第八話 伊邪那岐製薬研究所
丸いフォームに白を基調とした壁には、広い窓がいくつもつき、中に陽の光が入るような設計をしていた。
「ここか⋯」
白い息を吐きながら綾人は建物を見上げる。
視線を下ろしカードリーダの近くにあるインターホンを押すが応答がない。
「あー間に合わなかったか?」
時計に視線を向けた。時刻は17時、 たしかに終業時刻に指定している会社が多い時刻ではある。
綾人は窓から中を覗くとそこには、白衣を着た男性が血を流して倒れていた。
「?!大丈夫ですか?」
窓を叩くが、男性はまったく反応しない。
「どうするかな····仕方ない·やむを得ないってことで」
綾人は胸ポケットからハルから預かったカードを取り出すと、スっとカードリーダーに通した。すると、ピピピと音を立てカードリーダーについていた赤い小さなランプが緑色に灯ると、スーッと目の前の扉が開いた。
「大丈夫ですか?!」
綾人は慌てて倒れている人に駆け寄るが、すでにその体は冷たくなっていた。よく見るとその体は鋭い爪で切りつけられたような傷がついていた。
「どうなってんだ?」
綾人が辺りをみわたすが人の姿はない。
「とにかく鴉飛さんに連絡しないと」
携帯を取り出し、スイスイと画面を操作し四課の番号を入れ耳に当て、眉を顰め再び画面に視線を向けた。
「圏外?なんで·····仕方ない一回出るか」
ドア近くにあるカードリーダーにカードを通すが、ドアはうんともすんともいわなかった。
「んー?壊れてるのか?参ったな」
綾人は髪をクシャクシャと掻き回しシーンと静まりかえった周囲を再び伺った。
その時、あの廃神社にいた泥人形がユラユラと体を揺らしながら、こちらに歩いてきていた。
(おっと)
綾人はソロりと大きな通路を横切り、部屋がたくさん並ぶ通路に行くと1つの部屋の中に身を滑り込ませた。その背後で、クチャクチャと水気を帯びた足音を響かせ、綾人がいる部屋の前を通って行った。
ホッと息をつき綾人は辺りに視線を走らせる。
研究室らしく、壁際にはスライド式の扉がついた本棚があった。中には何やら小難しい本や書類が入っているのが見えた。引き戸を引くが鍵がかかっているのか扉はガタンと大きな音を立てた。
「開かないか·····」
綾人は肩を竦め、部屋の奥に行く。
部屋の奥にはデスクと椅子があった。その机の前には·····白衣を着た首のない·····元人間が地面に座っていた。
「·····ホント何があったんだ」
綾人は苦り切ったような表情を浮かべた背後で「クワァァァ」という鳴き声がした。
振り返るとそこには、カッと開けた口から牙が見え、ヨダレを垂らした泥人形が綾人に爪の長い手を振り下ろしていた。
綾人は身を引いてかわそうとするが、気づいたのが遅かった。肩に爪がかすめ服が敗れ血が滲む。
「っ!」
肩を抑え数歩、後ずさる綾人に泥人形は口を開け綾人に襲いかかった。
「っ!」
綾人は腰にさしていた刀を抜き横にし泥人形の前に突き出した。
泥人形が鞘に噛み付くと綾人は鞘から刀を引き抜き斜めに奮った。
ズルりと体がズレた泥人形はサラサラと砂に変わった。
「ったく····何なんだよ」
綾人はふぅと息を吐き、悪態をつくと鞘を拾い刀を鞘に戻すと、再び刀を腰に戻し、スタスタと死体に近づいた。
白衣を着た死体の左手には、鍵が括りつけられた紐を握っていた。
(なんの鍵だ?)
