第四話 道程
「起きてー、おはよ〜、ってもう昼だけど」
そうはにかんで笑う可愛らしい声だけ切り取れば恋人に起こされる素敵な休日のようだが、残念ながら今の状況は全く違う。声の主は昨日殺されかけた物騒な女、千歳で蒼が寝ていたのはダブルベッドの上なんかではなく、殺風景な部屋の椅子だ。横になってすらいない。
もう昼、おはよう、蒼は寝ぼけた頭をぐーるぐるとゆっくり回し、ようやく状況に気づいてハッとした。
「っ俺、寝て、なんで」
「うん、それはもうぐっすり」
千歳はにっこりと微笑んでスマホ画面を見せた。日付は蒼の最後の記憶から翌日、時刻はきっかり昼の13時である。
「恥ずかしがることないよ、眠れるようこの椅子に術がかかってるの」
たしかに、不自然なほど急に眠気が訪れたように思える。こんなよく分からない状況で呑気に眠った自分が馬鹿のようだが、まんまと術にハマったという点でやはり馬鹿だ。
蒼が焦って辺りを見渡す。泉水や木槿はおらず、昨日眠る前に見た最後の景色と同じ何もない部屋だ。顔を動かした際、首をぐるりと囲む違和感に気づいた。自分の首は鏡がないと見えないが、何かを首に巻かれていることだけは分かった。
「首、最初は気になるよねー。まあそのうち慣れるよ」
「何が……」
千歳はポケットからスマートフォンを取り出して、カメラを開いた。インカメにして、蒼が自分の様子を見られるようにしてやる。やはりというか、首をぐるりと取り囲んだ黒い首輪がそこにあった。
「それ無理やり外そうとすると首プッツンだから気をつけてね。あ、タートルネックとか大丈夫な人?」
ニコニコと千歳がそう言ったが、蒼は何も返さなかった。蒼は何とか今の状況を改めて理解しようとする。組織に飼われるか死ぬかを選べと熊男に言われた。そして死ぬのを断って、今。
「普段は見えないようになってるけど、私もつけてる。ほら」
千歳は髪をかき分けて、蒼に首を見せた。何もなかったそこに、千歳が触れると黒い首輪が浮かび上がる。
「蒼君も今は仮の首輪だからそんなゴツいけど、泉水君からきちんと首輪もらえたら見えなくできるからね」
「首輪って、なんで」
「飼われる、ってことになったでしょう。外道院は飼われるの、この組織に」
さあ行こう、と千歳はロクに説明もしないまま蒼に立つよう促した。千歳が言っているのは金剛とかいう熊男が言っていたことだろう。金剛は『組織に飼われるか、ここで死ぬか』を選べと言った。
(まさか飼われるって、ガチの犬みたいに……)
犬小屋で浅い器に水と餌を盛られて飼われる己の姿を想像して、蒼は身震いする。そんな人権を捨てたような姿になるくらいなら死んだほうがマシだ。千歳に急かされて、蒼はまだよく分かっていないままついて行く。
(あれ……痛くない?)
蒼はそこでようやくスムーズに歩ける足に気づいた。昨夜負った怪我は捻った足と、泉に打たれた脇腹。ここに来るまでずっと鈍い痛みが続いていたのに、今は全く痛くない。一晩で治るとは思えないし、経験上この手の怪我は翌日腫れてもっと痛むのだ。
「怪我は組織の術士が治してくれたんだよ、後でお礼言いに行こうね」
千歳は蒼の疑問に気づいてそう言った。そもそも怪我を負わせたのはお前らだろうと蒼は思ったが、文句を言ったとて仕方がないので黙って頷いた。
「調査は済んだから正式に君は今日から組織の一員です。本部の中の案内は私に任されてるから、ざーっと案内するね」
そこで「あ」と思い出したように千歳は呟いた。振り返ってにっこり蒼に微笑む。
「外道院 千歳です。君と同い年、気軽になんでも聞いて」
やはりというか、千歳も”外道院”姓だ。蒼はその手を取らずに椅子から立ち上がった。10センチは低い千歳を見下ろすが、千歳は怯むことなくニコニコしている。首輪もあるし、今ここで千歳をどうこうしても逃げられない。蒼は目を細めて、ふうと息を吐いた。
「泉水は?」
「今日1限からなんだって、朝早くに出てったみたいだよ。ゼミの集まりもあるって言ってたけど、まあ夜には帰ってくるんじゃないかな」
1限、ゼミ、大学生らしいワードを理解はできるが蒼には聞き馴染みがない。そうか、アイツは普通に進学したのかと、だからどうというわけでもないが蒼はそう思った。「私は今日全休なんだ」と付け加えられた言葉から千歳も大学生なんだと蒼は察する。
「まずはお昼ご飯食べに行こっか。お腹空いたでしょ?」
そう言われて確かに昨日の夜から何も食べていないのだと思い出す。ぐっすり寝ていたので蒼の体感時間ではあまり経っていないように思えたが、空腹は感じていた。
昨日来た道を戻っていく道すがら、千歳は「あっちが事務室」「あっちが資料室」と軽く説明して歩く。そのうち昨日熊が出没した地点まで到着して、蒼はドアの方を見た。別に何を考えていたわけではない、ただ昨夜はこの入り口から入ったのだと思っただけ。すると千歳が言った。
「諦めた方がいいよ」
驚く蒼だったが、千歳は背を向けたまま、蒼の顔を見せずに言葉を続けた。
「その扉は”外道院”には開けられない。それに戦闘員は、木槿と泉水くんだけじゃないから」
お前には開けられないし、変に暴れたら他の戦闘員が出てくるからおかしな考えをするだけ無駄だ、ということだった。遠回しなようで直接的な警告だった。
「お腹空いたから早く行こっか!」
