迷宮
田圃の向こうにヤグラがみえた。ビーチの監視塔のような、鉄骨で組まれたものだ。ノボリには「コーン迷路」とある。
私は外回中だ。「コーン迷路」は市が運営する、夏限定のアトラクションである。夏の暑い盛り、トウモロコシの茎は2メートルの高さになる。それを巨大迷路に利用するわけだ。評判は良く毎年大勢の子供たちが訪れる。
懸念がある。何せこの炎天下、田圃に囲まれたトウモロコシ畑、日陰などどこにもない。そして迷路。迷路から出れない者はどうなってしまうのか?真夏の悪夢だ。ヤグラにシャトルバスが止まった。子供たちがゾロゾロ降りる。子供たちの運命やいかに。
高校の夏、とんでもない事が起きた。テニス部だった私は、バスケットボール全国大会への出場権を得たのだ。
部員数名の弱小テニス部。しかし私を除いて、先輩たちはみなスポーツ万能だった。それが発揮されるのはテニス以外だったが。先輩たちは特にバスケットボールを好んだ。わが校のバスケットボール部は全国大会常連の強豪だったが、ある理由でその年の全国大会に出れなくなってしまった。そこで目をつけられたのがテニス部だ。何せ先輩たちはバスケットボール部員にも引けを取らないほどの腕前。我々テニス部は、バスケットボール部の代わりにバスケットボール全国大会に出ることになったわけだ。
大会前日。大会会場にほど近い、首都圏のマンモス校が出場校の宿舎としてあてがわれた。教室一つがロッカールームと宿を兼ねる。入口には「歓迎○○高校」とある。「まさか本当に俺たちが出るなんてな」、「ここまで来たらやってやろうぜ!」先輩たちが意気込む。彼らにかかると非現実的な事も現実になりそうな説得力がある。頼もしい。
トイレに行きたくなった。さて、トイレはどこだ?階段を上がって、渡り廊下を通って、階段を下りて、別棟に行って・・・、校舎内にコンビニ、カフェテリア、食堂、床屋、シャワールーム、文房具店、あらゆるものがある。さすがマンモス校。ここで生活できるのではないかと思われるほどだ。トイレで用を済ます。帰りは少し迷ってしまった。トイレの度にこれは少し億劫である。
大会当日。朝。初戦は午後からだったが、早めに身支度して教室を出る。途中、バスケットシューズを忘れたことに気づく。「忘れ物したので先に行ってください」先輩たちに告げ教室に戻る。階段を下りて、渡り廊下を通って、階段を上がって・・・、教室はどこだ?旧校舎、ボイラー室、実験室、図書室、知らないところにばかりに行きあたる。いったん正面玄関に戻ろう。「××(私)がカギになるかもな」部長の言葉が思い出される。私は戦力にはならない。が、交代枠として、先輩たちを休ませる、という意味では確かに頭数がいたほうがいい。いかに万能の先輩たちでもスタミナは無限ではない。一刻も早く戻らなくては。
正面玄関、だと思っていたところは地下鉄の駅だった。多くの人々が行き交っている。さすがはマンモス校、地下鉄と直結しているとは。複雑化した構内を「駅迷路」と呼ぶそうだが、目の前の光景はまさにそれだ。いやいや!そんな事を呑気にいっている場合ではない・・・
昼。進めば進むほど、ブティック、レストラン、土産物店、宝石店、化粧品売り場、が増え、校舎の面影は薄れていった。もしかするとすでに、校舎から逸脱し、本格的に「駅迷路」に迷い込んでしまったのか。生徒たちの中にも私のようなウッカリ者がいるはずである。ウッカリ者のために何か救済措置があるはずだが。
「○○高××(私)!至急会場に来なさい!」突然アナウンスが流れた。私が行方知れずである、その事実がとうとう明るみになった。早く教室を見つけなくては。無数の店舗、行き交う人々の先に、非常口のピクトグラムがあった。緑色ではなく赤色の。ピンときた。これが救済措置なのだ。「先輩、待っててください!」非常口の階段を勢いよく駆け上がる。階段を上がった先に、果たして「歓迎○○高校」の教室はあった。やっとたどり着いた。これでようやく・・・、ドアを開ける、その先は屋上につながっていた。私が開けたのは、屋上への転送装置だったのだ。こんな未知の技術を取り入れるとは、マンモス校恐るべし。
「ハアハア、××(私)はまだか」、「××(私)なら来てくれるさ」。心地よい風に当たっていると、先輩たちが今置かれているヴィジョンが頭に流れ込んできた。もう試合は始まってしまった。私は彼らの期待に応えることはできない。屋上には扉も、階段も、非常口もないのだ。「○○高××(私)!失格にするぞ!」再びアナウンス。どうしろというのか?何処にも向かうことはできない。そのうち夜になり、花火が打ちあがった。ドン!ドドン!私のカウントに間違いがなけば、220発の花火が打ちあがった。
あれから長い時間が経った。私は、高校生の子供がいてもおかしくないくらいの年齢になった。「コーン迷路」の営業は終わった、私はようやく残業から解放された、本日開催の、市運営による花火大会が終わった頃、帰路に就いた。
車のヘッドライトが暗闇を照らす。道端を、浴衣を着た、高校生のカップルが歩いていた。花火は終わり、祭りも終わったのだ。花火は彼らのためにある。しかし私にもちゃんと届いた、打ちあがる音だけは聞こえていたのだ。ドン!ドドン!