第二十五話 イヌさんと豚肉
とある田舎にある古民家を改装した小さなお店。ひっそりとした場所に立つその店で、店主の森山 小春は開店準備をしていた。
先日まで積もっていた雪はだいぶ溶けていった。まだまだ風は冷たいが、世界は少しずつ新しい季節を迎える準備をしているようだ。
「今日は誰が来るかなあ」
昨年のお月見で団子を用意したあたりから、少しずつ付き人たちの来店頻度が上がった気がする。少しは神様や付き人たちに腕前を認めてもらえたのかもしれないと思うと、小春の気分は上昇した。
「うう。水はまだまだ冷たいなあ」
店内に戻って、ごはんを炊く準備をする。そのとき店の扉が開いて、柑子色の狩衣を纏ったイヌが顔を出した。
「おはよー、小春さん。お店はもうやってるワン?」
「おはようございます、イヌさん! もう開いてますよ。 どうぞ中へ」
カウンター席に座ったイヌに温かいお茶を出す。イヌが一息つきながら、軽い雑談を口にした。
「雪が溶けてさみしくなったワン。雪の中を駆け回るのが楽しかったのに…」
「イヌさんは寒さに強いんですね。この前いらっしゃったヘビさんは、とても寒そうでしたよ」
「天気が変わるのは楽しいワン! 晴れは日向ぼっこをして、雨は水に濡れて、雪は雪かきして。どんな日でも楽しめるワン!」
さすがはイヌというべきだろうか。外を楽しむ心意気は、どの付き人よりもあるのかもしれない。
「ところで、小春さん。今日の相談ワン」
「はい、どうされましたか?」
「知り合いの付き人から、新鮮な豚肉をもらったワン。これを、神様に捧げるのにぴったりな料理にしてほしいワン」
イヌが仕えるのは魔除けの神様だ。そんな神様にぴったりな豚肉料理とは、一体何があるだろうか?
「魔除けの食材って何があるんでしょうか…?」
「人間界で有名なのは、赤い小豆だワン。他にも塩や桃なんかもそうだワン」
「赤色が魔除けの色ってことですかね。うーん、そうだなぁ」
赤い色の豚肉料理といえば、思いつく料理が一つある。外国料理から派生した日本料理のアレだ。
「よし、今日はアレを作ります! イヌさん、少しお待ちくださいね」
「うん! 期待して待ってるワン!」
小春はカウンター奥から食材を持ってくる。盆ざるに乗っているのは、豚肉だ。
「豚肉は、焼いたときに縮まないように筋切りをしまーす」
そして包丁の背で、トントントンと肉全体を軽く叩く。こうすることで肉の繊維がほぐれて、柔らかい肉になるのだ。
塩コショウをして軽く小麦粉をまぶした豚肉を、油を引いたフライパンの強火で焼く。表面にほど良い焦げ目がついたら、火を弱くして中まで火を通す。
「豚肉から出た余分な油を拭いておくと、ソースが薄くならずに済みますよ」
油を拭いたところで、トマトケチャップ、ウスターソース、醤油、酒、水を加えて全体に絡める。ソースが煮詰まれば、料理の完成だ。
「お待たせしました! ポークチャップの出来上がりです!」
「わあ! 赤い豚肉料理だワン! 赤は魔除けの色だワン!」
「赤は魔除けの色ですけど、同時に元気の色でもありますよね。イヌさんの神様も、そんな明るさがきっとお好きなんじゃないかなと思って作りました」
イヌが器用にナイフとフォークで豚肉を切り分けていく。そうして一口頬張れば、耳を立てて、尻尾を左右にぶんぶんと振った。
「コクのある甘酸っぱいソースに、柔らかい豚肉が合うワン!」
ウスターソースを入れたことと、きちんと肉の筋切りをしたのが功を奏したらしい。イヌは『おいしい! おいしい!』と繰り返しながら、あっという間に料理を平らげてしまった。
「トマトケチャップを入れているときを見たときは、どうなるかと思ったワン」
ケチャップ単体では、味が尖って酸っぱさが目立ってしまう。イヌはそれを心配していたらしい。
「このソースの味付けはばっちりだワン! オイラたち好みだワン!」
「やったー! 嬉しい!」
料理をお気に召したイヌのため、早速レシピを書き留める。料理をおいしく作るためのポイントもしっかりと記しておいた。
「いつもありがとう、小春さん! またおいしい料理を食べに来るワン!」
本来の目的は神様のごはん相談のはずなのだが、食いしん坊なイヌは小春の料理が一番の目当てらしい。天真爛漫なイヌを微笑ましく見つめながら、小春はイヌの帰りを見送った。
カウンターに置かれた古い銀貨一枚をそっと手に取る。このお店を継いで一人で切り盛りするようになってから、あと一ヶ月で一年になる。
「もうすぐ一年かあ…」
料理を作って、笑顔をもらって、それを重ねてきた一年。心のどこかで、何かが変わろうとしている気がした。
何かが始まる予感を感じながら、小春は銀貨を見つめた。そして彼女は、今日も神様ごはんの調理に精を出すのだった。
『神様ごはん相談所』。店主は今日もみなさんのために、腕によりをかけて料理を振る舞います。




