敗北から始まった。
【名古屋城】
領土戦争から3日後、その場所には多くの人々が集まっていた。
皆一様に不安そうな表情を浮かべている。
理由は明白で愛知県の領主である徳川側が、先日の領土戦争に完膚無きまでに敗北を喫した事が原因で間違いは無い。
これからの愛知県がどうなるのか、徳川家康の処遇は?
そういったこれからの事を勝者である今川義元が発表するのが、今日この場なのだ。
「これから俺たちはどうなっちまうんだ?」
「これまで通り暮らせるのか?」
「領主様はどうなるんだ?」
ガヤガヤとした喧騒の中から聞こえるのはそう言った声ばかり、皆不安なのだ。
そんな場所に元田義隆も来ていた。
背後には相変わらず甲冑で表情の見えない幽霊を引き連れ、これからされる発表を今か今かと待ち侘びている。
何時もと違い中々進まない時計にヤキモキしながら、義隆は背後の幽霊の事を考える。
思い出すのは領土戦争の時の事だ。
この幽霊は義隆に体を貸してくれと言った。
それまで一言も喋らず、コミュニケーションをとる事などは可能だと思っていたが、あの時確かにこの幽霊は己の意思を伝えてきたのだ。
ただ、あの時体を貸すことを断って以降、再度口を開くことは無かった。
溜息を吐く。
咄嗟の事だったとはいえ反射的に断ってしまったのがいけなかった。
だが、あの時の幽霊は体を貸そうものなら、直ぐにでも領土戦争に突っ込んで行きそうだったのだ。
余りに無謀すぎる、せめてこの発表を待ってからでも遅くはないと説得をしたものの、それ以降はダンマリだ。
そうやって先日のことを振り返っていた為か、義隆は横から歩いてくる人に気付けず、体を当ててしまった。
「あ、ごめんなさい!?ちょっと、ボーッとしてて、」
「ああ、いやいや。大丈夫ですよ。私も余所事を考えていて周りを見ていなかった。」
慌てて謝罪をすると、気にする必要はないと体を当ててしまった男性は声をかけてくれた。
良かった、偶々良い人だった様だ。
その人は茶色のスーツをキッチリと着こなした大人の男性であった。
ただ、何となくだが本心を表に出さない様な胡散臭さのある人の様に感じた。
ひと通り謝罪を済ませたのだが、なんとなく、そう。
気まぐれでその男性に義隆は声をかけていた。
「貴方もこの発表を見に来たんですか?」
男性は義隆からの突然の質問に少し目を見開き、柔らかい笑顔で頷いた。
「ええ、今日この場で行われる発表はとても重大な物ですからね。私もじっとはしておられず、こうして見に来たしだいです。」
城の方を見つめてそう言ったこの男性は、何か別の物を見つめているかの様に遠い目をしていた。
漠然とした不安しか感じていない俺とは違って、もっとハッキリとした何かを見ていると、何故かそう感じた。
「ふう。いけないいけない。私とした事が随分と気持ちが昂っている様だ。」
茶色のスーツの男は一人、名古屋城前を歩きながらポツポツと呟く様に独り言を吐く。
昔からの癖。
何かを確認する時に行う男のルーティンの様な物だった。
「徳川家康が今日終わる。時代の重要な変換点、まさかこんなにも早く事が進むとはな。今川義元はよくやってくれた。【人斬り組】を手配した甲斐があった。」
自分では気づいていないが、男性の歩調は随分と乱れている。
早かったり、体が不自然に横に揺れすぎていたり。
それは過度な興奮から来る物だった。
計画が上手くいっている、上手く行く筈だと考えていた事が肯定される瞬間が直ぐそこまで迫っていることへの興奮と、それにより訪れる新しい時代と歴史。
今日は忘れられない一日となる。
その予感が男性を捉えて離さなかった。
名古屋城
午前12時、本日ここで領主戦争の決着と、今後の事が今川義元から発表される事になっていた。
野外に設置された舞台。
その周りは柵で囲まれ、万が一の事態が起こらぬ様に警備も厳重になっていた。
もう直ぐ時刻が迫り緊張感の漂う現場に、その男はいつも通りの軽薄な様子で、義元の前に現れた。
「どうもお疲れさんです。この前の領土戦争以来ですね、お元気でした?」
その男は領土戦争で今川側から出陣した傭兵。
その所属は【人斬り組】所属する人斬り、名を【中村半次郎】という。
今回の領土戦争で榊原康政を討ち取ったのはこの男だった。
