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2.リリス

 アルリオットの暮らす町からイスヴァラーンへは辻馬車にゆられて数日の旅だ。


 この時代、いたって当然のことながら悪路が多く、ときに馬車そのものがひどく飛び跳ねる。その揺れにどうにか慣れながら、頭のなかで戯譜を並べて過ごす。


 一見すると怠惰に目をつむっているだけにしか見えないが、実際には、かれの脳裡では〈影の魔術師〉が炎と攻め、〈幽魂の娼姫〉が懸命に〈冥府の大暴君〉を守っているのだった。


 アルリオットにしてみれば、ひとつの戯譜は一篇の叙事詩に他ならない。すべてはかれなりの物語であり歌なのだ。


 この時、同乗の客は旅の商人と、人が好さそうな老夫婦で、その夫婦からりんごをひとつもらった。


 礼をいってさっそくかじると、あま酸っぱい味わいが口中にひろがる。美味かった。


 このようなひとの素朴な好意にふれると、素直に人間も悪いものではないと思えてくる。


 もちろん、渡る世間には残虐きわまりない悪意や敵意もまたあふれていることは良くわかっているつもりではいるのだが……。


 そのようにして、優雅とまではいいかねるものながら旅は続き、やがて、王都の城壁が見えて来た。


 イスヴァラーンは前方に港を擁し、後方に山容を控えた方形の都市であり、代々の黄金王がおわす城は山の中腹に築かれている。


 そのことをアルリオットは知識としては知っていたが、じっさいに高台の王城を目にすることは初めてだった。


 自然、胸がはずみ、心が躍る。


 もちろん王城に入ることはできないが、ここから遠望しただけでも満足だ。


 辻馬車から降り、この旅の同行者たちにわかれを告げてから、まずはきょうの宿を探そうと考え、王都の地図をひらいた。


 そこまで旅慣れているわけではないが、地理を読み取る能力には一定の自信がある。迷わずに目的地までたどり着くことができるだろう。


 まずは広い公路を行こうと歩き出した、そのときだった。ひとりの少女の顔が横からぬっと突き出てきた。思わず、わっと驚いて一歩退く。


「ちょっと、地図をかくさないでよ」


 齢十五、六かと見えるその娘は不満そうにくちびるを突き出した。


 なかなかととのった容色だ。


 肩までのばした火のような紅い髪と紅いひとみ。ひどく鋭いなざしでひとを見つめてくる吊り上がったその目がきびしい印象をあたえるが、まず、それが逆にひと目見たら忘れられない衝撃をももたらすともいえる。


 見る者によって好悪が分かれるだろうが、それでもまず、十分に美少女といって良いだろう。


 その美少女が、なぜか怒ったようすでかれを睨みつけている。


「きみは――」


「だれだって良いでしょう。良いから、その地図を見せて」


「なんだ、道に迷っているのか? それならそうと、いってくれたら良かったのに」


「ば、ばかなことをいわないで」


 少女はとつぜん、露骨にうろたえたようすで視線を逸らし、斜め上の方向を見上げた。


「この大天才のわたしが迷子? もう十六歳だし、この都には慣れているのよ。道になんて迷ったりするわけないじゃない」


 アルリオットは嘆息した。


「そうか、それなら地図はいらないな。じゃあ、さようなら」


「待ちなさい! そうだ、わたしは地図なんていらないけれど、あなたに道を教えてあげようと思ったの。あなた、見るからにお登りだもの。イスヴァラーンは初めてなんじゃない? そうでしょう」


「そうだけれど」


 これは、いきなりめんどうくさい子に絡まれてしまったかもしれないな、とアルリオットは頭を掻きながら内心で思った。


 可愛らしい顔に似合わず、どうやら問題のある性格をしているようだ。


 いずれにしろ、往来の真ん中で女の子を大声であいてにこのようなやり取りをしていては人目を集める。


 早く終わらせたほうが良さそうだった。ちいさく吐息して、手中の地図を差し出す。


「ほら」


「えっ、ほんとに見せてくれるの?」


「きみがおれに道を教えてくれるんだろう? 違うのかい」


「そ、そうよ。わかっているじゃない。えーと、ここがイリス公路でこちらがルトヴィアの泉だから、〈黒金協会〉の中央会館は――」


 少女はしばらくのあいだ、ああでもない、こうでもないと何やら呟いていたが、やがて、ついに心が決したらしく、満面の笑顔になって右の方向へ向けて歩き出した。


 道を教えるという約束は忘れてしまったようだ。アルリオットは右手をひたいに置き、左手でその少女のほそい腕を掴んだ。


「待て」


「何? いくらわたしがものすごい美少女だからって酒に誘っても無駄よ」


 いかにも不満そうに顔をしかめるその少女へ向かい、反対側の方向を指さす。


「〈黒金協会〉の中央会館に行くんだろ? 方向はそっちじゃない」


「は? あなただって王都にはなれていないから地図を見ていたんでしょう。どうして方向がわかるの?」


「地図を読んだからだ」


「わたしだって読んだわ」


「きみは「見た」だけ。おれは「読んだ」。だから、おれのほうが正しい」


 少女は沈黙した。


 怒らせてしまったかな、と思ったが、どう考えても彼女の行く方向はまちがえている。


 このような年端もいかない娘を、この喧噪の大都会でこのままふたたび迷子にさせるわけにはいかない。


 どこまでもお人好しに、アルリオットはそう考えた。


 じっさい、かれはそういう人間だった。先日、旅の老夫婦にりんごをもらったことを感謝していたが、一方で、かれはひとから何かをもらうよりひとへあたえることのほうがはるかに多い人柄だったのだ。


 そのため、損をすることも少なくないが、あまり深く気にするわけでもない。


 のん気なものといえばいえるかもしれぬ。ただ、生まれついての性というべきなのかどうか、まわりに何か憐れな人や、気になることを見かけると、どうしても親切にせずにはいられないのであった。


 この場合もそうだった。


 見ず知らずの子とはいえ、どう見ても方向感覚に優れているとは見えない娘を放っておいてはいかにも寝覚めが悪い、と思ってしまうのだ。


 ただ、それがあいてを怒らせてしまうようなら、またべつの問題だろうが――。


「良いわ」


 しばらくのあと、彼女はこくりとうなずいた。


「あなたがそこまでいうなら、道案内されてあげる。どちらが正しいのか、見てみようじゃない」


 世話になるというのに、どこまでも傲然とした態度。


 アルリオットは思わず苦笑しかけたが、あえて居ずまいを正し、ひとつ真剣に頷いた。


「じゃ、そうしよう」


 かれは地図を懐中に戻し、少女が向かっていた方向とは逆のほうへ、ゆっくりと歩き出した。


 少女は不審そうに首をかしげ、その姿を眺めていたものの、しかたなさそうに追いかけてきた。


「ねえ、ほんとうにこっちで正しいの?」


「ああ、おそらく」


「ふうん」


 生返事を返しはしたもの、まだ信用ならないといわんばかりの態度である。


 アルリオットはちょっと面白くなってきた。この少女がじっさいに会館に着いたとき、何というのか興味がわいてきたのだ。


 はたして自分の態度をかえりみて謝ってくれるものか、それとも……。


「ねえ、名前を訊いてあげる。あなたにも人並みに名前があるでしょう?」


「もちろん、立派なやつがあるさ。おれはアルリオット、きみのほうは?」


 少女は自慢そうに薄い胸を反らした。


「わたしはリリス。黒い影のリリスと、人は呼ぶわ」

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