第23話 伏線の回収
「……そうだな。これまでのあれやこれやを考えれば、反論が出来んな」
口元に手をやりながら呟く魔法省長官に、周囲の数名から反論が上がりかけるも、長官のひと睨みに沈黙を余儀なくされる。
「そもそも、隣国との交渉をどうするかという話は魔法省の管轄外だ。こちらに出来るのは『王弟殿下のご子息に外交経験を積ませている場合ではない』と、陛下に奏上することくらいだろうよ」
魔法省の長官がそう決断してしまえば、それを覆せる人間はこの場にいなくなる。
これで妖鳥の扱いについては陛下案件になった、というのは私にも分かった。
「さて、では――」
陛下に謁見を申し込もう。そう言って長官が立ち上がったその時。
ソレは起きた。
「⁉︎」
ものすごい地響きと共に足元が揺れたのだ。
これを「気のせい」などと言う人間は、少なくともこの部屋にはいなかった。
レシェートにケチをつけていた中の誰かが取り乱して何か叫んでいた気がするけれど、魔法省の長官やヴロス隊長あたりは、さすがと言うべきか落ち着き払っていた。
ただ眉根が寄っているのは隠しようもなく、あまり楽観的な想像をしていないことがそこからは窺えた。
「……ヴロス」
「言わんこっちゃない、としか言えませんね」
ヴロス隊長が肩をすくめるのと同時に、今度は地響き以上の咆哮が誰の耳にも届く。
「長官が危惧されている通り、どこぞの古代種の血を持つ妖鳥が怒っているようですよ? 誰が何を――なんてことは、説明不要でしょう」
「…………」
これには魔法省長官だけじゃなく、私も何も言えなかった。
(まさか)
どこぞの古代種の血を持つ妖鳥=シムルグ。
誰=王弟殿下の息子
そんな図式が浮かび、しかも否定する要素が見当たらない。
今まで妖鳥の声を聞いたことがない私としては否定をしたいところだ。ただヴロス隊長の表情を見ている限りは、それは諦めた方が良さそうだった。
どうしよう。まだ会ったこともないのに、私の中で王弟殿下のご子息の印象がどんどんと下がっていく。
「サルミン辺境伯令嬢」
「はいっ」
魔法省長官の声と視線に、内心の困惑を振り払いながら姿勢を整える。
「妖鳥が仮に暴れたとして、結界はどのくらい持ちそうか」
「……ええと」
長官どころか、部屋にいる全員の視線を受けてしまい、居心地悪く身じろぎしてしまう。
分かるわけがない、などと馬鹿正直に言うことも出来ず、何とか不穏ではない言い回しを考える。
「妖鳥に遭遇したこと自体が初めてですので……何とも……」
一瞬で破壊されるのか、少しは保てるのか、あるいは今のまま押さえ込むことが出来るのか。
出たとこ勝負でしかないのが正直なところなのだが。
「ただ、幼鳥の方は籠に入って、魔法師団で今預かって頂いていますけど……その子次第というか……」
魔力測定のため、鳥籠は魔法師団に置いてきた。
すぐ戻るからね? と声をかけて、納得したようには見えていたけれど、この妖鳥の咆哮は幼鳥にだって届いたはずだ。
幼鳥が手の内にある間は、妖鳥も本気では暴れないだろう。それなら、まだ結界を維持しておける可能性は高い。
だけど相乗効果で暴れ出したら……?
