90.もんどう
やっぱりシノのハンバーグは格別だった。できたて熱々というものがこれほどまでに幸せなことだったとは。もっと早く知りたかったものである。
みんなで片付けまで済ませた後、また席に戻る。
「ツキヒと連絡を取って、国衛兵の警備部隊も動かせるようにしてもらおう。もし王都で戦闘になったら、民を逃しながら立ち回らなくちゃいけないからね」
「シルフルートもそうだが、アサギリもだな。こっちの方が機構権限の影響を受ける人間が多い分、味方が少ない…グラケーノ殿が頼りだ。よろしく頼む」
王のふたりは特に、王都の心配をしているようであった。
「そんなこと言われても、自信がないのう…頑張ろうとは思うが…」
しかし、グラケーノ以外スバル様の護衛はできないといえる。
私やヒグレは論外。ベルもシルフルートの防衛の指揮を補助しなければならないため、抜けるに抜けれないのだ。
そしてその後もしばらく話し合いは続き…。
夜。日もすっかり暮れてから、スバル様を見送ることになった。
…スバル様が撃たれたのが昨日のことだなんて。その後の衝撃的な話のせいで、ずいぶんと前のことのように感じてしまう。
「よし、これで心臓は守れるか」
洗って血を落とした昨日の服。その下に着けてある銀色の胸当てはグラケーノである。
「首とか頭は、守らなくて平気かの?」
「正直、全身鎧を着たいくらいだがな…ある日唐突に国王がそんな姿で仕事を始めたら、家臣たちびっくりするだろう?」
びっくりというか、めちゃくちゃ怪しまれ心配されると思う。
「では、また会おう。シノ殿、ミコトちゃん」
そう言って、スバル様は転移の魔法陣にて消えた。
「ボクらももう寝よっか。体力の回復のためにも」
確かに、昨日はあまり眠れなかったし。状態異常無効といえど、寝不足は精神的な疲れを感じさせるのであった。
シノとヒグレは部屋に戻り、私も自室に入ろうとしたところで。
「お嬢、少しいいですか?」
暗い廊下で、小声で引き止めたのはベルだった。
「二分ほどで終わりますので」
まぁそれくらいならいいか、とくるりと振り返る。
「あなたの方からなんて、珍しいわね」
「ききたいことがあったので…お嬢にしか、きけないことです」
女の子としての悩みかしら、なんて思っていると。
「…お嬢は、無駄な努力なんて無いと、本気で言い切れますか?」
それは、この十年間の私そのものであった。
「えぇ、もちろん。泣いて、足掻いて得たものは全て必要なものよ」
それが、己が身を苦しめるとしても。
「…たとえ、夢に届かなかったとしても、ですか?」
頭が眠たくなり始めて、ベルの言っている意味がよく分からなくなってきた。
「夢は、人生の羅針盤になるわ。でも…羅針盤がなくなったから、これまでの旅に意味なんてなかった、なんて言うのもおかしいんじゃないかしら?」
人生は、歩みの止められぬ旅そのものである。回り道、寄り道、見える景色。そこで出会う全てが、私の一部になっていくのだ。
「…大切なひとに隠し事をし続けることは、悪いことだと思いますか?」
月明かりもなく、ベルがどんな顔をしているのかは分からなかった。
「誰かの幸せを守るための隠し事なら、いいと思うわ」
グラケーノやヒグレが、私を傷つけまいと黙っていてくれたように。
「でも、そのせいで自分が苦しくなるのなら、本当のことを言ったほうがいいと思うわ」
本当に大切な相手なら、相手も自分を大切に思ってくれているものだ。知らぬ間に苦しまれることも、相手はきっと望んでいないから。
…ふたりの優しさに気付けないでいた自分が、恥ずかしいばかりだ。
「…そうですか。ありがとうございます、お嬢」
ベルの声音が、ほんのかすかに揺らいだ気がした。
「じゃあ、もう寝るわね。おやすみ」
「はい、おやすみなさいませ」
がちゃん、と戸を締めた後、シーツへと飛び込んだ。
布団をかぶり、薄れゆく意識の中ぼんやりと考える。
死ぬってどういうことだろう?
なんだか、急に分からなくなってしまった。
ヒグレに殺気を向けられ、スバル様は死にかけて。死について考えた途端、指先が凍るような恐怖が押し寄せてくる。
シノに刃を向けるのも、ヒグレに切っ先を突きつけるのも平気だったはずなのに。
何かが、おかしい。何がおかしいのかは、分からない。
すると、だんだん布団の中が暖かくなってきて。何を思い出そうとしていたのかも不明瞭になっていく。
あぁ、もういいか。とりあえず、今日は寝ておこう。
「…」
腹の中に違和感が居座るものの。襲い来る睡魔に抗えず、そのまま眠りに落ちてしまうのであった。




