第20話 危機感の相違
「レシェート・グルーシェン。サルミン辺境伯領から戻りました」
「……あ、ああ」
魔法学院には本当に妖鳥の親(?)鳥を置いただけ。
幼鳥は私が籠ごと抱えたままの状態で、次は魔法省の先遣討伐隊の執務室まで連れてこられていた。
妖鳥が暴れ出したらどうするつもりか、とは学院長も思っていたようだったが、そこはレシェートが「そのために幼鳥と引き離しておく」で、全て押し切っていた。
しかも魔法学院にいたわずかな時間、周囲に聞こえるように「嫁」「妻」「辺境伯家息女」を連発して、周囲を威嚇したおしていた。
こちらはほとんど口を開いていないのに、恐ろしい速度で名前と存在が広まっていく。
もう、いたたまれない――といった状況に陥っていた。
そうして魔法学院から移動した先、現在満面の笑みで佇むレシェートの向かいには、上司と思しき男性が一名。
マルク・ヴロス先遣討伐隊隊長だと、男性は目の前で名乗った。
「サルミン辺境伯家長女、エリツィナ・サルミンと申します」
名乗られたので、名を答える。
一応貴族の礼儀に則ったつもりだったが、ヴロス隊長はしばらくまじまじとこちらを見つめていた。
「……いや、本当に連れてくるとはな」
「隊長」
私が何かを答えるよりも早く、レシェートがズイッと間に立ちはだかった。
「まじまじと見ないで下さい。減る」
「いや、減らないだろ。何言ってんだ」
レシェートとヴロス隊長。これ、どちらも真顔なのはどうすればいいのか。
ただ、そう思ったのは私だけだったらしい。二人はそのまま、何事もなかったかのように会話を続けていた。
「お願いしておいた件、通りましたか」
「あれは『お願い』だったか? まあ、いい。今さらおまえに言葉の使い方をどうこう言っても仕方がないな。ああ、基本的には通ってると思うぞ」
隊長の方が諦めてる!
これでは私がここに来るまでの強引さをどうこう言ったところで、どうしようもないのだろうか。
口を挟む余地のない会話は、なお続く。
「基本的とは?」
「それはそうだろう。おまえ以外誰も令嬢の魔力を直接確認出来ていない。話はそれからと言われるに決まってるだろうが」
「魔法学院に寄ってきたんで、学長が見てますよ」
「つい今しがたのことを、それで問題ないだろうとばかりに断言するな。そもそもお偉方が話し合っていた時点では誰も見ていない」
「…………」
舌打ち!
上司相手に、それでいいんですか、副隊長サマ⁉
そんな私の心の声がだだ漏れていたのか、ヴロス隊長が面白そうにこちらへと視線を投げた。
「なるほど、少なくともおまえと違って至極常識的な令嬢であることは間違いないな。この場で身分を振りかざすこともしないか」
辺境と付くことで誤解する者もいると、私も家庭教師から聞いたことはある。
実際には、揉め事が起きやすい隣国や魔獣が多く出没する地域に接していることもあって、他の「伯爵」よりも広大な領域と大きな権限があり、辺境伯家の地位は高い。
つまり「辺境伯令嬢」を声高に叫べば、当主以外の多くの貴族がそれなりの態度をとらねばならなくなる。ここで私がごねれば、隊長と言えど強くは出られないということなのだろう。
もちろん、妖鳥の件やら魔力測定値の過少申告の件やらを抱えているサルミン辺境伯家が、そんな態度に出られるはずもないことは理解している。
ヴロス隊長は、挨拶以外ほぼ無言という、そんな私の様子を見て「常識的」だと判断したに違いなかった。
とりあえずは、ここでは間違った対応をしなかったということで、内心でほっと息を吐き出す。
ただレシェートの方は、不本意だったようだ。
「なんです、その、俺が非常識みたいな物言いは」
「むしろどこに常識的と思う要素がある」
しかも間髪入れずにヴロス隊長が返してくるので、どこかムッとした表情を見せ
ている。
……年上のはずなのに、何だか可愛らしいと思ってしまったのはここだけの秘密だ。言ってしまえば、余計に怖いことになるような気がする。
「すまないな、ご令嬢。相当なゴリ押しでここまで連れて来たのだろう? 嫁だなんだとほざいてはいるが、どうしても嫌なら言ってくれ。まあ、コイツが諦めるとは思えんが……現状改善の助力は試みよう」
「……あ、ありがとうございます……?」
やっぱり諦めてる!
