1 泡沫のゆめ
この星の生物は千年前に絶滅しかけた。
愚かな人類が禁呪『神の雷』を使用したのが原因だ。
その雷は大地を穿ち、その衝撃波は星を3周して全てを薙ぎ倒した。
幸運にも生き残った生物もいた。
人類も300人ほどではあったが生存していた。
その状態から人が再び国を作るのに300年の時を要した。
更に700年経った今、種族の違い、信教の違い、身分の違いを火種として人は争いを始めた。
千年前と異なるのは奴らの中で忌々しい『古代魔法』が失伝していることだ。奴らは代わりに『現代魔法』と称している古代魔法の劣化版というのも烏滸がましいものを使用している。
今は我等竜種のなかでも古代竜と呼ばれる者のみが古代魔法を覚えている。
それもまた我等が朽ちて行くうちに忘れ去られることであろう。
我も竜王の座を若者に託した。
のんびりと死を待つことにしよう。
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暫く眠っていたようだ。周りが騒がしい。
よもや人間族や魔族が攻めてきたのか。
愚かしいことだ。寝起きに我が咆哮で震え上がらせてやろう。
「おんぎゃーーーーーーっ!!」
「おーよちよち、おっぱいが飲みたいんでしゅねー??」
なんだ?先程の人の赤子の鳴き声は?我の咆哮はかき消されたのか?バカな。
少し落ち着こう。そう言えば目が開けられない。老化が寝ている間に進行したのか?
それよりもう一度試そう。大地を揺るがす我が咆哮を。
「ほぉんぎゃぁぁああおおおーーーーっ!!ブッブリブリィビチィビチーーー!!!」
「ぼっちゃんはウンウンしたかったんでちゅね?おしめ取り替えますからまってくださいね〜」
え?我は今クソを漏らした?いやまて?ほんぎゃーって何ぞ?
我は一体どうしたというのだ!?
手足は上手く動かせず尾は感覚すらない。そしてひたすら眠い。
仕方ない、難しいことは起きてから考えよう。どうせ時間だけは死ぬまであるんだからな。
しかし、ショックだ。我は1200歳ぞ?それがクソを漏らしたとは。これも老化現象なのだろうか。
それに先ほどから我の尻を拭く者。微弱な魔力、これは人間族ではないか?何故人間が我の尻を拭く?まて?巨大な我の尻を人間の如き過小な存在が拭けるとでも?
はっ!?もしや我が小さくなってる?
先ほどの鳴き声、人間の言葉、不自由な身体から推測するに我は人間の赤子になっている!?にわかには信じ難いがこの推論が一番理に適っている。
確認をするには戦闘力を測るのが一番だな。
先ほどの人間は…戦闘力8か、ゴミだな。
我は……戦闘力1だと!?カスじゃないか!!この竜王たる我がカスだと!?誰だ今我のことをカスと言ったのはっ!?
はぁはぁ…
「ぼっちゃん、おっぱいがきまちたよ〜」
「あ〜んちてくださいねー」
有無を言わさせず人間族の胸を口に押しつけられる。やめろ、我は腹など減らないしこんな柔らかくて暖かいものなど好みでは……
「あー、吸い始めましたー。おいちいでちゅかー?」
「ばぶー」
「返事したぁ かっわいいーー」
……人の乳というものも案外口に合うものだな。おっぱいも柔らかくて心地よい。
腹が満ちた。
やることがない。暇だ。
赤子は飯食って寝てクソをする以外の全ての時間が暇なのである。特に我の意識は竜王の時のままだし。
この身体にもほんの僅かに魔力がある。吹けば消えるほどの魔力。
我はこれを育ててみることにした。
別に魔法を使いたければ大気や大地などに漂う魔力を集めれば使うことが出来る。ただの暇つぶしに過ぎない。
そうだ、手始めにこの魔力を大きくしてみよう。体外の魔力を体内に取り込んでみよう。
……5………10…………12
はぁはぁ、この身体では魔力値12が限界か?何という貧弱さなのだ。我が竜王のときは...
「ぼっちゃまー力んでますがまたウンウンしゅるのでしゅかー?」
「ぶーー」
「おならでまちたね。よくがんばりまちた。よちよち」
にんげんーーーっ!!急に声かけるから魔力が漏れたではないか!!また1からやり直しだよ!?