「あとはレシェート様に……聞いて頂いた方が……」
多少は保つと思ったからこそ、私に結界を張らせたのだと思わなくもないけれど、そんな確実性のないことは言えない。何にせよ、レシェートに聞くべきなのだ。
「…………」
どうやらそんな予想はしていたらしい。レシェートの名を聞いた長官は、何か苦いものでも呑み込んだかの様な表情になっていた。
「……教会に行ったんだったか?」
それを問われたのは、私ではなくヴロス隊長だ。けれどこちらも、何とも言えない表情になっているのは同じだった。
「まあ、そろそろ戻って来るだろうとは思いますが……」
「が?」
「そんななし崩し的に結婚させられるかと司祭に怒鳴られて、不機嫌に帰って来る未来しか見えませんのでね。そこに、どこぞの高貴な血を引くお方が何かやらかしたらしいと聞けば、八つ当たりの矛先がどこに向くかなど自明でしょう? 学園の校舎が跡形もなくなったりしないか、私は心配で仕方がありませんよ」
脅しでも何でもなく、本気でそう思っているらしいヴロス隊長に反論出来る人間がいない。
そもそも、王弟殿下のご子息がやらかしたのだと断定された訳でもないのに、この空気。
とにもかくにも、この目で状況を確かめに行くべきではないのか。
そう思った私が、おずおずと片手を上げて発言の許可を得ようとしたその時。
再びの轟音が辺りを満たした。
「!」
そして私の身体に、ピリリと痛みが走ったのだ。
「サルミン辺境伯令嬢?」
私のその僅かな変化を、魔法省長官は見逃さなかった。
「あの……」
「構わない。発言を許可する。今のこの状況に関係ある話だろう?」
さすが長官だと思わせる発言に、私は右の手で左腕を摩りながら答えた。
「状況が分からないので、詳しくは言えませんが……今、私の張った結界にもの凄い負荷がかかりました」
「負荷とは?」
「中から結界を壊そうとしているせいでの負荷なのか、結界の中での争いを外に出さないように防御したがための負荷なのかが分からないのですが……」
「うん? 外からではなく、中からの負荷と言ったか?」
「はい」
「内か外か、見なくても分かると?」
「そう……ですね?」
結界を張った本人なのだから、分からないわけがない。
そう思ったものの、どうやらそれは一般的な感覚ではないらしい。
この部屋にいる皆の表情が、私にそれを訴えかけていた。
「……長官」
硬直しかけた空気を破ったのは、この中で最初に我に返ったらしいヴロス隊長だった。
「明らかに結界の内側――魔法学院で何かが起きていますよ。恐らく陛下との謁見は、すぐとはいかないでしょうから、申し出だけ入れていただいて、先遣討伐隊から一人二人出して、様子を見に行くのがいいのでは?」
「そこにはサルミン辺境伯令嬢も含まれるのか?」
「それはそうでしょう。結界を張った当人のようですし」
「しかし妖鳥を不法に持ち込んだことやら、魔力の過少申告の件やら、これから事情聴取を受けねばならん家の令嬢を自由にさせていては、後々困るのは令嬢自身になるぞ」
長官の危惧はもっともだと思う。
私が妖鳥を持ち込んだわけじゃない。とはいえ、王都に来ている辺境伯家の関係者は私一人。
遊びで来たわけではない以上、私の方から王都での過ごし方をどうこう言えるはずもないのだ。
指定された建物なり部屋なりで大人しくしているのが無難に決まっている。
けれど今起きている事態の方が、それを許してくれそうになかった。
「むしろこの騒動の『原因』を突き止めて静かにさせれば、印象も変わるのではと思いますが」
「…………」
関わらせろ、と言う隊長に魔法省長官の方が口を閉ざしてしまったのだから。
「というか長官、既にそれしか無難に事態を収拾する術がありません」
突発事項に慌てふためくでもなく、次の行動を断言出来るヴロス隊長は、伊達にレシェートの上司はしていないということだろう。何だかとても頼もしく見える。
隊長が、レシェートの手綱を握れる数少ない人間として、王宮内でとても頼りにされていることを私はこの時知らなかったけれど、後で聞いたとしても、きっと納得しかしないはずだ。
「幼鳥連れて、妖鳥を落ち着かせに――」
ヴロス隊長が、次にどう動くべきかを長官に進言しようとしていた――まさにそこに、今度は部屋の扉がけたたましい音を立てて開け放たれた。
「ここにいたのか、我が愛しき妻よ!!」
「「「「「妻⁉」」」」」
裏返った声で「何を言っているのか」とばかりに聞き返したのは、一人だけではなかった。
「妻…………」
――私も含めて。




