その石垣に恋を重ねて
※この作品は 長岡更紗さまのプロットを基に作成しております。
※共通恋愛プロット企画参加作品です。
「栗林さん、ちょっといいかしら?」
容姿端麗という言葉を絵にかいたような、松村麗華に私は呼び止められた。
放課後の廊下はもう人があまり残っていなくて、静かだ。
彼女はこの学校でも指折りの美少女で、サッカー部のマネージャーをしている。
地味女子の典型のようなこの私、栗林由紀子と接点は何もない。こんな風に声を掛けられる理由は、一つだけだった。
「進のことなのだけれど」
彼女は少しためらいながら口を開いた。
親し気な名前呼びに胸がきゅんと痛くなる。彼女の言う進というのは『川原進』。
サッカー部で、なぜか私と同じ『城郭愛好会』の川原のことだ。
噂では、川原と彼女は付き合っているらしい。
二人とも容姿端麗な美男美女。お似合いなのは間違いない。
はっきり川原本人から聞いたことはないけれど、どうやら本当だったみたい。鼻の奥がつんと痛くなった。
「地区大会が近いの」
「……はい」
サッカー部が大きな大会を控えているのは私でも知っている。
そして、川原がサッカー部の期待の星であることもわかっていた。だから、彼女が何を言いたいのかは、なんとなく予想できた。
「進はいつも、サッカー部の練習よりあなたとの『愛好会』の活動を優先させようとしているわ。怪我もしていないのに休むなんてあり得ない。レギュラーの座がかかっているのよ? そんな時に愛好会のメンバーは少ないからって自分を曲げようとしない。こんなこと、言いたくはないけれど、あなたが退くほうが彼のためだと思うの」
松村は息を継ぐ。
「進は才能があるの。うちのサッカー部はあなたも知っての通り全国区だわ。彼はプロになれるかもしれない人よ。あなたに付き合うことは、才能のある彼の邪魔になる」
薄々感じていたことを指摘され、私は俯く。
「そもそも城郭愛好会って、部活として成立していないでしょ? 成立していたとしても、進学の役にも立たない文化部だし。そんな『遊び』に、何の意味があるの?」
松村は大きくため息をつく。
「遊び」
運動部ではなく。勉強に役に立つわけでもない。
事実上は部として成立していない、二人だけの学校非公認の愛好会だ。内申書に記載されることはもちろんない。
私は城郭が好きだ。だから、そんな友達が欲しくて、部は無理でも愛好会ならできるかなって、奔走していた。
でも、誰も相手にしてくれなくて。
そんな中、彼だけが興味を持ってくれた。
城郭の跡に行って積んである石垣や土塁を見るという、ニッチすぎる活動だったけれど、楽しかった。
川原も楽しんでくれていたと思う。
彼は野面積みが大好きだった。私はどちらかというと今まで、城郭の地形に興味があったから、すこしズレはあったけれど。
でも。
彼女の言うとおり、それは『遊び』の範疇でしかない。
サッカーを極めればプロになる道だってある。そうでなくても、進学や就職に有利に働くかもしれない。
そもそも、彼女からしてみれば、才能ある川原が兼部しているということ自体、納得できないのだろう。
「はっきり言うと迷惑なの。わかるでしょ? あなたももっとマトモな部に入った方がいいと思うわ」
松村は言いたいことだけ言って、去っていった。
「マトモな部って、何よ」
部員が足りていたら。部として成立していたら、良かったのかな。
そうすれば少なくとも遊びとは言われなかったかも。
学校非公認ってことは、ただの帰宅部。活動はただの遊び。
「楽しいだけじゃ、駄目なのかな」
一人階段を降りながら、グラウンドに目をやると、サッカー部が練習をしていた。
どうやら試合の練習をしているようだった。周囲を置き去りにする川原のドリブル。
サッカーに詳しくない私が見ても、凄いのはわかった。
「才能ある彼の邪魔になる、か」
そうかもしれない。
城郭のことを知ったところで、何の役にも立たないと言われてしまえばその通りだ。
それこそ、異世界にでも行って軍師にでもなれば別だけれど。
「松村さんの言うとおりかも」
私は携帯を握り締める。
『城郭愛好会、もう、やめよう』
たったそれだけ。川原にメッセージを送った。
その後、川原から理由を聞かれたけれど、興味がなくなったのと、塾に行くことになったからと答えた。
川原は不満そうだったけれど、サッカー部も大事な時期だから、そちらに専念することにしたようだった。
やめようと言ったのは自分だったのに、納得されてしまって、切ない気持になる。
彼は城郭には興味があったみたいだけれど、それだけだったのだろう。
それはそうだ。あんなにきれいな松村とつきあっているのだから。
よく考えたら。
彼は私と一緒にお昼を食べ、図書館で城郭の本を調べ、数週間に一度とはいえ、放課後に学校の近くにある城跡に行ったりしていたわけだ。
きちんとした部活ならともかく、交際している彼女から嫌な感じがして当然だ。
しかも私と二人きりだし。