おっと乱暴な言葉遣いなってしまったな、我らしくない。
まあ突然人族の赤子になったのだ。冷静さを欠いたとしても仕方ないというものよ。
「シリウス坊っちゃまはこのロシュフェルト男爵家の三男なんでちゅよー。早く大きく強くなってくだちゃいねー」
ふむ?我はシリウス・ロシュフェルトという名前なのか。
何ともありきたりな名前だが致し方ない。
願わくばヴリトラやニーズヘッグ、ファフニールやリンドヴルムといった名前の方が好みだったがの
「ばぶぶー。ばぶ」
「今日はいっぱいおはなちちてくれるんでしゅね?アイシャはうれちいですよ」
この肩まである金髪の胸が小さい人の女はアイシャというのか。さしずめ我の乳母か侍女といったところか
まてまて、このおっぱいはさっきのではない。さっきのはもっと大きくふくよかだった。アレはいい。
さてアイシャだったな。
年は……若いな。成人前なのは間違いあるまい。
背は…165センチと言ったところか。
肉付きが良くないから体重は軽そうだ。
顔は一般的な人族よりも鼻が高く整った顔立ちをしておる。美人に分類されるだろう。
瞳はグリーンとブルーが混ざったような色だな。
肌は白いが病的ではなく健康的な白さだ。
黒色の衣服にヒラヒラした白いエプロンのようなものをしておる。メイドとかいう人族の貴族の召使いがよくしている格好だな。
ん?耳の先がいやにとんがっているな?もしやこやつはエルフか、我を欺こうとしてもその小さき胸とトンガリ耳は隠しきれなかったようだな。愉快愉快
「ニコニコしてご機嫌でちゅねーよちよち」
先程から気高き我の頭を気軽に触ってくる。
我も竜王、寛大な心で特別に赦してやるとしよう。
はしゃぎ過ぎたか眠くなってきたな。今度こそ眠るとしよう。次に目覚めるときはこの珍夢から覚めていると良いのだがーー
我目覚めんとすーーー
目を開けた。すると白い天井が目に入る。我は用心深く左右を見渡す、木でできた箪笥やら本棚やらが目に入る。
手の感触を確かめる、柔らかい布の手触りがする。恐らくこれが人族の使用する寝具ーーベッドなのだろう。
この部屋には我しかいない。
身体を起こす。起きることができた。
自分の身体を目で確認すると、人族の手足があった。
それは子どもの長さしかなかったが前回は身動きが取れなかったので嬉しく感じた。
「あーあー、テステス。マイクテストマイクテスト。本日は晴天なり」
人語が我の喉から発せられた。会話ができるまで成長したようだ。
「坊っちゃまー何か仰りましたか?」
そばに控えていたのかアイシャが現れた。
エルフ故にか見た目上の姿形は前回の時と寸分も変わりない。
「んー、何でもない。何でもないが質問がある。我は何才になった?」
一瞬の間を置いて
「やだなー坊っちゃま。昨日で5才になったばかりじゃないですかー」
そうか、昨日まで5年間眠っていたということか。
「とすると食事はもう固形食を食べている頃だな。あのおっぱいを味わえないのは口惜しい」
「仰せとあらばこのアイシャ、一肌脱ぎますよ?」
胸をはだけようとする。
まて、我は今言葉に出していたのか?何という破廉恥
「そうではない。夢の話だ。だからソレはしまっておけ」
「分かりました。でも必要になったらいつでも仰ってくださいね?」
「うむ。」
いや?我が求めたのは豊満なおっぱいであって。ソレではないのだ。すまんの。
「ところでアイシャ。今は何年の何月何日だ?」
「??!」
「坊っちゃま!?何処か具合でも悪いのですか?」
「我とて物忘れはする。いいから答えてくれ」
「新皇暦705年7月12日になります。」
「とすると我は新皇暦700年7月11日に生まれたということになるのか」
「そのとおりでございます」
諦めたようにアイシャが答える。
「もうよい。下がれ」
「お断りいたします。」
「何て?」
「お断りいたします。」
「いや?何で?」
「坊っちゃまの言動がおかしいからです。そもそも『我』とかいつもは言わないじゃないですか!何かあったんですか?」
「我は元々は竜王で人間に転生したのは良いが5年間の記憶がないのだと正直に言ったところでこの小娘には理解できまいしどうし」
アイシャが目を丸くして我を見ている。
「そんなに見つめてどうしたというのだ?」
「シリウスさまは竜王なのですか?」
「何故その秘密を知っている!!さてはエスパーだな貴様!!」
「いま御自身で仰ってました!!」
しまった。またやってしまったか。どうも音声を出して会話をするのに慣れないのう。竜のときは思念で意思疎通していたから
「それでシリウス様は竜王なのですか?」
「……ふっふっふ、何を隠そう我こそが偉大なる竜王、あのヨルムンガンドなるぞッ!!」
「はぁ」
「なるぞッ!!」
「で?」
「で?とは何だ?」
「私の次のセリフを教えてください。」
「?」
「いつもの『ごっこ遊び』ですよね?今回のは突拍子がなさ過ぎてアドリブできません。」
「アイシャ」
「はい」
「この程度のアドリブが出来ないとボクについて来ることはできないぞ?」
「申し訳ありません。今後精進いたします」
「分かれば良い。下がってよいぞ」
「失礼します」
扉が閉まってから我は膝から地面に崩れ落ちた。
アブねーーーー、自分からバラしてるやん我こそはって何なん??我頭おかしいんじゃないの!?もう一人称は我じゃなくて笑が妥当では?
苦悶に悶え床をゴロゴロ転がっていると再びドアが開く
「シリウスさま?」
「は、はい」
「まだ夜ですから早く寝てくださいね。そんな所じゃなく」
些か冷たい目で見られている気がする。
「う、うん。もうベッドで寝ようと思ってたんだー。おやすみアイシャ」
「おやすみなさいシリウス様」
再びドアが閉まった。
おちおち反省もできない。
夜が明けた。
アイシャに急かされ服を身に付ける。
男爵家では朝食を家族でとる習慣があるそうだ。
カストル・ロシュフェルトという男が父、兄が2人、リゲルとルックス。それに姉がシルマというそうだ。
母親は我を産むときに死んだらしい。
「おはようございます。父上、兄上、姉上。」
「おはようシリウス。」父だろう男が我に返事をした。
白髪混じりの茶色い髪をしたうだつの上がらなそうな男だ。
座っているから正確な身長は分からぬが長身なのが見てとれる。
「遅いぞシリウス。」語意とは裏腹に嬉しそうな声で返事をした少年ーー、リゲルかルックスのどちらかだろう。
父親譲りの茶色い髪に明るい赤色の瞳、14、5才の少年が父の左隣に座っている。
「姉はお腹が空きました。」
父の右隣に座る少女、これがシルマだろう。不満そうに我のことを見ている。これがジト目というやつか。ニコニコしていれば可愛げがある顔も今は見る影もない。
「ごめんなさい、兄さま姉さま。お待たせしました。」
「それでは食事にしよう。今日も我らの主神『ヨルムンガンド』様に祈りを捧げよう。」
父の言葉に我吹き出しそうになった。
我いつから神の一柱になった?