「・・・何用だ?傭兵への支払いは既に済ましたはずだが?」
「あっはっは。そう邪険にしないで下さいよ。イライラしても何もならないのは百も承知でしょ?」
中村半次郎のその物言いに義元は鋭く睨みつけるが、当の本人はどこ吹く風と、形ばかりの謝罪を返すだけ。
それ以上は無駄でしか無いと判断した義元は何も言わず、半次郎に話の続きを促した。
「いやぁ、折角こんな大きな事柄に関わったもんで、最後まで観覧でもしていこうかと。私達の仕事としては暗殺がメインなので、もうこんな機会ないかもしれませんしね?」
「趣味が悪いな。」
「そりゃそうでしょ。そうでなきゃ人斬りなんてやってませんよ。」
「好きにしろ。俺は忙しい。」
嫌われてしまったかな?と軽口を言いながらその場から離れる半次郎は、何処か別の場所で観覧をしようとしたのか辺りを見回しながら人混みに消えていった。
「不気味な奴だ。奴も、その身内も。」
「うーん嫌われてしまったかな?」
「お前は人をイラつかせるのが上手いからな。今回もそうなんじゃねぇの?お前人の気持ちとか分からないし。」
「ちょっ、酷いなー。自分じゃ普通にしているつもりなんだけどね。人の気持ちが分からない、なんて言われ過ぎて聞き飽きたよ。察して貰おうとする方が傲慢じゃない?」
名古屋城内の一本の木の下で、半次郎は一緒に来ていた人物と合流する。
短髪と鋭い目つきに粗野な口調のこの男。
酒井忠次と剣を切りあった人物で名前は【田中新兵衛】という。
「今回の仕事は楽で良いね、勝ち馬に乗るだけで報酬が貰えるんだから。・・・何時もこうなら助かるんだけどね。」
溜め息を吐き、やれやれと首を振る仕草をする半次郎に新兵衛は不満たらたらの様子で顔を顰める。
「俺は不満しかないね。結局斬り合いも中途半端に終わるわ、俺だけ敵を倒してねぇからアイツらには煽られるわ、消化不良も良いとこだっ!!」
新兵衛の脳内には領土戦争終わり、倒しきれなかった事を揶揄う幾人の傭兵仲間の姿があった。
その時の事を思い出して苛立ちから地団駄を踏む新兵衛に、変わらぬ胡散臭い笑顔を貼り付けて宥める半次郎。
「あはは。どうどう、まぁ落ち着いて。これから起こる事をよく見ておこう。」
「これから起こる事?俺達の仕事はもう終わっただろうが。」
「そうだね、でも。どうなるにせよ、依頼っていうのは最後まで確認して初めて終わる物だからね。」
「あ?どういう意味だよ?」
半次郎の物言いを問い詰めようとした言葉は、突如騒がしくなった周囲の喧騒に掻き消された。
「さあ、始まるよ。時代の節目だ、しっかりと目に焼き付けよう。」
「・・・・・・・。」
何かを期待するように笑みを浮かべる半次郎を横目に、新兵衛は騒がしくなった原因の方向へ目を向ける。
半次郎がこれ以上は何も話す気はないと、これまでの付き合いで新兵衛は心得ていた。
その舞台にまず上がったのは今川義元だ。
「・・・・愛知に住む民よ。俺が此度の領土戦争で勝利した、【今川義元】だ。回りくどい言い回しは好きでは無いのでな、単刀直入で言わせて貰う。」
舞台に上がった今川義元が言葉を続けるに連れ、段々と緊張感が増していくのが分かった。
あまりこう言った場に縁がなかったからか、変に鋭敏になった感覚は誰かの唾を飲み込む音が妙に大きく聞こえる程だった。
「今宵、徳川家康が領主であった時代は終わり、新たにこの今川義元が愛知の領主になる。その為、これから領主権限の譲渡及び支配権の移行をする。」
今川義元から綴られた説明は簡単に言えば、愛知の全権を己が握るという宣言であった。
「前に出ろ。」
今川の後方に控えた男が声をかけると、袖の方から正装に身を包んだ現領主、徳川家康が姿を見せる。
その姿はテレビ越しで見た事しかないが、変わらず美しい。
良くない扱いは受けていない様で、その事実を見てとるや幾人かがホッとした表情をしていた。
「これより領主権限の移行を開始する。最後に何か言いたい事てもあれば聞くが?」
「・・・・どうか、愛知の土地に住む人々を正しく導いて下さい。私が望むのはそれだけです。」
「言われるまでも無い。俺は外道ではないのでな、この儀式が終わればお前に用は無い。何処にでも行くがいい。」