いくら色気の欠片もない会話しかしていないとはいえ、彼女さんとしては嫌だよなーって、今さらながら思う。
それに。
川原自身はなんとも思っていなかったにせよ、私は……違う。
あんなにカッコイイ男子といつも話していたら当然好きになっちゃうし、ドキドキしたりもしていた。城跡を見るとか言いながら、ちょっとデート気分だったのも事実だ。
サッカー部のことがなかったにせよ、『友達』として、これ以上一緒にいるのは無理だったのかもしれない。
放課後。
図書館の窓からグラウンドに目を向けると、川原が丁度シュート練習をしている。
黄昏の中、彼はキラキラ輝いて見え、いるべき場所に戻っていた。
胸の奥に穴が開いてしまったように苦しい。
「駄目だな」
私は頭をふって、手にしていた本を書棚に戻す。
あれほど楽しく読んでいた城郭の本も読む気になれない。
城郭愛好会をやめると彼に告げた時。
別に自分の『城郭』に対する興味や愛情まで捨てるつもりはなかった。
だけど。
私は荷物をまとめて、図書館を出る。
今は、本当に何をしても楽しくない。
理由はわかっている──川原がいないから。
「馬鹿だな。私」
彼にサッカー部に専念してもらうと決めた時。
私自身の趣味もなくしてしまったのかもしれない。
彼が好きだったから、彼を思い出す全てが空虚になってしまった。
「本当、大馬鹿だ」
にじむ涙をこらえ、私は大きくため息をついた。
今日は、サッカー部の地区予選の第一回戦。
初戦だというのに、学校内でも期待されているせいか観客の数も多い。
来るつもりはなかったけれど。競技場が有名な『城跡公園』の一角にあったから、つい来てしまった。
城跡、なんていっても、石垣と掘が少し残っているだけ。天守なんてものはない。
観光誘致のために天守再建しようって話も少しはあったらしいけれど、予算不足で立ち消えて、市の施設が集められた公園になっている。
以前なら夢中になったであろう場所だけれど、結局、堀を見る気にもなれず、競技場に入ると既に試合は始まっていた。
私は応援席の片隅で、川原の姿を目で追う。
ああ。やっぱり好きだ。もはや遠い人だけれど。
試合は、川原のゴールで勝利した。
見に来るまでよく知らなかったけれど、どうやらファンクラブまであるみたい。
そこにいた川原は、キラキラしていて、私の知っている野面積みについて早口で話す川原とは別人にしか思えなかった。
試合後、ほんの一言だけ勝利のお祝いを伝えたくて、応援に来ている女生徒たちの後ろについていった。
「ちょっと、あなた、ファンは直接、選手に声を掛けるなんて駄目なのよ」
競技場の外に出てきた部員の姿に近寄ろうしたら、他の女生徒に止められた。
「試合が終わったすぐは、みんな疲れているの。節度を守らないと出禁にするわよ」
「すみません」
私は慌てて、後ろに下がる。出禁って、まるでアイドルのコンサートみたいだ。
ロープこそ張られていないけれど、そこには明確な壁があるらしい。
選手の側にいていい女性は、マネージャーである松村だけ。
その松村は、クラーボックスから冷たい飲み物を部員たちに忙しそうに配布している。マネージャーの仕事って、大変なのだなあって思う。
「今日は、みなさんのおかげで勝つことが出来ました。ありがとうございます」
サッカー部三年の部長さんが前に出て、部員全員が私達に向かって頭を下げる。
一糸乱れぬ統率感。さすが運動部だなあって感じだ。
そんな中、一瞬、川原と目が合った気がしたけれど。
きっと、ライブ会場でアイドルと目があった気がするのと同じ。
私はそっと列を抜け出して、その場を後にした。
ここの城壁は慶長以降に作られた切り込み接ぎで、成形した石を密着させて積み上げる方法である。
この方式で作られている石垣の場合、水を通さないために排水口が必要だ。
ちなみに、この切り込み接ぎというのはあくまでもその城壁に使われている『石』の加工のお話であり、石の積み方というのは全く別の話。
積み方にもいろいろあるけれど、大きな石が横に目が通るようにして積むのが布積み。様々な方向にくみあわせるのが乱積みと呼ばれる。
ちなみに強度は圧倒的に乱積みの方がある。
競技場を出た私は、公園に残っている城壁の見学をすることにした。
「やっぱり、もう少し前の時代の城郭の方が好きかな」
川原じゃないけれど、戦国の城の方が実践的だ。もっとも、僅かな堀と城壁しかない城跡公園では、もはやどこに何があったのかはあまりわからなくなっているけれど。
新しい城は、あまり攻められることを前提に作られていない。
「そうだよな。やっぱり城壁は野面積みだよ」
「へ?」
不意に声を掛けられて、私は驚いて振り返る。
「か、川原君?」
「やっぱりここにいた」
川原が優しい目で微笑んでいた。
「興味がなくなったって、嘘だよね?」
思わず胸がドキリとする。
「前ほどなくなったのは事実だよ。それより、どうして、こんなところに? みんなと帰らなくていいの?」
「えっと、自由解散だから」
ここの競技場は学校から遠いけれど。本当だろうか?
