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3.賭け試合

 アルリオットは唖然とその少女のきわだって秀麗にととのった顔を見返した。


 黒い影のリリス――むろん、かれはその名を知っている。


 いかに田舎者とはいっても、この道を選んだ人間として、知らないはずはない。


 この国に百人といない〈黒金戯士〉にして、アルリオットがこれから出場しようとしている大会の、優勝候補のひとり。


 どうやら、いたずらな運命は巧みに糸をあやつり、かれをこの少女と巡り合わせたようであった。


 たぐいまれな偶然というべきべきか、それとも、何らかの必然なのか。アルリオットとしては、ただ、驚愕に息を呑むしかない。


「どうしたの?」


 リリスは不思議そうにアルリオットの顔をのぞき込んできた。


 かれはちいさく首を振った。


「いや――おれはきみのことを知っている。きみが、あのリリスか」


「あら」


 リリスが愉快そうに顔をほころばせる。


「わたしのことを知っているということは、あなたも〈黒金〉を指すの? もしかして、王都大会に出るつもり? それなら、やめておいたほうが良いかもね」


「どうして?」


「わたしが出て、優勝してしまうから」


 彼女はまたも誇らしそうに胸を反らした。とくに諧謔(ジョーク)のつもりでもなさそうだ。


 じっさい、国家公認の〈戯士〉であるリリスにはそれだけの実力があることを、アルリオットは知っている。


 黒い影のリリス――そのふたつ名は、彼女の独特の戯風(ぎふう)から採られたものだが、そもそも若くして特異な異名で呼ばれていることそのものが、非凡な才能の証明である。


 都ではたいそうな人気だとも聴いていたが、実際、本人に会ってみると、それもわかるような気もした。


 しかし、ほんとうによく喋る娘だ、とアルリオットはちょっと呆れた。かれのとなりを歩みながら、ずっとなにか話し続けている。


 この時代、この国では、淑女は言葉少なに振る舞うべきものとされているにもかかわらず。


 じっさいのところ、貴族社会では知らず、こういった下町のあたりではそのように上品な女など数少ないわけだが、それにしてもこのリリスは極端におしゃべりだ。


 しかも、やけに自慢そうに己の美貌と才幹を誇る。


 アルリオットは十八歳のいまになるまで、このような娘を見たことがなかった。


 ふたりはそのまま連れ立って王都を歩きつづけた。公路と呼ばれる大通りを経て、貧民たちが暮らす下町のほうへ向かうにつれて、街並みはしだいに汚れてゆくようである。


 どれほど清潔にととのえられた大都会であっても、いったん、裏側に入り込めば、どうしたっておぞましい腐乱と頽廃が色濃くあらわれ出る。


 イスヴァラーンほど豊かな都であってもそれは変わらない。


 腹を空かせたやせた子供や、なかば裸身をさらした貧しい女たち、あるいは昼間から酒を呑んで道へ暗い目を向ける男たちと、人々の姿もどこか荒廃を感じさせた。


 さらには汗やら小便やら、腐敗した食べものやらが混じりあった独特の汚臭がほのかにただよってもいる。治安も良くはないだろう。


 いつ、鋭い悪意をひめた盗人やら狂気の辻斬りが飛びだしてこないともかぎらない。昼ひなただから安全とはいえないのである。


 しかし、地図を見るかぎり、ここを抜けなければ〈会館〉へはたどり着けない。


 もとより、アルリオットも田舎者の「おのぼりさん」とはいえ、さほど品の良いところで育ったわけではない。自分の身を守るすべも心得ている。このくらいの場所は平気だった。