そう思ったのが語尾に出てしまったのは不可抗力だと思う。
ただ、レシェートがまるで殴られでもしたかのような表情を見せたので、私も「ここは何か言わなくては!」と、慌てて両手を横に振った。
「いえっ、そのっ、嫌も何も思う暇もなくここまできたと言いましょうか……」
とはいえ、このフォローはあまり良くなかったらしい。
ヴロス隊長がじろりとレシェートを睨み、レシェートはさっと視線をあらぬ方向に逸らしていた。
「ええっと、そのっ、まずはサルミン辺境伯家がどうなるのかということがありますので……諸々考えるのはその後がいいかな、と……」
「ああ……まあ、それは無理からぬことではあるが……な」
ただ、そこでレシェートを叱責するのかと思いきや、ヴロス隊長は思わぬ反応を見せた。
「その、これは真面目な話として聞いて欲しいのだが」
「あっ、はい!」
「この後、魔法省へ行って魔力測定のやり直しをして貰う。これは決定事項だ」
それはそうだ。むしろそれが主目的で来たようなものだ。……多分。
微妙な心境はさておき、私は背筋をピンと伸ばしたまま、ヴロス隊長の言葉の続きを待つ。
「まあ、レシェートの様子を見ている限り、恐らくは魔法省も王宮も驚くような数値が叩き出されるのだろう。そうなると……だ」
幼少期以降まともに測定をしていないので、実際の数値は私にすら分からない。
苦い表情の隊長を見ていると、やはりここでも抑えた方がいいのだろうかと思ってしまう。
「レシェート以前に魔法省の上層部やら王族やらが囲い込んでくる可能性が……って、うおっ⁉」
「⁉」
恐らくヴロス隊長は事実を述べただけで、他意はなかったと思うのだが、その瞬間、私にも分かるほどの殺気が駄々洩れた。
「……俺がそれを許すとでも?」
「いきなりキレるな! あくまで、ご令嬢に危機感を持って貰うって話だろうが!」
あ、やっぱり今の殺気はレシェートから出ていたようだ。
とはいえギョッとしただけで、怯えたりしている風ではないのは、さすが隊長といったところだろうか。
「危機感……ですか?」
疑問に思って聞き返しはしたけれど、レシェートも同じようには思ったらしい。
発言の代わりに駄々洩れの殺気がそこでやや弱まっていた。
「現時点では、令嬢はまだ辺境伯家の人間。つまりは隣国と妖鳥の件をどう決着させるのかという話において、交渉の駒の一つとして数えられる状況にあるわけだ」
「!」
目を見開いたのは、私だけではない。レシェートもだ。
そんなレシェートを、ヴロス隊長が片手を上げて遮っている。
「嫁にすると宣言して、魔法学院でも大きな声で主張してきた分、おまえに有利ではある。だがまだ嫁ではない。隣国が慰謝料の一環で身柄を要求してきたら? ウチの王族が魔力欲しさに縁組を目論んだら? 令嬢が極めて不安定な立場にあることは間違いない」
隣国が、実際にやらかした妹よりも、魔力量を鑑みて私の方が役に立ちそうだからと要求してくる可能性は確かにある。
そしてそうなった場合、父や兄が妹可愛さに拒否しない可能性もまたある。
今のところ「魔力測定の再検査に来たサルミン辺境伯令嬢」が、私の立場であり、測定値の過少申告や妖鳥の違法持ち込みに関して辺境伯家が処罰をされる場合、その対象となりうる立場に、まだいるのだ。
「……私に出来ることはありますでしょうか?」
私は呼ばれて各部署で測定やら事情聴取やらされる立場だ。それ以外、どこに行く予定もない。
与えられた場所で大人しくしていろと言われれば、それに従う以外ない。
そのつもりで隊長を見れば、分かっていると言わんばかりの頷きが返ってきた。
「今のところは、余計なことをしない、言わないといった一般的なことだけではあるが……まあ、余計な言質を取られないようにしてくれれば助かる」
それは確かに一般的なことかも知れないが、妹のようにその一般的な振る舞いすら怪しい場合もあるので、隊長の懸念には大人しく従っておこうと私も頷いた。
「分かった、今すぐ教会に行こう」
「はい?」
ただ、一般的な振る舞いが怪しい人は、すぐ近くにもいたらしかった。
「おい」
首を傾げた私に、ヴロス隊長もツッコミを入れている。
「おまえは、俺の話を聞いていたのか。自重しろ、と俺は言ったんだが?」
「隣国への人身御供にさせられたり、王弟の息子にあてがわれかねないって話に俺が頷くとでも? だったら今すぐ教会に婚姻届けを出しにいけばいい」
「令嬢の意思はどうした!」
「口説くのは後でだって出来る。先に俺の魔力と権力と立場で囲い……んんっ、保護すれば万事解決だ」
「解決するか!」
囲い込む、とか不穏な単語が聞こえたのは気のせいだろうか。
魔法省の職員が、魔力測定に来て欲しいと告げに来なければ、二人の口論がどう転んだのか――考えようとして、私は止めた。




