第九話 呪鬼
衝撃が····雷のように綾人の心を襲った。
「志鷹·····さん?」
綾人は震える声で名前を呼ぶが、志鷹は、まるで獣のように低く唸り右腕を振りかぶった。
後ろによろけるように爪を避けると、綾人の目の前をシュッと宙を志鷹の爪がかすめた。
「志鷹さん!」
ジッと紅くなった志鷹と目を見るが、志鷹は聞こえないのか、すかさず左手も振りかぶった。
「っ!やめてください志鷹さん!」
いくら綾人が叫んでも志鷹は声にまったく反応しない。
志鷹から視線が外せない綾人に近づき、志鷹はまるでサッカーボールを蹴るかのように綾人の腹を蹴り上げた。
「がはっ!」
ゴロゴロと地面を綾人は転がる。
衝撃と痛みでうめいている綾人にくわぁと口を開け、志鷹は鋭い牙を見せながら突っ込んできた。
綾人は持っていた刀を鞘ごと抜き志鷹の口を塞ぐ。
(バカ力すぎだろ!)
カタカタとチカラ任せに押され刀が鳴る。グッと綾人が押される。
その時!
「グワァァァァ」
悲鳴のような雄叫びをあげて志鷹は廊下の入り口まで飛び退く。
綾人は目を見開き志鷹を見た後に刀に目を落とした。
「志鷹さん、これ····怖いのか?」
志鷹に視線を向け刀を志鷹に見えるように突き出した。
すると、まるで水に怯える狂犬のように小さく唸りながら志鷹は一歩下がった。
「あの記述は本当だってことか。でも俺は·····」
苦笑いに似た笑みを浮かべ、真っ直ぐ志鷹を見る。
「俺は志鷹さんを切りたくない!」
志鷹は駆け寄ると綾人に腕を振り上げた。
綾人は這うように避けた時、ポケットから何かが転げ落ち手に触れる。見ると、それは何気なくポケットにしまった勾玉だった。
(あ、持ってきちゃったのか。わっ!)
綾人は体をグッと捻った横から志鷹が両手を組み、まるでハンマーのように綾人に振り下ろした。凄まじい音とパラパラとかけらが落ちる音がした。
見てみると、そこには大きな穴が空いていた。
唖然としている綾人の首を志鷹な掴み上げる。
太くなった志鷹の腕に力任せに締めつけられ綾人は落ちそうな意識の中、志鷹の腕に触れた。
「グワァァァァ!」
悲鳴に似た咆哮を上げ、志鷹は綾人をぶん投げた。
「ゲボッゲボッゲボッゲボッ」
酸素を求めるように綾人は激しく咳き込んだ。
激しく息をしながら視線をあげると、志鷹を黒い霧が包んでいた。
やがて、包んでいた黒い霧が晴れ、そこには半分は鬼の姿、半分は人間の姿となった志鷹が立っていた。
「志鷹さん?」
恐る恐る声をかけた綾人に向けられた志鷹の顔には、不安そうな表情が浮かんでいた。
「探·····偵?」
「よか··っ···た」
ふっと笑みを浮かべた綾人は限界をむかえた。
グラリと傾く体、途切れゆく意識の中で、志鷹が自分の名前を呼ぶのが聞こえた気がした。
そこで綾人の意識は暗闇に放り投げられた。
綾人は闇の中に立っていた。
闇の中、どこからコソコソと話し声が聞こえた。
(誰だ?·····あれ?俺は何でここにいるんだっけ?)
「本当にそれでいいんですか?」
まだぼーっとした意識の中、牽制するような低い声が聞こえた。
「俺は鬼だ」
(志鷹さん?)
低い声で志鷹は続けた。
「また誰かを襲っちまう前に殺せ」
(·····ダメだ)
綾人は目の前にいる志鷹の服の裾を掴んだ。
志鷹はハッと身を捻り綾人を見ると、安堵の表情を浮かべた。
「気がついたか」
綾人は志鷹に捕まりフラフラと立ち上がる。
「おいおい」
志鷹は綾人の脇の下に手を入れ支えた。
「志鷹さんに手を下すのはちょっと·····待って·····ください。治す方法を····知っています」
綾人は吐き気を抑え、もう1人の声の主····鴉飛をまっすぐ見つめる。
そこへ慌てて椅子を手に甘美瑛が綾人に近づいた。
「とにかく座れ」
「ありがとうございます」
志鷹は綾人を座らせると綾人は、か細い声で礼を言った。
「で·····そんな方法があるのか?」
志鷹はふぅと息を吐いた。
綾人は頷くと、見つけた資料の内容を話して聞かせた。
「まさか本当に人体実験をしているなんて」
いつもは冷静な鴉飛の口調に軽蔑が混ざった。
「そうたね」
普段はニコニコしてい甘美瑛も、難しい顔をしていた。
ふと、志鷹に綾人が視線をむけると、志鷹は頭を抑え顔を顰め立っていた。
「大丈夫ですか?志鷹さん」
「····あぁ」
「まさか····俺たちを喰いたいとか言わないですよね」
志鷹はジッと綾人に視線を向けた。
「たしかにうまそうだな」
「「「えっ?」」」
志鷹の言葉に全員が思わず志鷹から距離をとった。
その慌てように志鷹は思わず声を出して笑いだした。
「冗談だ。で?俺はどうすればいいんだ?」
「記述が正しいなら志鷹さんが持っているカタシロにその刀を刺したら志鷹さんは元の人間に戻るんです」
綾人は少しムッとした表情を浮かべた。
「そう言われてもな」
