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 本屋は目の前にある、しかし私はどうしても入り口のドアから先に入ることができなかった。決してドアに鍵がかかっているとかではなく、勇気が出ないのだ。

 この場所には昔から何度も来ていた。今更入りづらいなんてことはない。けれど今日は本を買うことが目的なのではなく、牧田さんに会うことが目的なのだ。ましてやまた話を聞いてほしいなんてなんと切り出したらよいものか……。

「今日は帰るか」

 なかなか決心のつかない自分に愛想を尽かし体の向きをくるりと変えたとき

「佐藤さん、いらっしゃい」

 入り口から牧田さんがひょこっと顔を出し、こちらに手を振っている。どうやら本屋の前で何分もうろうろとしていた姿を店内から見られていたようだ。

「こ、こんにちは」

「僕あと少しで勤務終わるので、よければこの前の珈琲店で待っていてください。あっ、それとも目的は僕ではなく本屋だったり……?」

「あ、いえ。牧田さんとお話できたらと思って」

 牧田さんの顔を見るのはずいぶんと久しい気がした。けれども相変わらず穏やかで優しい目をしている。私は言われた通りこの前の珈琲店で牧田さんの仕事が終わるのを待つことにした。

 先に一人で珈琲店に入るとマスターの男性が出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

「いえ、あとでもう一人来ます」

「ひょっとして圭一くんかな?」

 すぐにピンと来なかったがそれは牧田さんの下の名前だ。

「この前も圭一くんと来てくださっていたので、もしかしたらそうかなと思って」

 マスターはどうやら牧田さんと知り合いらしい。年に似合わないいたずらっぽい表情で私をこの前と同じ席に案内してくれる。私はコーヒーを一つ注文した。平日の夕方ということもあってか店内に他の客の姿は見当たらない。

 まもなくガリガリという豆を挽く音が聞こえてくる。昔から家の中で聞きなれていた音に耳が心地よさを覚える。コーヒーの香ばしい香りが鼻をくすぐり、マスターが私の席までやってくる。

「ご注文のオリジナルブレンドコーヒーと、こっちはサービスのモンブランになります」

 目の前に白いコーヒーカップとモンブランが載った皿が置かれる。

「すみません、ありがとうございます」

 マスターは目でにっこり微笑むとそのまま私の向かいに座った。

「他にお客さんもいないし、あなたは圭一くんの知り合いみたいだから興味がわいてしまって」

 再びいたずらっぽい表情をするマスターに困惑していると、マスターは一人で話し始める。

「あなたが圭一くんのことをどこまで知っているかは分からないけど、彼が誰かと一緒にいるところを僕はずいぶんと久しぶりに見たな。てっきり彼はもう誰とも関わらないまま死んでいくものだと思っていたからね。圭一くんは本当に優しい子なんだ」

 私に向かって話しているというよりも、どこか遠くを見つめながらひとりごとのように話すマスター。

「牧田さんとお知り合いなんですか?」

「あぁ、僕は圭一くんが高校生の頃から知っているよ。よくこの店でコーヒーを一杯だけ注文して長いこと受験勉強をしていたものさ。県外の大学に入学してからしばらくは会っていなかったけどね、あのことがあって彼がこの街に帰ってきてからはまた親しくしているんだ」

「あのこと……?」

「いずれ圭一くんが自分から話すんじゃないかな。圭一くんは君のことをずいぶん気にかけているようだし。珍しいよ、本当に珍しい」

 要領を得ないマスターの話は、決して私の理解力が劣っているせいではないだろう。

 確かに数年前からあの本屋で働き始めたと言っていたが、それより過去のことは何も知らない。一体何があって彼はこの町へ戻ってきたというのだろうか。私はまだ牧田さんのことを何も知らない。

 ……まだ? いつの間にか彼のことを知りたいと思っている自分がいることに気づき、私は少し居心地が悪かった。

「あ、ほら。噂をすれば圭一くんがお見えだ」

 マスターの声に我に返るとカランカランと入り口のドアが開き、牧田さんが入ってきた。私と私の向かいに座るマスターに気が付くと、牧田さんは目を丸くし不思議そうな顔で歩いてくる。

