一の後を継ぐと決めてからしばらく、今日は小春が神となるに相応しいかどうかを判断するための試練の日だ。
「みなさんのおかげで挑戦する気持ちになったんですよ」
「オイラたち、何もしてないっすけどね。でも、少しでも何か小春さんの力になれてたとしたら嬉しいっす!」
『さて、』とタヌキが話題を変える。彼の顔つきが真剣になり、小春は思わず息を呑んだ。
「小春さんが神様になるための試練は、全部で四回あるっす。お題は『春夏秋冬の料理』。まずは春の料理をオイラの主、子宝の神様に捧げてほしいっす」
「春の料理を子宝の神様に、ですか…」
小春は顎に手を当てて考える。今は季節が春だから、春の旬の食材は手に入りやすい。だが、夏以降の食材はどうだろう? その季節ごとに試練を行うのだろうか?
「タヌキさん、一つ質問なんですが」
「どうしたっすか?」
「夏の料理の試練は夏に、秋の料理は秋に試練が行われるのでしょうか?」
「そんなに時間はかけないっす。この一年で小春さんが腕前は見せてもらったっすから、試練に合格次第、すぐ次の試練を行うっす」
「あの、でも。その場合、旬の食材が…」
「ああ! そういう意味っすね! それなら安心してほしいっす」
タヌキ曰く、神界には農業の神様が管理している畑があり、そこが特別な畑だそうだ。
「季節に関係なくいろんな作物が育ってるっす。小春さんの希望を聞いて、そこから野菜を採ってくることが可能っすよ」
「な、なるほど…」
さすが神界とでもいうべきか。ひとまず食材についての憂いは晴れたのだった。
「じゃあ、小春さん。試練の準備はいいっすか?」
「は、はいっ! 大丈夫です!」
「じゃあ、調理をお願いするっす」
「承りました!」
小春がカウンター奥から持ってきたのは、今が旬のタケノコだ。すでに下茹でしてあるため、すぐにでも調理に取り掛かれる。
まず、タケノコをほど良い大きさに切っていく。
「柔らかい穂先と、硬い根元で切り方を変えると、同じような食感になって食べやすくなりますよ」
続いて油揚げを粗いみじん切りにしたら、浸水したお米に調味料を加えていく。醤油とみりんを入れて、出汁をお米の合数の目盛まで注ぎ入れる。もちろん出汁は、今朝とったばかりのものだ。
「さっと全体を混ぜ合わせたら具材を乗せて、っと」
お釜を火にかければ、あとは火加減を変えながら炊きあがるのを待つだけだ。
「くんくん。お出汁の良い香りがしてきたっすねぇ」
お釜から湯気が上がってくると、お米の甘い香りと出汁の上品な香りが漂ってくる。タヌキはその香りを嗅ぎながら、ふっくらとした尻尾を左右にゆっくりと揺らしていた。
炊きあがったら火を消して、しばらく蒸らしの時間を作る。最後に全体を混ぜ合わせ、器に盛って、タヌキの前に差し出した。
「お待たせしました。タケノコごはんです」
「わあ! タケノコごはんっすか! これぞ春って感じっすよねぇ!」
「タケノコは子どもの健やかな成長や出世を願う食材として、端午の節句などによく食べられるんです。子宝の神様が授ける新しい命への祈りになればと思って作りました」
「うんうん。素晴らしいっすよ、小春さん」
タヌキは嬉しそうに頷くと、タケノコごはんの入ったお椀を風呂敷で包みだした。
「え? あれ? タヌキさんがここで召し上がられるんじゃないんですか?」
「え? 違うっすよ。 これは神様の試練っす。 食べるのはもちろん神様っすよ」
「……え? ええぇぇぇええ!?!?」
『じゃあちょっと行ってくるっす』と言葉を残して、お店をあとにしたタヌキ。近所の神社を通じて神界に渡り、子宝の神様にタケノコごはんを献上してくるようだ。
「えええ。目の前で食べてくれないと不安になっちゃうよぉ…」
果たして神様はタケノコごはんを気に入ってくれるのだろうか。食べているところを直接見られない不安を、台所で行ったり来たりをしながら紛らわせること、数十分。
お店に返ってきたタヌキは、神妙な顔をしていた。
「タ、タヌキさん…? その表情は一体…」
「小春さん…。――おめでとうっす! 合格っす!」
「――はあぁぁぁぁ…」
ぱぁっと笑って、両腕を大きく丸を作ってみせるタヌキ。その姿を見た瞬間、小春は台所で崩れ落ちた。
「駄目かと思ったじゃないですかぁ…」
「なーに言ってるっすか! 素晴らしいって言ったじゃないっすか!」
「それでも不安になるものなんですよ!」
「そういうもんっすか? ――はい、小春さん。これ」
かさり。タヌキが一枚の便箋を取り出す。小春はそれを受け取り、そっと開いてみた。
――『たいへん見事なお味でした。あなたの子を思う心、たしかに受け取りました』。
どこか懐かしいミルクのような香りが、その便箋から滲んだ。
「こ、これは…っ」
「主からの手紙っす」
「ひゃあぁぁ! 子宝の神様からの直筆の手紙…!」
小春は感極まって、神様からの手紙をぎゅっと胸に当てた。
「これで一つ目の試練は合格。次は二つ目の試練っすよ、小春さん」
「……はい。次は夏の料理ですね」
「そうっす。次は、ニワトリが来るっす。必要な食材があれば、事前に知らせてほしいっす」
ニワトリが仕える神様を思い出しながら、小春は次の試練の料理に思いを巡らせる。
『神様ごはん相談所』。小春の試練は、まだ始まったばかりである。




