92.りゆう
ベルがもう一つ魔力を持っていた。
何故隠していたのかは分からない。でも、ベルがどこか苦しそうな表情をしているのが気がかりだった。
「陛下を止められるか…確証はありません」
ひどく曖昧な返事は、ベルらしくなかった。いつもなら、可か不可か、はっきりと言うものなのに。
「この眼は、解析に特化したものです。機構権限による洗脳を解除する魔法と、発動のための魔力があれば、無血終戦も可能なはずです。が…」
そこで、もう一呼吸おいてから。
「妾ひとりでは到底足りない魔力量です。妾の命を代償にしても、大軍全てを止めることは不可能でしょう」
ベルが確信を持てない理由は分かった。しかし、今、それ以上に重要なことは。
「どうして、その眼のことをずっと言わなかったのよ?」
今までの話し合いが、ベルの力でひっくり返ってしまうのだ。
シノは大軍全てを皆殺しにするつもりでいた。その責務は、魔王という肩書の重みは、ずっと苦しめてきたものであるはずだ。
ベルとシノが出会ったのは、八十年ほど前のはず。魔力が発言したのも、昨日や今日とは考えにくい。
付き合いの長さでいえば、ベルがシノと最も共にいたといえる。だから、きっと誰よりもシノの魔王としての苦しみを知っている。
さっきベルは、解析に特化した力だと言っていた。それはもしかしたら、スバル様と同じなのかもしれない。 他人の頭の中を覗き見て、表に現れない深い深い心の傷を目の当たりにしていたのかも。
それなのに、ずっと黙っていた。なら、相応の理由があったはずである。
魔力の消耗が激しいのか?悪魔は保身を優先させることが多いらしいが。
利用されることを恐れたのか?実際に、ヒグレは他にない力から、人間に利用され尽くした。
私やシノを驚かせたかったのだろうか?確かに、シノもかなり驚いているし、私も困惑している。
が、そのどれもが違う気がした。
だって、ベルの表情が。握りしめられた拳が。そんな生半可な理由ではないと感じさせたのである。
緊張状態にあるこの状況で、不用意な発言は許されない。混乱を招くのはもちろん、自身への信頼だって危うくなる。
現時点で、シノですら猜疑の色が強い。スバル様が険しい顔をしているのは、言うまでもない。
その上で、今、ベルが打ち明けた理由。
洗脳の解除。とっくに諦めていた夢のような魔法。
あまりにも広範囲で、かかった人間が相互に影響しあっている洗脳。そうなれば、術式も複雑になるわけで。絡まった森の木の根のようになったそれを、解除することはできないだろうと。
確証はない。が、ここで根も葉も無い絵空事を口にするような子だとも思わない。
「何か、重大な理由があるんでしょう?」
理由と聞いたベルは、小さく肩を震わせた。
「…ずっとこのままでいられたらいいのにと思っていました。でも…このままじゃいけないと、分かったからです」
その言葉の意味は分からなかった。でもその言葉から、ベルがひとりで苦しんできたことは分かった。
「…ようやく、居心地の良い椅子とさよならする覚悟ができました」
ベルは何かを壊す気で、何かを失ってしまうことも覚悟している目をしていたのだった。