千歳はくるっと振り向いて、先程の会話がなかったかのようににっこり笑顔を見せると、食堂まで蒼を連れて行った。
「じゃーん、組織自慢の食堂でーす」
千歳はひらひらーと手を振ってにっこり笑顔で食堂を示した。四角い長テーブルに椅子が並び、丸テーブルには三つ四つ椅子があり、個別の席もある。食事の注文や受け取り場所からは厨房の様子が覗けるし、ショッピングモールのフードコートみたいだと蒼は思った。
昼時とあってか人もまばらに座っていて、「あれ、新入り?」「よろしくー」なんて声をかけられる、蒼は戸惑いながらも会釈しておいた。スーツを着ている人が多かった。
「定食から小鉢、頼めばランチボックスも用意してくれるの。安くて30円とか、高くても500円いかないよ」
「安っ」
長年一人暮らしで、年々物価の上昇により家計を圧迫する割合の増えている食費をよく理解している蒼は素で驚いた。写真付きのメニューを見ても、そんなに質素には見えない。自炊するより安いからここで食べる人がほとんどだと千歳は言った。
「上に畑があってさ、野菜の多くがここで作ってるんだよね。米とか肉とかも小売店挟まないで直で買ってるから安いし、ソーラーパネルもあるから電気はだいたいそれで賄ってるし、あと人件費も……この通り」
「?」
千歳に促されて厨房を覗く。遠目では気づかなかったが、近くに寄るとすぐに分かった。
「……式神?」
遠目では普通の人に見える。けれど近くで見るとその違和感がわかる。顔がのっぺらぼうなのだ。口と耳はあるがそれ以外がない。額には紋様が刻まれており、何かしらの術で動いているのはたしかだ。式神なら確かに人件費はかからないだろう。
「そ。良かった、基本的な知識はあるみたいだね。泉水くんなんてなーんにも知らないで来たから驚きっぱなしだったよ」
何も知らなければ確かに驚く光景だろう。のっぺらぼうなんて怪談でしか聞かない。
千歳が「新入りはなんと一ヶ月無料!」と言うので、蒼は1番高い牛ステーキ定食を選んだ。得体の知れない場所で呑気に食べていいのかと少し悩みもしたが、厨房から漂う良い香りに負けた。蒼が牛肉なんて最後に食べたのは去年のことだった。依頼人の気前が良く、報酬に色をつけてくれたときに食べた焼き肉ぶりだ。
千歳は野菜炒め定食をもって、三人がけの丸テーブルにつく。うまいことナイフでも手に入れられるかと期待したが、残念ながらステーキは切られて提供された。昨夜千歳の持っていた鋭い武器を思うと、あまり鋭くないフォークでは武器になるか微妙なところだ。
そんな蒼の思考なんて気にもせず、いただきます、と手を合わせて千歳はさっさと食べ始めた。蒼もそれに続いた。
「お給料とかの話は後で事務員さんから説明あると思う。取り敢えず仕事の説明だけざっくりするね」
千歳は定食についてきた味噌汁を啜って、そう話し始めた。
「まず前提として、知ってるとは思うけど私たち外道院は原則、術士であることが許されていない。今も公的に術を使っていいのは正道の家系だけ」
(公的に、ね……)
あまりに馬鹿らしくて蒼は笑えてくる。そんなきまり、誰も守ってやいやしない。蒼も高校を中退して術士として生活し始めて約2年、何度か同業者と遭遇することもあったがほとんどが外道院だった。正道の術士なんて正道狩りで狩られてるせいか、ほとんど見かけない。
「で、この組織は正道のための、正道が集まってつくったこの世で唯一の組織。名前はない。そして私たち組織に所属する外道院は特例として術の行使を許されてる」
術士でありたいなら組織に飼われることだけが生きる道、千歳はそう言うのだ。蒼は別に術士であることにこだわりなんてないのだが、もう2年もそれで食ってきたわけで、現行犯で組織に捕えられているため選択肢などなかった。
「組織の仕事は正道狩りから正道を保護すること、かつ秩序を保つこと。その仕事の一つとして、”術士を生業とする外道院”を罰することになってる。裁判も弁護士も通さず即死刑———君みたいな罪人は、ね」
蒼はごくりと唾を飲んだ。
一緒にのんびり食事をしていると忘れかけるが、昨夜蒼はこの女に殺されかけたのだ。泉水が止めなかったら間違いなく殺されていた。千歳は躊躇いもせず、蒼に刃物を突き立てようとしたのだ。
「……ここで働いてるってことは、お前もその罪人とやらなんだろ?」
「失敬な、私は違うよ。組織の外道院は蒼君みたいな罪人上がりと、親の代からの二世組で半々なの。私はちなみに三世」
千歳は祖父の代からこの組織に属しているのだ。蒼はそれを聞いて納得した。千歳からは昨夜からずっと、蔑むような目線を感じていた。同じ外道院だと名乗る割に、壁を作られている感覚があったのだ。今の言葉でよく分かった。
(お前みたいな犯罪者と一緒にするな、ってわけね)
蒼は見定めるように千歳を見ながら、ステーキを口に放った。そのときだった。
ビーッ、ビーッ、ビーッ!!
「!!?」
けたたましく鳴るサイレンとあたりを照らす赤いランプ。蒼は驚いてフォークを落とした。サイレンのなった瞬間、千歳の表情は瞬時に変わった。
「火事?」
「違う、”正道狩り”!!」
まだ食べ途中の定食を置いて、千歳は「来て!」と叫ぶと立ち上がる。蒼は残されたまだ湯気の立つステーキを惜しみながら、渋々千歳を追いかけた。