短い言葉の交わし合いが終わる。
話の内容を聞いた民衆は自分の事など二の次にして、変わらず愛知の事を気にかける家康に涙を溢した。
いよいよ徳川家康が領主では無くなる。
その時が近づき緊張感が増していく、その瞬間だった。
その男は舞台と民衆を分ける為に設置された柵を軽々と飛び越え、鈍く光る冷たい刃で目的の者に切り掛かった。
「え・・・・・・・・・?」
その女性は何が起きたのか理解する暇もないまま、その銀閃の前に身を曝け出していた。
誰もかもがその予想外の行動に目を剥き、硬直する。
斬られる、どうあっても常人には防げないその事実を前に、只人はそれを受け入れるしかない。
しかし、この場にはおよそ常人ではない存在が確かにいた。
鉄同士がぶつかる甲高い音が、訪れる筈だった未来を否定する。
常人には不可能?笑止。
今この場にいるのは確かに歴史に名を刻んだ武将だ、ならばそれを行えるのも必然。
「あらら、塞がれちゃったか。ついてないな。」
「は、流石は人斬り。人を殺める事に時も場合も関係無しか?」
切り掛かった人物の名は人斬り【中村半次郎】、対してそれを防いだ者の名は【立花道雪】。
かつて雷神と恐れられた伝説的な武将である。
「道雪!」
「殿、此奴は儂が相手します。此度の催しは此処で終わりにするべきかと。」
立花道雪の後ろから今川義元が声をかけると、道雪は一連の状況を即座に理解して義元に進言する。
最早この場は悠長に儀式を行える場ではなくなった。
目に見える被害が出る前に取りやめるべきであった。
「っ、・・・・人斬りが、何の真似だ?」
「いや、ね?そろそろ本業に戻ろうかなと思って。よく考えたら表の舞台はやはり性に合わないし、何より・・・・依頼なんでね。」
そう言って半次郎がほくそ笑む姿に言いしれぬ不気味さを感じた道雪は、即座に鍔迫り合いから押し込み半次郎との距離を取ろうとする。
が、その行動は少し遅かった。
低く唸るように風を切る刀が、獲物を狩り取ろうとその刀身を光らせる。
刀の持ち主は【田中新兵衛】。
この場に居合わせたもう一人の人斬りが、半次郎の行動に合わせるように徳川家康に狙いを定める。
何故狙ったのかなど知った事ではない。
狙ったからには理由があるのだろうが、そんな事はどうでもいい。
今はただ、それを行った方が面白そうだから、
新兵衛はこれから起こる事態に笑みを堪え切れなかった。
人斬りの凶刃がこの女を切り裂く、その後にはどうなる?
民衆の混乱、この凶行を起こした俺たちを打ち取るために出て来る強者共。
考えれば考える程面白そうだ!!
極限の集中の中、徐々にその刃が近づいて行くのを感じながら刀を振るった。
その先にある人を殺す感触を目指して。
しかし、それは訪れなかった。
「あ?」
「悪いが、お前に渡すほど軽い首はここには無いんだよ。特にお前ら人斬りにくれてやる物はな。」
体の至る所に包帯を巻き、側から見た姿は正に重病人。
されどその目は決して死なず、打つべき敵の姿を静かに見据えていた。
「前世だってそうだったろ?お前ら人斬りの刃は民衆を混乱させはしたが。結局、徳川家康には届きはしなかった。」
「おいおい爺。なんだよ、お前まだやれんのかよ。・・・・・楽しくなってきたなぁっ!!!」
「っ!?忠次、・・・・」
家康の前に立ち、ボロボロの体で、それでも田中新兵衛の刀を捌くのは酒井忠次。
今や徳川家康に使える最後の家臣だった。
「家康様、行ってください。不甲斐無いですが、後を追う事も貴方を連れて逃げる事も俺には難しい。だが、未来に繋げる事は出来る。貴方さえ生きていてくれれば、又何度でもやり直せる。」
「でも、私には行く所なんて・・・・・」
「大丈夫です。後のことは、信頼出来る者に任せております。今はただ、この場を離れて下さい。」
忠次がそう声をかけると同時に1人の少女が家康の元へと近づいてくる。
「家康様、此方へ。」
「忠次・・・・」
「ああ、ごちゃごちゃ五月蝿ぇなぁ!!よそ見してんじゃねぇよ、こっちに集中しなけりゃ直ぐに刻んじまうぞっ!!」
激しい猛攻が酒井に迫る。
「ハッ、・・・やれるもんならやってみな、俺の首は安くはねえぞ。」
「カカカッ、ハナから安物には興味ねぇよっ!!」
