第19話 最初が肝心⁉
「あの山の麓にある建物が見えるか? あれが魔法学院だ!」
レシェートが展開する飛行術は、本当にあっという間の移動を可能にしていた。
魔法学院自体は、王都の外れにある山の麓にあると聞いていた。
余計な遊びを覚えないよう、魔力暴走が起きても被害が少なくて済むよう、複合的な要素から周囲に何もなかった土地をわざと選んだということらしい。
「まあ、そこそこ魔力のあるヤツは勝手に抜け出したりするから、意味があるかどうかは微妙なところだけどな」
そう言って面白そうに笑うレシェートを見れば、彼自身も在学中、抜け出したことがあったのかも知れない。
「代々の学院長が結界を張りはするが、各学年一人や二人はそれを上回るヤツが出てくるんだよ」
それはそれで本人の魔力がずば抜けている証明でもあるため、学院側も「犯罪をおかさなければ」程度に目を瞑っているのだという。
「せっかくだから試してみるか?」
「試す?」
「結界抜け」
「⁉︎」
「その魔力量なら出来ると思うぞ?」
結界を破ることとは少し違うらしい。
扉を開ける感覚で、自分が通る範囲の結界だけを一時的に無効化するのだとか。
「私……張ったことはあっても破ったことは……」
「破る、というのは少し違うな。破ってしまえば、それを張っている人間に少なからず負担がかかるし、張りなおすのにも負担がかかる。今回は『抜ける』だけだ」
扉というものは、開けたらまた閉める。
同じ要領で、一時的に無効にした結界をまたすぐに元に戻す。
そうすると、今ある結界への負担は最小限で済むということらしい。
「扉を開けて……閉める……」
「あらゆる魔法は想像の延長線上にあると俺は思ってる。ただしその再現は、魔力量が最後にモノを言うんだとな」
私なら出来るはずだと、レシェートは断言した。
「ええと……それは、訪問の仕方としては一般的でないのでは……」
「いいんじゃないか? 訪問するんじゃなくて、妖鳥置いておくだけだし」
「…………」
私は何となく不安になった。
この人、一般常識をどこかに落としてきているんじゃないかと――
魔法師団所属となると、貴族の作法にはもともと疎いのかもしれない。
ただ、それにしても……だ!
辺境伯領から出たことのない私でも分かっていることを、彼は知らない。
いや、知っていても、有り余る彼の魔力が、実績が、多少の無作法も咎められないだけのものを築き上げたのか。
「……先触れは大事だと思います!」
これから「就職先」として紹介しようとしているところに、それでいいのか!
思わず叫んだ私に、飛行先と私とを見比べながら「ふむ……」と、レシェートは呟いた。
「分かった、それは俺がやろう。なのでとりあえず、結界を抜けられるか試してみてくれ!」
「はい⁉」
先触れを出すことと、今結界を抜けることがどう両立するのか。
「いいから、いいから! ほら、もう結界はすぐそこだ!」
軽い調子でレシェートが魔法学院の敷地を指さしている。
ここまで来てしまえば、既に拒否の二文字は遥か彼方に飛んで行ってしまったと言っていい。
もはや諦めて目を閉じるしかなかった。
(魔法は想像の延長線上……)
感覚を研ぎ澄ませば、確かに魔法学院の建物の周りに、侵入者を阻む魔力が張り巡らされている。
これがレシェートの言う「学院長が張る結界」なんだろう。
(壊さず、通る……?)
想像上の「扉」を開けて、中に入る自分たちを想像する。
「いい感じだ! 妖鳥が通らないから、もうちょい大きくだ!」
叫ぶレシェートの声が、何だか嬉しそうだ。
「ああ、やっぱいいな! 最高だ、俺のヨメは!!」
まだヨメじゃない。
そう言い返したいのはやまやまだったが、今まさに結界を通り抜けようかというところで集中力を欠いてしまうため、ここは聞かなかったことにするしかない。
「さて――学院長‼」
全員ちゃんと結界を通り抜けたんだろうか?
