第二十八話 おじいちゃんと出汁
ひっそりと佇む小さなお店。店先には暖簾がかかっておらず、今日は休業日なのが伺える。しかし店内には、二人分の気配があった。
「……あの、おじいちゃん? 話ってなんだろう?」
一人は森山 小春。三つ編みがトレードマークのこの店の若き店主だ。
「小春。出汁を取ってみなさい」
対するは森山 久一。小春の祖父であり、この店の先代店主である。
「出汁…? わ、分かった」
祖父の意図はよく分からない。それでもカウンター席に座って厳しい顔をしているあたり、出汁を作ることに重要な意味があるのだろう。
カウンター奥から昆布とかつお節を持ってきた小春は、まず鍋にたっぷりの水を入れて、昆布を落とした。
「昆布によって味が変わるから、好みの味を探すのもおもしろいよね」
「ふむ」
久一がじっと自分の手つきを見つめているのが分かる。やや緊張しながらも、小春はいつも通り、心を込めて作ることを心がける。
硬い昆布が柔らかくなってきたら、強弱火でじっくりと沸騰直前まで加熱する。
「昆布を入れたまま沸騰させると、海藻臭くなるので要注意」
沸騰前に昆布を取り上げたあとは、一度沸騰させる。そして火を止めた状態で、今度はかつお節を入れる。再び火にかけて数分煮たあと、キッチンペーパーの上にざるを置いた簡易こし器で出汁をこす。
「かつお節を煮る時間は、しっかりとした味を出したいときは三~四分、さっぱりとした上品な味を出したいときは一~二分がちょうどいいんだよね」
ボウルの中に、透き通った淡い琥珀色の出汁が出来上がる。小春はそれを小皿に入れて、久一の前に置いた。
「ああ、綺麗な色だなぁ」
じっくりと色を見つめたあと、久一が出汁を口にする。一口。しっかりと味わうように口に含む。二口。今度は素早く呑み込んだ。そして。
「うむ、おいしい。小春よ、よくここまで上達したなぁ」
目尻を下げて笑った祖父の顔を見て、小春は安堵の溜め息をついた。
「おじいちゃんがずっと真剣な顔をしてるから、こっちは心臓に悪かったよー」
「すまん、すまん。祖父と孫ではなく、師匠と弟子として小春の料理を試したかったのじゃ」
久一が自分の隣の椅子をぽんぽんと叩く。『隣に座りなさい』という意味だと気づいて、小春は割烹着を脱いで、隣に座った。
「小春や、今から言うことをよく聞きなさい」
「う、うん」
さきほどまでの笑顔はどこへやら。再び真剣な表情になった祖父に、小春は再び緊張する。
「――実はな、おじいちゃん、神様なんじゃ」
「……はい?」
神様という存在を疑っているわけではない。だって実際に付き人たちがこの店に来るからだ。ただ、祖父までも神様だと言うのは、少々疑わしいというのが小春の本音だった。
「おじいちゃん? 真剣な顔で冗談を言うのは心臓に悪いからやめてほしいんだけど…」
「冗談とは心外じゃのう。正真正銘、おじいちゃんは料理の神様なんじゃ」
確かにこんな冗談を言うなんで祖父らしくはないが、それにしてもいまいち信じられない。小春の目は、未だに疑いの色を滲ませていた。
「この店はもう、神様の台所なんじゃよ。だから人の客は来ん。神様の食卓を守る場所じゃ」
料理の神様の台所。それはもう、人間界にあっても神界と同じ神域なんだそうだ。
「この店の店主は神様のためにごはんを作る。神様への祈りだった料理はいつしか神事となり、店主にも力を与え、そうして神様となったのが始まりだそうじゃ」
そうして料理の技術を受け継いで、次代の店主がまた神様となる。こうして『神様ごはん相談所』は永く続いてきた。
「わしはな、小春。お前さんに神様を継いでほしいと思っておるのじゃ」
「わ、私が神様…!?」
「小春にはその素質がある。さきほどの出汁を味見して、そう確信した」
突然そんなことを言われても困る。祖父が神様だということだけでもピンと来ていないのに、さらに自分が神様になるなど、到底信じられるわけもない。
「なぁに、神様と言っても今までと変わらんよ。いつもと同じように神様にごはんを振る舞って、人と同じ時の流れで生きていくだけじゃ」
祖父の話していることは今すぐには完全に理解はしがたい。それでも彼が真実を言っているということだけは、その穏やかながらも真剣な瞳で感じ取れた。
「いきなりこんな話をされて混乱したじゃろう。少し、ゆっくり考えてみると良い」
祖父はゆっくりと立ち上がると、『ごちそうさま』と言って、店を出て行ってしまった。小春は閉じられた扉を見つめながら心がざわついているのを感じ、ただ呆然と、しばらくその場に立ち尽くしたのだった。
『神様ごはん相談所』。実は店主が神様候補だったなんて……そんなこと、ありますか?