「いらっしゃい」

「いらっしゃいじゃないよ、なんでマスターがここに座ってるんだ」

「可愛いお嬢さんだったからお話ししていただけだよ」

「全く……」

 呆れ顔でわざと大きなため息をついて見せた牧田さんだが、それでもマスターを慕っていることがその目にしっかりと表れている。

「それじゃあ、ごゆっくりどうぞ」

 マスターが店の奥へと戻り、私の向かいには牧田さんが座る。

「待たせてごめんなさい。お久しぶりです、佐藤さん」

 そう言って申し訳なさそうに微笑む牧田さんの目はやはり、どこまでも穏やかで優しい。

 私は自分の外に漏れてしまわぬよう、胸の奥でそっと思う。

 彼がどんな人で何が好きなのか、何を見て心を安らげるのか教えてほしい。

 何を思い、何を考えているのだろう。そんなにも穏やかな目で見る世界は、一体どんな色をしているの。

 その答えを聞けるのはきっとまだまだ先になるだろう。もしかしたら答えを聞くことは叶わないかもしれない。それでもいつか、もう少し彼について知ることができたらいいと思った。

 それはいつかまた本が読めるようになったらいいと願う気持ちととても似ていた。今すぐでなくてもいい、けれど切実な、そんな気持ちだった。

 マスターは私と同じように牧田さんにもサービスでモンブランの載った皿を持ってきた。

「せっかくだし、先に食べちゃいましょう」

 牧田さんにそう言われ私達はそれぞれモンブランを口に運ぶ。

 柔らかい栗のペーストは甘みが抑えられており、しつこさのないほどよい甘さが口の中に広がる。土台のメレンゲはさくさくと軽い食感でこれぞ幸せの味だと思えた。

「……美味しい!」

「僕はここのモンブランが昔から大好きでね。でもマスターがサービスしてくれるなんて、よっぽど佐藤さんが可愛かったんでしょうね」

 ふいに牧田さんに言われた可愛いという言葉に、心がドクンと跳ねた。それを隠すように私は早口で牧田さんに話しかける。

「マスターさんとお知り合いなんですね。しかもかなり昔から」

 かなり昔から、その言葉にほんの一瞬彼の目に影が差したように思えた。私の思い違いかもしれない。

「そうですね。昔はかっこよかったマスターも、今じゃすっかりおじいちゃんみたいだ」

 その言葉に店の奥でカップを磨いていたマスターが反応する。

「おじいちゃんとは失礼な! やっぱり圭一くんのモンブラン代はしっかりいただくことにしました」

 そんなマスターをよそに、牧田さんは話題を変える。

「女性にこんなことを言うのは失礼かもしれないけど、佐藤さん少し痩せました?」

 この人はなんでもお見通しだ。

 心療内科を受診し服用を始めた薬の副作用で、私はしばらくの間食欲がなくなっていた。そのため短期間で体重が数キロ落ちていた。

 私はそれをきっかけに伯母の助言で心療内科を受診したことを話した。先生に心を休めないといけないと言われたことも。

「そうでしたか。でもそうやってしんどいときに頼れる場所ができてよかったですね。一人で全て抱え込むのは本当に辛いですから」

 私はこれまで病院にかかることは自分の弱さからの逃げではないかと考えており、あまりよいことだとは思えなかった。しかし牧田さんは私が心療内科にかかったことを、頼れる場所ができてよかった、と言った。しっかりと治療しようとすることは、逃げでも甘えでもなく自分ときちんと向き合うことだ、と。