確認しようと目を開けかけたそこへ、レシェートの叫ぶ声が辺りの空気を圧倒した。
「悪いが国が対応を決めるまで、妖鳥を預かっておいてくれ!」
「⁉」
まさか今のが「先触れ」とでも言うのだろうか。
唖然とする私をよそに、建物の一角の窓が音を立てて開いた。
「今度は何の真似だ、レシェート・グルーシェン!!」
片眼鏡が印象的な、40代くらいの濃紫色の髪の男性が開いた窓の向こうから怒声を発している。
「王宮か魔法学院かの二択で、ここにしただけのことだ! 頼む‼」
「だけ、で済ますな馬鹿者! 暴れたらどうするつもりだ!」
どうやら、窓から顔を出したのは魔法学院の学院長のようだ。
怒鳴りつけてはいるが、双方が妙に気安い態度だと思ったのは気のせいだろうか……?
と言っても、とても今それを聞ける状況にはないため、私も黙っていることしか出来ない。
しかもそんな私を見てニッコリと笑ったレシェートは、ぽんと肩に手を置いた後、とんでもない発言を空から落としたのである。
「大丈夫だ! ヨメが結界を張って押さえておいてくれる!」
――と。
「「「――はぁぁっっ⁉」」」
多分、叫んだのは私と学園長だけではなかったはずだ。
それくらいの声が間違いなく響いていた。
「あ、俺がこの妖鳥を地面に下ろしたら、その周りに結界を張ってくれるか? 興味本位で傷を付けようとする馬鹿がいないとも限らないからな」
「ええっと、結界の中で更に結界を張る……?」
「ああ。学園長が許可をすれば、異なる力同士の反発で壊れることもない。俺が結界を張るよりも、多分妖鳥もその幼鳥も安心すると思うんだよな。敵意がないっていうのが既に伝わってるから」
「敵意……」
国際問題になりかねない、元は隣国在住の妖鳥に何かしようと思う人間がそもそもいるのか。
素朴な私の疑問に「馬鹿はどこにでも湧くものだ」と、何だか黒光りしてガサガサと動く、あの気持ち悪い生物を想像させるようなことを、レシェートは言った。
「おい、待て! ヨメだと⁉ まさか――」
「そろそろ王宮か魔法省かから連絡いったか? まあ、詳しくは後でな! とりあえず、今、結界を通過したのは彼女の力であって、俺じゃない。もちろん妖鳥を保護しておくのも、だ!」
言うが早いか、レシェートは目の前の地面に妖鳥を静かに下ろした。
それでも元が巨体なのだから、ズズンと地が響く音は周囲に伝わる。
「じゃあ、頼む」
そう、軽い調子で肩を叩かれてしまうと、うっかり「あ、はい」とこちらも頷いてしまう。
「多分、妖鳥がその気になれば、あっという間に壊される気がするんですけど」
「幼鳥をこっちで預かっておけば、無茶はしないと思うぜ? むしろ外からちょっかいをかけられないよう、保護するための結界を張るイメージでいて欲しいんだが」
「……なるほど」
魔法学院だろうと王宮だろうと、保護している間に勝負を挑まれたり、最悪殺されてしまったりする危険性はゼロじゃない。
逃げ出さないようにするための結界ではなく、外敵から保護するための結界を張れということなんだろう。
そういうことならと、私はそのイメージを膨らませて、妖鳥の周囲に結界を張った。
ふと気付けば、窓の傍からこちらを見ていた学院長が息を呑んでいる。
(ああ、これはまた「何故魔法学院に通っていない?」になっているんだろうなぁ……)
これまでは辺境伯領から外へ出たことがなかったために気が付かなかったけれど、私の魔力量に関しては、見る人が見れば分かるということだ。
魔法学院の学院長を務めるくらいだ。レシェートとの差がどのくらいなのかは分からなくとも、それでも人並み以上の力は持っているのだろう。
「ああ、結界の通過といい、張り直しといい……さすがだなぁ……」
「…………」
何だかレシェートが陶然としているように見えるのは気のせいだろうか。
深く追求してはいけない気がしていた。