「城壁見るために勝手に抜けてきたとか、ないよね?」
「勝手じゃないよ。ちゃんと許可はもらってきたから」
つまり。
本当は集団で一度学校に帰るらしかったのに、城跡が見たいからと顧問の先生を説得して抜けてきたらしい。
「いいんだよ。俺、本当は城郭愛好会をやめたくなかったんだから」
川原は鼻の頭を指でかく。
「ごめん」
どちらかというと私が付き合わせていたのに、一方的にやめると言い出したのは私。
それを言われると、辛い。
「ま。タイミング的に、麗華の奴か、うちの部長が何か言ったんだろう? 俺が練習をさぼってばっかりだったから」
「え?」
「やっぱりなあ。図星か。栗林さんが、突然、城郭に興味がなくなるとか、あり得ないと思ったら、ショックすぎて、あの時、そこまで頭回らなかったんだよな。俺」
川原は私の顔から何を読み取ったのか、ため息をついた。
「てっきり俺のこと嫌いになったのか、それとも、彼氏ができたかもって考えたら怖くて理由聞けなくて」
「そんなの、あるわけないよ」
最初はともかく。川原のことが好きだったから、同好会という大義名分にすがりついていたのだと思う。
「確かにさ。俺、サッカー好きなのに、部に迷惑かけていたのは事実だから、あのタイミングの活動休止はよかったのかもしれないけど。そもそもなんで俺じゃなく、栗林さんに言うかな。部長か? それとも麗華か? 酷い奴らだ」
「そんなことないよ。松村さん、川原君のこと大事に思っていたからこそだと思う。川原君は才能があるもの。私に付き合って無駄にしたらもったいないよ」
麗華という名前呼びに傷つく。やっぱり二人は特別な関係なのだなってわかる。
「城郭愛好会は、正式な部ではないから、内申書にも書けないし。それに、彼氏が他の女の子と四六時中一緒にいたら、誰だって面白くないと思うから」
「は? 彼氏って何のこと? あのさ。麗華と俺は別になんでもないんだけど?」
川原の顔が険しくなる。
「でも、松村さんとお付き合いしているって」
「してない! あいつとはただの幼馴染の腐れ縁!」
川原はムッとした顔をする。
「え? 違うの?」
さすがに驚いた。
彼女さんだから、わざわざ釘を刺しに来たと思ったのに。
「違うに決まってる。そもそもあいつは部長とつきあっているし。それに、俺が好きなのはずっと前から栗林さんだから」
「え?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「中学の時、古川教授の『夏季城郭講座』で、鉛筆を拾ってくれた女の子に、俺、一目ぼれしたんだよね」
「川原君が私を好き? 本当に?」
古川教授の『夏季城郭講座』というのは、日本城郭愛好研究学会という団体が主催している、中高生向けの講座だ。全国から城郭好きが集まるという、プレミアム講座。
もちろん、参加した。だけど……川原に会った記憶はない。
「うん。栗林さんが全く俺のことを覚えてないのは知っていた。同好会に入るって言ったとき、無反応だったから」
今は高身長の川原だけれど、中学の時はかなり身長が低かったらしい。
あと、眼鏡もかけていたみたい。
そういえば、隣に座った男の子と少しだけ話をした記憶がある。
「別にそれはいいんだ。それより」
川原は私の顔を覗き込んだ。
「俺と付き合って?」
「私で……いいの?」
信じられなくて、胸がドキドキする。
夢を見ているかのようだ。
「君がいい。それとも、石垣見て早口で話し始めるような城壁ヲタクは嫌?」
「私は……どちらかと言えば、サッカー部のエースの方だと思う方が、気後れするよ」
私は頭を振る。
「どっちも俺なんだけどなあ。栗林さんは、どっちの俺も認めてくれると嬉しい」
「うん」
川原の手が私の手を握り締める。突然の恋人つなぎに心臓が跳ねた。
「あっちに排水溝があったから、見に行こうぜ」
余裕ありげな口調とは裏腹に、見上げた川原の顔は茹で上げたように真っ赤で。
私の胸は幸せなものに満たされる。
空はどこまでも青く、石垣は、ただ静かにそこにあって。私達を見守っていた。