綾人が視線を滑らせると、本棚に目が止まる。
「これか?·····すみません、ちょっとお借りますね」
手から取ろうとするが、手は固く握られていた。
「すみません」
綾人は刀を抜き、紐を切った。そして鍵を拾うと本棚に行き、鍵を差し込み回すと、鍵はガチャリと音を立て開いた。
「ビンゴ」
綾人はニヤリと笑い、扉を開けた。
中には、小難しい本などが並んでいる上に無造作に書類が置かれていた。
「さて、何が出るかな」
書類が気になった綾人は手に取る。
その書類にはこう書かれていた。
【実験記録】
5月12日
31歳の男性に治験と称してカタシロを使用するも数時間後に、体内から爆発し死亡する。どうやら、呪いに耐えらなかったようだ。
5月22日
21歳 男性に使用するが、こちらははじめに頭痛や吐き気と共に視界に異常を訴えるもすぐに回復し以後は異常なし。
5月23日
味覚に異常を訴え食欲が減少する。検査をするが異常は見られないため、呪いの進行によるものと判断する。
5月24日
人の声がうるさいと騒ぎはじめる。どうやら幻聴の症状も出ているようだ。これもの呪いの進行によるものだろうか。
5月25日
「人が食べたい」と暴れ出したため、鎮静剤を打つ。呪いの進行によるものの可能性がある。
5月26日
完全な「呪鬼」が完成する。しばらくは暴れていたが、所長には従順らしく所長の言うことは大人しく聞く。
5月27日
人を中に入れ喰わせて味を覚えさせる。なぜか内蔵だけしか食べない。
6月5日
試しに九泉ではなく人間界で人を喰わせる。しかし、刑事に見つかりやむを得ず襲わせ逃げる。
6月11日
今度は人間界の住宅を襲わせ2人を喰わせるが、また邪魔が入り襲い逃げる』
その時、綾人の頭に強烈な痛みが走り蹲る。吐き気と大量の記憶が雪崩のように押し寄せた。それは⋯綾人が実家に帰ったあの日。目の前にあった両親の亡骸、そして⋯鬼から振り下ろされた鋭い爪·····。
「·····そうだ。俺はあの時、切りつけられたんだ。·····ならなんで俺は生きてる?辛うじて逃げた·····のか?」
しかし、そんな記憶はない。
「とにかく、こっから出る方法探さないと」
頭痛と吐き気が収まるとフラフラと立ち上がり綾人はデスクに足を運んだ。
机の上には何もないので、脇にあったラックの引き出しを開けた。そこには、研究の合間につまむ用だったのか、飴やガムなどが入っていた。そして一番下の少し広い引き出しには、桐の箱と1冊の書類が入っていた。
「何だこれ」
箱を開けるとそこには綿に包まれた勾玉が1つ入っていた。
「何に使うんだ?」
首を傾げると綾人は書類に目を通す。
『 ##月##
新たな被験者で今度は前被験者の先の実験をする。勾玉で正気に戻すまでは同じ工程だが、その後に天十握剣で被験者のカタシロを刺すと、苦しみはじめやがて人間の姿に戻る』
「コイツら人の命を何だと思ってんだ」
綾人は胸糞悪さを覚えなが眉を曇らせる。
その時、背後からしたカラカラカラという乾いた音にギョッとした表情を浮かべ振り返る。
それは背後にあった死体が、まるで水風船が膨れ上がるようにブクブクと膨れ上がり、泥人形に変わる音だった。
頭がボコンと生えた泥人形は、カーっと綾人に威嚇をし、噛み付こうと突っ込んできた。
綾人は身をひねり避けると、腰から刀を抜き中心を失い前のめりになった泥人形の首を切り落とした。
どさりと崩れ落ちた泥人形はサラサラと砂の山に変わっていった。
「いや····そんなことあるかよ·····。とにかくここを出るか」
無意識に綾人はポケットに勾玉をしまい部屋を出た。
外にはクネクネとしたおかしな動きで泥人形4体が歩いていた。
(なんかあいつら増えてやがるな。仕方ない。2階に行くか)
泥人形が通り過ぎたの確認をすると、綾人は入口付近にある階段をあがり2階へ行った。
そこは同じような構造になり部屋がいくつも並んでいた。
綾人は目に入った手前の部屋に入った。
部屋にはいくつもガラスのケースがまるで試験管のように立っていたがなせかどれも空で、中にはガラスが割れている物もあった。
「⋯なんだ?呪鬼?だったかが逃げ出して暴れたって感じなのか?だとしたらとんでもないことが起きてることになるが」
嫌な予感が拭えないまま奥に歩いていくと、まるで実験室には似つかないデスクが置いてあった。
綾人は引き出しを片っ端からあげて行くと、また一番下の引き出しから黒い鞘におさめられた刀が出てきた。
「刀?」
鞘を見ると金色で「天十握剣」と刻まれていた。
「なるほどな。これが呪鬼を切れる刀か。⋯申し訳ないがちょっとの間貸してもらうか」
綾人は刀を手に立ち上がり入ってきた入口に向かうと、入り口辺りに備えつけの小さな扉があることに気がついた。扉を開けるとそこには、「地下室」と書かれたネームタグの下にレバーがあった。
綾人は考える間もなくそのレバーを下ろした。すると、ガダンと大きな音がどこかでするのが聞こえた。
(なんだ?⋯1階か?⋯行ってみるか)
部屋を出て階段を下りるが、そこには何もなかった。
「⋯1階じゃないのか?それとももっと奥か」
勾玉を見つけた部屋があった廊下を進んでいくと、先程は行き止まりだった廊下の先がぽっかりと口を開け、地下にいく階段が覗いていた。
「さてさて、この先には何が待っているのやら」
引きつった笑みを浮かべ綾人は呟いた。
その時、ふらりと人影が階段横の部屋から出て来た。
「?!」
綾人はその人影を見て息を飲んだ。それは頭には角が生え口からは鋭い牙が覗いてた⋯志鷹だった·····。