困り顔をしながら、パタパタと志鷹は体を叩いた。と、ワイシャツの胸ポケットに入れた手がハタと止まり、志鷹は3人に視線を向けた。そして、スーッとポケットからカタシロを出した。
「それだ。志鷹さん」
綾人が手を差し出すと、志鷹は頭を抑え数歩下がった。
「大丈夫ですか?」
「来るな!」
志鷹に近づこうとする綾人を志鷹は叫び制した。
「どうやら鬼の俺は何がなんでもこれをわたしたくないらしい」
自傷的な笑みを浮かべ志鷹は全員を見た。
「今、お前たちを襲いたくてたまらない」
そう言い志鷹は少し考え顔を上げた。
「⋯探偵。その刀貸せ」
「ダメです!何をするかわかりませんよ!」
鴉飛は綾人に振り返った。
綾人はまっすぐ志鷹の目を見つめると、持っていた刀を志鷹に投げた。
「月見里さん!」
叫ぶ鴉飛に綾人はニヤリと笑って見せる。
「俺は⋯志鷹さんを信じます」
志鷹は笑みを浮かべると、すぐに真顔に戻り刀を鞘から抜いた。
構えるように鴉飛は志鷹と同時に刀を抜いた。
刀を振り上げた志鷹は、カタシロを持っていた手に突き立てた。
「っ!月見里!」
志鷹が落としたカタシロと刀を拾いに走った綾人に志鷹は鬼となった手を振り上げた。しかし、その刃が届く前に
鴉飛が二人の間に割って入り、志鷹の伸びた爪を刀で受け止めた。
押し合いをしながら二人は何か話していた。
「やれ!月見里!」
「はい!」
頷くと地面にカタシロを置き、その胸に刀を突き立てた。
「ぐっ!」
短く呻くと、志鷹は胸を抑えそのまま倒れ込んだ。
「志鷹さん!」
志鷹を受け止めた鴉飛は志鷹を地面に寝かした。
駆け寄る綾人の横で甘美瑛は急いで呼吸など確認し、ホッとした表情で綾人を見た。
「大丈夫です。気を失ってるだけだよ」
「よかった」
ホッとすると綾人はその場に座り込んだ。
「そういえば、鴉飛さんと甘美瑛さんはなぜここに?」
綾人は二人に視線を向けた。
「月見里さんが署になかなか戻らなかったので連絡をしたんですが、電話も通じなかったので、班長に許可をもらってこちらに来たんです」
「来てよかったよ。志鷹さんは鬼になってるし、君はポロポロになって倒れてるし」
「ははは·····」
申し訳なさそうに綾人は苦笑いをする。
「でも本当に助かりました。ありがとうございます」
「いやいや。間に合ってよかったよ」
いつものようにニコニコと甘美瑛は言った。
「あとはここを出たいんですが入口のドアが開かなくて」
「おそらく、結界が張られていて張った本人に解いてもらわない限りは出れないと思います」
「結界?」
綾人がオウム返しをすると、鴉飛は頷いて見せた。
「見えない幕みたいな物で、入ることはできても、中から出ることを防ぐことができるんです」
「何でそんな物を?·····この惨状を隠したかったのか」
綾人は顎に手を当てた。
「あるいは俺か·····もしくは月見里を逃したくなかったか」
不意に背後から飛んできた意見に驚き、全員が振り返った。
そこには目を覚ました志鷹が座っていた。
「志鷹さん!大丈夫ですか」
「あぁ。おかげさまでな」
志鷹は笑みを浮かべ、タバコをトンと箱から出すと、咥えて火をつけた。ふぅと白い煙を吐くと満足そうに笑った。
「どうやら元に戻ったみたいだな。ありがとうな」
「いえ、よかったです」
綾人も笑みを浮かべた。
そして、志鷹から鴉飛と甘美瑛に向き直った。
「鴉飛と甘美瑛さんもありがとうございます。」
「いえ、私はなにも」
そう言い、鴉飛は首を横に振った。
「僕もだよ」
ニコニコっと甘美瑛はいつもの屈託のない笑みを浮かべた。
志鷹はふと微笑んだ。
「いや、本当に助かった。ありがとう」
「いえ」
その場で全員が笑みを浮かべた。
「さて、役者は揃ったことですし、ここから脱出したいんですが、出るためには結界を張った犯人を探さないといけないですね」
「心当たりは?」
志鷹の一言に全員が黙った。
「んー。なら地下じゃないかな」
静寂を切り裂くように甘美瑛がポツリと漏らした。
「なせだ?」
志鷹の問いに鴉飛が切り出した。
「勘がいい班長が言ってたんだ。地下に気をつけろってことは、地下に気をつけないといけない相手がいるんじゃないかな」
「なるほど。それが結界を張った人物ってことですね」
「うん」と甘美瑛は頷いた。
「そんなに鬼瓦さんの予感って当たるのか?」
すると今度は、鴉飛が頷いた。
「90%ぐらいの確率で当たります」
「お酒を飲んでると、もっと確率が上がるんだよ」
ニコニコと付け加えた説明に綾人は少し困ったように笑った。
「⋯なんかそこはさすが酒呑童子って感じですね」
綾人の言葉に鴉飛と甘美瑛は苦笑いをした。
「そんじゃまぁ、行きますか」
志鷹はニヤリと笑い立ち上がった。
「その前に志鷹さん。これ」
綾人はそう言うと自分の腰から下げていた拳銃入りのケースを志鷹にわたした。
志鷹は受け取ると手慣れた手つきで腰につけた。
「さっ、行きますか」
志鷹の言葉を合図に立ち上がり、4人は地下へ続く入口に向かった。