幾度目かの斬り合いにのらりくらりと刀を合わせ、即座に仕切り直しをする。
その戦い方に立花道雪は眉を顰める。
明らかに殺る気のないその戦い方は侍の、ましてや最短で殺す事を是とする人斬りがするものでは無かった。
時間を稼いでいる。
何か狙いがあっての行動。
中村半次郎を引きつけた筈が、引き付けられたのは立花道雪の方だった。
だが、だからと言って野放しにしていい存在では無い。
幸い己の主君である今川義元は既にこの場を離れた。
ならば、事の顛末を見届けてから撤退しても遅くは無いと道雪は結論を出す。
ゴウッ、と見た目以上の迫力を伴って迫る刀を受け流し、更に桁違いの速さで翻ってきた追撃をかわす。
明らかに様子見の程をしておきながら、隙があれば容赦無く切り捨てに来る。
流石は雷神の名で呼ばれた名武将。
その判断に一切の揺るぎがなく、この場の結果を待つ姿勢でいながら、こちらを仕留めるのに一切のためらいがない。
幸い今回は引きつけるだけで良いのが、それにしたって【雷神】立花道雪の足止めなのだから気を抜いて良いはずがない。
「こりゃとんだ貧乏くじだな。やっぱ辞めとけば良かったかな?俺には荷が重いな・・・」
「ほざけ。元来暗殺者であるお前の戦い方は真正面からの戦闘ではないだろう?自分の得意なやり方を使わずに俺を足止め出来ているお前を、俺は軽んじない。」
「こりゃ参ったな。予想外な高評価だ。・・・・けど。」
チラリと標的の後ろ姿を視界に入れる。
一人の少女に扇動されながらこの場を去ろうとする徳川家康。
あれが今回の、いや。
ある意味、前世からの標的か。
阿鼻叫喚の様相で逃げ回る人々を前に、元田義隆には突然の事態に驚き、立ちすくむ事しか出来なかった。
我に帰った時には逃げ惑う人々が邪魔になり、身動きが取れなくなっていた。
「くそっ、如何なってんだ!?」
人並みに揉まれ続ける中、やっとの思いで人並みから外れる。
「畜生、なんだってんだ一体。」
膝に手をつき騒動の中心に目を向けると、そこにいたのは今回の領土戦争で今川側から出ていた人斬りが剣を振りかざし警備の兵隊に切り掛かる姿。
「っ!?そうだ、徳川家康様は・・・・・?」
この騒動の直前。
あの人斬りに斬りかかられた現愛知県領主の女性。
彼女は無事なのか辺りを探すと、丁度少女に先導されこの場から離れる姿が目に入る。
「良かった、無事に逃げられたんだな。」
その事実に義隆が安心し息を吐いたその時、隣にいつものように幽霊が現れた。
その視線は徳川家康に固定され、微動だにしない。
その様子は徳川家康の無事をよく確認する様だった。
とにかくこれ以上この場にいては自分も危ない。
義隆はこの場を離れようと出口に歩を進めるが、直ぐにそれは止められた。
『待て。』
「!?」
『様子が可笑しい。』
「えっ?」
その言葉に慌てて振り返るとーーーーーーー
立花道雪は純粋に驚き、そして納得した。
「あれは・・・・・なぜこの場にあれ程の、」
「よしよし、予定通りだね。」
それに対して中村半次郎はほくそ笑み、片手間に近くにいた警備の兵隊を斬り殺す。
立花道雪こそ厄介だが、それ以外の兵隊は物の数ではなかった。
「成程、最初からこれが本命か。」
「そうさ。元来我々人斬りなんてものはね?」
道雪の言葉に半次郎は笑みを深め、それを自慢する様に高らかに宣言する。
「神出鬼没が常なのさ。」
逃げ伸びようとした徳川家康のその先。
退路を塞ぐように現れた人の波。
全員が武装した武将たち。
その様を見て今回の事を起こした存在は確信する。
「そうさ。徳川に不満を持っていた者たちは何も、歴史に名を残した人斬りや叛逆者だけじゃ無い。民衆も、侍の中にだって存在した。」
その人々の中には明らかに当時の時代の一般市民だと察せられる格好をした者も何人もいる。
「300年の安寧の時代においてそんな奴は幾らでもいる。ただ、そう。その不満が、時代を経て来世で身を結んだ。それだけの事なんだよ。」
男の視線の先で少女に先導されていた徳川家康が膝から崩れ落ちる。
その瞳には深い絶望と諦めが宿る。
「ツケを払う時が来たんだよ、徳川家康。分不相応な願いを望んだツケが。」
この事態に徳川家康はもう、打つ手は残されてなどいなかった。