 その流れで私は、母についての記憶を伯母と共有したことも話した。牧田さんは終始穏やかに頷きながら話を聞いていた。

「佐藤さんの周りには佐藤さんのことを大切に思ってくれる人がたくさんいるのでしょうね」

「はい、改めて頑張って生きなきゃいけないなって」

「頑張らなくたって、きっと皆さん心からあなたを大切に思っているでしょうから。何も気負わず、佐藤さんは佐藤さんらしく生きていれば大丈夫です」

 どうしてそんなに優しい言葉を紡げるのだろう。

 牧田さんの言葉には全てを肯定するたおやかな力がある。だからこんなにも心が温かくなるのだろう。

「そういえば……!」

 私は鞄の中にこの前購入したばかりの小説を入れていたことを思い出し、取り出す。

「牧田さんが教えてくれた小説、さっそく買いました。やっぱりまだ読むことはできないんですけど、いつかもっと元気になったら必ず読みます」

 そう伝えると牧田さんは、参ったな……と言いながら自らも鞄をごそごそとあさり、私が今手に持っているものと同じ小説を取り出した。

「実は佐藤さんがまた本を読めるようになったら僕の持っているのを貸そうと思って、こうして一応鞄に入れていたんです。僕が勝手に勧めただけですから、わざわざ買わすのも悪いなと思って。でも、もう手遅れでしたね」

 申し訳なさそうな牧田さんの目と、お互いの手に握られた全く同じ赤と緑の表紙を交互に見る。なんだかおかしくなって私は思わずふふっと笑ってしまった。そんな私を見て牧田さんも同じように笑う。

「お揃いですね」

「ですね」

 そうしてもう一度お互いの目が合うと、今度は二人同時に吹き出した。こんな風に笑ったのはいつぶりだろう、そんなことを考えていると牧田さんも、こんな風に笑うのは久しぶりだと口にする。

「なんだか私達、似ているみたい」

 思わず口にしたその言葉に

「えぇ、同じなぞなぞの星の住人ですから」

 いつか彼が口にしていた不思議な星の名前を出し、二人が似ていることに彼も同意した。

 その後私達はコーヒーをおかわりし、本屋の前でうろうろしていた私のことや、最近近所にオープンしたパン屋の話など、他愛ない会話をいくつか交わし続けた。

 気が付くと外はすっかり暗くなっている。牧田さんと話していると時間があっという間に過ぎてしまう。こんな感覚は今まで友人らと話していてもあり得なかったことだ。

 牧田さんは私が何かに対し意見を述べると必ずと言っていいほどそれを肯定し、さらに「良いですね」「素敵な考えだと思います」と返してくれた。そんな彼と話す時間はあまりにも優しく穏やかに過ぎていくのだ。

 会計を済ませ二人で珈琲店を出る。お代はコーヒーの分だけで、結局モンブランは牧田さんの分までマスターがサービスにしてくれた。

 別れ際、私は一つ気になっていたことを牧田さんに問いかけた。

「どうして牧田さんは、私の意見を否定せずに聞いてくれるんですか?」

 すると牧田さんは、質問の意味が分からないというような顔で

「だって、佐藤さんの話には否定するところが一つもないですから。僕は思ったまま感じたままにお返事をしているだけですよ」

 と言った。

 あぁ、この人には敵わない。

「牧田さんは、凄いですね……」

「僕は何も。佐藤さんの話は聞いていていろいろ考えさせられることが多いんです。もちろんいい意味で。きっと佐藤さんが普段からたくさんのことを頭で考えて、自分なりに答えを出そうとしているからですよ。僕も佐藤さんみたいにしっかりいろんなことを考えて生きなきゃなって思わされます」

「いえ、そんな」

 結局最後は牧田さんの言葉に心が温められてしまうのだ。

 そんな風に想像の何倍も優しい言葉を返されるから、私はついついたくさんのことを牧田さんに話したくなってしまう。心の中の小さな私がもっと聞いてほしい、もっと話したいと駄々をこねる。

 牧田さんの話を聞いてみたいと願う一方で、あまりにも心地よい彼の肯定に身を預け、気づけば自分の話ばかりしてしまっていた。次に会うときには、私が牧田さんの話に相槌を打ちたいと思う。けれどきっとまた、私は私の話をしてしまうのだろう。

