第二十九話 小春さんと味噌汁
とある田舎の小さな古民家のお店。店主の森山 小春は今日も店を閉め、最低限の明かりの中で一人台所と向かい合っていた。
『――実はな、おじいちゃん、神様なんじゃ』
昨日の祖父の声がよみがえる。
『お前さんに神様を継いでほしいと思っておるのじゃ』
それは冗談などではなく、祖父の目は本気だった。祖父の言葉が嘘だと思っているわけではないが、それでもまだどこか信じきれない気持ちがある。昨日からずっと胸の奥がそわそわして、小春は落ち着かない時間を過ごしていた。
「……はぁ、駄目だ。ずっと同じことをぐるぐる考えちゃう…」
こういうときは料理をするに限る。小春はカウンター奥から、食材を持ってきた。
鍋に昨日とった出汁を入れ、切った長ネギを入れて火にかける。沸騰してきたら、角切りにした豆腐を加える。
「私が料理の神様だなんて……自信がないよ」
沸いた出汁の中で豆腐が少し浮き上がってきたら、中まで温まった証だ。火を止めてから、乾燥ワカメを入れて、味噌を溶き入れた。
味噌がゆっくりと出汁に溶けていく中、小春はふと思い出す。
『小春、あなたの料理は素晴らしい』
それは、リュウの言葉だった。何か壁に突き当たったときに、自分の言葉を思い出してほしいと彼女は言った。
『小春さんのお料理は、久一さんと同じ優しいお味がしますう』
『小春は良い料理人になったな』
『あんたの料理は久一にも劣らないよ。自信持ちな』
その言葉をきっかけに、次々と付き人たちの言葉を思い出す。みんな、自分の料理をおいしいと言ってくれた。最後は笑顔で、『ごちそうさま』と言ってくれた。
「――そっか。私、ちゃんとおいしいごはんが作れる料理人なんだ」
胸の奥でつかえていた何かが、消えた気がした。
止めていた火を灯して、再び鍋を温める。沸騰直前でお椀に注ぎ入れれば、今日の料理の完成だ。
「豆腐とワカメの味噌汁、できました」
誰かのためではなく、自分のために作った味噌汁。それを一口すすれば、温かい気持ちがじんわりと胸の中に広がっていった。
味噌汁の湯気の向こうで、祖父の笑顔がふと浮かぶ。『料理の神様になる』という言葉が、今は少しだけ現実に感じられる。
(私の料理を食べて笑顔になってくれた人たちが、確かにいた)
自分の料理で幸せを感じてくれた人たちが、確かにそこにいたのだ。
もう一口、小春は味噌汁をすする。
「……うん、やってみよう」
小さく呟いたその声は、味噌の香りとともに空気に溶けていく。
神様になるということは、きっと簡単なことではないだろう。それでも自分に期待してくれた祖父、応援してくれる付き人たちを思えば、いくらでもやる気が奮い立ってきた。
「もう一度、おじいちゃんと会って話そう」
小春は味噌汁のお椀をカウンターの上に置いて、祖父と連絡を取るために台所から離れた。
カウンターの上に、湯気の立つ味噌汁が一杯。
誰もいない店内に、まるで誰かが『よく決心したな』と微笑んでいるような温もりが漂っていた。
『神様ごはん相談所』。若き店主は自分の可能性を掴みに、挑戦することを選びました。