 それでは、リリスはどうなのか、と(かたわ)らをたしかめてみると、あいかわらず楽しげなようすで他愛ないことをしゃべり倒している。まったく怯んではいないようだ。


 と、やがて、かれらはひと組の男たちが路傍に椅子と机を出し、〈黒金〉を指しているところに通りすがった。


 アルリオットも〈戯士〉をめざす指し手として、自然、盤上に目がゆく。


 どうやら、戦局は皮肉っぽく笑う中年の男の勝勢が濃厚で、あいての老人は防戦一方となっているようだった。


 アルリオットはかすかに両目をほそめた。


 この国では、〈黒金〉の野試合を行っていることはべつだん、めずらしくもない。ただ、それにしてはどこかおかしい。


 敗勢が濃くなるにつれて表情に出る者はどこにでもいるものではあるが、それにしても、その老人の容子は常軌を逸していた。


 見る間に顔いろが青褪め、息も絶え絶えといったけしきなのである。


「気の毒に」


 近くでそのさまを見物しているらしいひとりの男がごちた。


「あくどい手に嵌められたな。まあ、あんな男に金を借りたあげく、賭け試合に乗せられたことが悪いんだが――」


 どうやら、あの老人は、金貸しに骨までしゃぶり尽くされるところのようだ。


 話を聞くに、借りた金すべてを賭けて賭け事に誘われ、しかもいま、敗北に追い込まれようとしているらしかった。そうとう、悪い道に嵌まってしまっているようだ。


 さて、どうする、とアルリオットは己自身に語りかけた。


 他人の勝負ごとに口を出すことは良くない。しかし、どうにも老人が哀れに思えたし、男の態度は気に入らないことはたしかだ。


 とはいえ、じっさいのところ、自業自得といえばその通りではある。


 金を借りたことはまちがいないのだし、勝負に出たのも自分自身だ。ここで、横から口を出すことはかえって本人のためにならないかもしれない。


 しかし――。


 アルリオットは自分がこの年寄りを放置できないことをわかっていた。


 愚かなアルリオット。


 父からもおまえの優しさはかならずしも長所ではない、と釘を差されたこともある。


 それは理解しているつもりだ。あるいは自分は勝負ごとには向いていないのかもしれないと思うことすらあった。


 それでも、やはり放っておくことはできない。アルリオットは一歩踏み出した。


 と、その腕が止められる。見ると、リリスが首を振っていた。


「よしなさい」


 彼女は真剣な顔でかれの目を見つめてきた。


「あなたがひき受けたところで、だれのためにもならない。勝負は勝負。自分の責任でやるものよ。それを横からさらうなんてこと、赦されない」


 痛いことばだった。


 そう、アルリオットもまた、一勝や一敗に人生を賭けて戦っている勝負師ではあるのだ。


 ほんらい神聖であるべき勝負に横合いから介入することは、その価値を冒涜(ぼうとく)することであるかもしれない。そうも思える。


 しかし――アルリオットはひとつ首をふった。


 そうであるとしても、なお、この青褪めてふるえている年老いた男を放って去ることはかれにはできなかった。


 たとえ勝負に人生を賭ける人間として、間違えていることであるとしても。


「忠告をありがとう。でも、悪いけれど、行くことにするよ。性分だから」


 そういって、アルリオットがさらに前へ進もうとすると、リリスはじろりとかれの顔を眺め、ひとつ大きなため息を吐き出した。


 ちらりと勝負を見やり、盤面がさらに老人にとって悪くなっていることをたしかめる。そのうえで、彼女は鋭く盤と駒とを睨んだ。


「ああ、もう、しかたないわね。このお人好し。いいわ、わたしが行く。あなたなんかに任せておけない」


「何? いや、待ってくれ。ここはおれが――」


「良いから! わたしにやらせなさい。こういう勝負は大好物なんだから」


 そういって、ふっと微笑する。驚くほど勝ち気で、敗れることなど考えてもいないようすだった。


 アルリオットは思わずその顔に魅了され、どきりと胸がはずむ己を感じた。


 これは、止められない。そう自覚する。じっさい、彼女は獲物を目の前にした猛禽のように楽しげに見えた。

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