「今日僕が本屋の前にいる佐藤さんに気が付かなかったら、佐藤さん帰ろうとしていたでしょう」

「なかなか勇気が出なくて」

「次もそんな風に帰られちゃ困るので」

 そう言って携帯電話の番号とメールアドレスを書いた紙を私に渡してくれた。

「ここのモンブランが食べたくなったら、ぜひ」

 そうおどけて笑う彼に、私は感謝の気持ちいっぱいで深く頭を下げた。

 牧田さんと話す穏やかで優しい時間は、今の私の生きる糧になっていた。

 その夜家に帰ってすぐに、牧田さんに教えてもらった携帯番号とメールアドレスを自分の携帯電話に登録した。

 アドレスを教えてもらったからには、さっそくメールで今日のお礼を伝えた方が良いのだろうか……。でもアドレスを教えてもらってすぐにメールを送るなんて鬱陶しく思われないだろうか……。

 たった一通、メールを送るか否かで散々迷いに迷い、結局私が彼にメールを送信したのは夜の九時を過ぎた頃だった。


佐藤凪咲です。

今日はお話聞いてくださり、嬉しかったです。

牧田さんの言葉はなんだかとても心に響きます。

本当に有難うございました。

おやすみなさい。


 何時間も悩んだ割にあまり内容のないメールになってしまった。感謝の気持ちはきちんと伝わるだろうか。そんなことを考えているとすぐにメールの受信を知らせる音が鳴り、それは牧田さんからの返信だった。


祝! 初メッセージありがとう。

これから、末永く仲良くしましょうね!

牧田圭一


 牧田さんと初めて会話を交わしたあの日、本屋で泣き出した私を嫌がることもなく救ってくれたあの日と同じ言葉がそこにあった。

「すえながく、仲良くしましょう……か」

 その言葉を口に出してみる。普段あまり聞きなれないその言葉は、なんだか心地よいようなくすぐったいような不思議な響きだった。



 七月も後半に差し掛かると日中の気温はぐっと上がり、夜になっても冷め切らない熱に寝苦しさを覚える日が続く。

 以前、伯母から提案されていた伯父母との同居はとても有り難い話であったが、しっかりと自分で考えた末お断りさせてもらった。伯母は気を遣わなくていいのよと何度か説得してくれたが、今は一人でいる方が良いと私は判断した。

 伯父母はきっと私に何不自由ない暮らしをさせてくれるだろう。あの伯母のことだ、きっと受け止めきれないくらいの愛情を私に注いでくれるだろう。けれど今は、両親を失いひとりぼっちになったこの家で、きちんと現実と向き合いながら生きていたい。もちろん家事を完璧にこなせるわけでもないし、ときには寂しくて泣いてしまう夜もあるだろう。それでも今は誰かと暮らし無理に気を紛らわせるよりも、寂しさや不自由さとしっかり向き合いたかった。

 このあまりにも自分勝手な申し出を伯母は残念がりながらも受け入れてくれた。そして再び、辛いときや困ったことがあったときは遠慮せずすぐに連絡をするよう何度も念を押し私に言ってくれた。伯母には感謝してもしきれないだろう。

 八月になると大学は夏休みに入った。学科によっては実習で休みなどほとんどない人もいるし、長期休暇を利用し海外旅行へ行く人など皆それぞれに長い長い夏休みを過ごしている。

 五月を過ぎたあたりからほとんど講義に出られていなかった私は、あたりまえだがいくつか単位を落とした。幸い必修科目ではなかったため、これから履修する科目を増やせば卒業が延びることは免れそうだ。

 大学の夏休みは長い。次に講義が始まるのは十月の予定になっている。それまでの二か月間で私は自分が再び講義を受けられるまで回復できるかどうか正直不安だった。でもそんな風に不安ばかり抱えていては、伯母はもちろん診療所の先生や牧田さんにまで怒られてしまいそうなので今は何も気にしないように努めよう。

 最近は薬が効いているのか、少しずつだが朝苦労せずにベッドから起き上がれる日が増えてきた。

 毎日特にこれといったことは何もせず、好きなときに近所を散歩してみたり、新しくできたパン屋でパンを買ってみたり。こんな生活を送っていてよいのだろうかとまた不安を抱えてしまいそうになるが、今はきっとこれが正解、と自分に言い聞かせている。

 そんな変わり映えしない日々の中にもいくつか発見があった。

 一つは、日が暮れていく空がとても美しいということ。ゆっくりと夕暮れの空を見上げることなどこれまでしてこなかった。けれど今は時間がたっぷりある。ときどき散歩に出かけ、近くの川原沿いで日が暮れていくのをゆったりと眺めるのが好きになった。

 日が沈むのを今か今かと待つ夜と、もう少しだけと沈むのを惜しむ太陽がせめぎあい、空はブルーとピンクが混ざり合った色に染まる。その曖昧で神秘的な空色は一日のうちでほんの数分間しか見られない。しかもその日の天候や季節によって毎日少しずつ異なる。

 せわしない毎日を送っていたらきっとこの数分間の美しい空を知ることはなかっただろう。そう思うと辛く悲しい記憶に苛まれていても、少しだけ心が和らぐのだった。

 もう一つの発見は、家と本屋の中間にある小さな公園に猫がいるということだ。

 幼い頃はよく両親とこの公園で遊んでいた。成長と共に公園に立ち寄る機会はめっきりと減ってしまい、事故があってからは意識的にその公園を避けるようになっていた。

 ところがある日散歩の途中で一匹の野良猫に出会い、猫の後をつけていくとその公園にたどり着いてしまったのだ。始めは公園に足を踏み入れることをためらった。両親との記憶がよみがえってきそうで怖かったのだ。けれど公園の中央にそびえたつ大木の木陰で丸くなった猫につられ、私は公園の中に足を踏み入れた。

 猫に近づきそっと背中を撫でる。猫は怯える様子もなく気持ちよさそうに喉を鳴らす。そんな猫を撫でながら見渡す遊具は確かに過去の記憶をそこかしこに纏っていた。しかしそれは悲しいものではなく、かつてここを両親と共に歩いたこと、確かに私は両親に愛され育ったのだという証拠がそこにあるようで、予想とはうらはらにいつまでもここにいたくなるような、そんな穏やかな気持ちが胸に宿っていた。

 それ以来私は度々その公園に立ち寄るようになっていた。ときには公園に行くことが目的で外へ出ることも。いつ公園へ行ってもそこにはあの猫がいて、私が来るのを待っていてくれたかのようにすり寄ってくるようになった。

 この夏、私は毎日のように公園と川原沿いを訪れていた。猫を可愛がり日暮れを待ち、空の色がすっかり夜になるのを見届けてから家に帰る。とても大学生の夏休みとは思えないのんびりとした毎日だったが、私はその生活が好きだった。

 いつか本が読めるようになったらあの大木の木陰で猫の隣に座り本を読む。それは想像するだけで思わず笑みがこぼれてしまいそうなくらい素敵な光景に思えた。

 一人で暮らしていると余計に、私は独りではないのだと感じるようになった。

 伯母はいつも私のことを気にかけ連絡してきてくれるし、牧田さんとはときおりメールをしたり珈琲店で他愛ない会話を交わしたりしている。そして一人で公園に行けばいつもの猫が待っていてくれる。

 なんだか私は心強かった。

 夏の始まりに牧田さんに教えてもらった小説を読もうとして断念してから二か月あまり、私はその小説を手にしていない。このところ調子も良いみたいだし、ひょっとすると少しは読めるようになっているかもしれない。

 次に公園に行くときは、小説を持って行こう。両親の温かい記憶が残るあの場所で、いつもそばにいてくれるあの猫と一緒にならきっと読める、ふとそんな気がした。


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