85.殺人
カイという人物がいるとなると、こちらも苦戦させられることになるだろう。
もっと早く言ってほしかった、という気持ちもなくはないが。ヒグレに対して過去のことを尋ねるのは、あまりに酷なことだろう。
…ミコトが励ましの言葉をかけたのは意外だったな。
「勇者を信仰する組織を作ったのは、おそらくシラユキのためだろう。あの盾は、人々が勇者を信じる心から、勇者に魔力を与えることができるといわれているからな」
太陽の力を吸収し、攻撃威力を上げるハクジツと共に女神より与えられたとされる神器である。
「グラケーノ殿の封印に、シラユキが媒体として使われていたわけだが…封印魔法の術式と、人々から魔力を集めるシラユキの術式を接続したのだろうな」
故に人々が勇者を信じる限り魔力は供給され続け、封印は解けない仕組みになっていたわけだ。ここまで恒久的に維持される術式は、他にはないだろう。
「一つ、きいてもいいかい?答えたくなかったら、答えなくてかまわないが…」
じっ、とスバルはヒグレの目を見つめて。
「グラケーノ殿の解放騒動のときにお主の方にやって来た人間は、その後どうしたんだい?」
どうした、というのはヒグレの対処か、その人間たちの行動か。
だいたいの予想はついていた。きっとスバルも同じだろう。
すると、ヒグレは静かに目を閉じてから。
「皆殺しにしたっすよ。一人残らず」
目を見開くミコト。かたく唇を結んだスバル。
まぁ、無理もないだろう。同じ国の人間なのだから。
「殺さなきゃ殺されると思って、パニックになって…気がつくと、全員バラバラになってたっす」
我武者羅に、爪を、牙を、糸を振るったのだろう。
「自分は今までこんなものに恐怖していたのかと、拍子抜けして…そう思ってしまった自分が恐ろしくもなったっすよ」
どれだけ憎んでいたとしても、自分の手で殺してしまうと。言いようのない後味の悪さは残るものである。
「血で全身染まって、自分の色も一瞬忘れるくらいで…。手についた返り血を舐めると、どうしようもないくらいおいしく感じちゃって。オレ、やっぱり吸血鬼なんだなって思ったっすね」
血の匂いに興奮するのは、血を求める種族の特徴である。
「その後、急いで風呂に入って洗い流したっすけど…やっぱりバレてたっすか?」
気づいていなかったと言えば、嘘になる。あの日感じた血の匂いは、明らかに人間のものだったから。
「まぁね。まさか全員殺したとは思ってなかったけど」
いや、むしろ取り逃がす方が都合が悪いかもしれない。
三十人以上の部隊で襲撃していたことも驚きである。それほどまでに、リンネはヒグレを取り返したかったのだろうか。
「その後は血の匂いを嗅ぎつけた森のモンスターたちが肉片を全部喰ったみたいで、死体は残ってなかったっすね」
わざわざ後日確認したのか。侮れない子だ。
「お嬢には、あまり教えたくなかったっすけど…」
王として人を裁く立場としてのスバルとは違い、ミコトはまだ子供である。
…さて、これにどう返すのか。
「驚きはしたけど、仕方ないと思うわ。私があなたと同じ立場だったら、私も迷わず斬り捨てるもの」
実にあっさりとした返答であった。
人間にとって、人殺しは怪物と同義であるはずなのに。
「知らない人間が何人殺されたとしても…あなたが殺される方が、私はずっと悲しいわ」
命は、必ずしも平等であるとはいえないのであった。
多くの人間を殺してきたボクは、彼女の目にどんなふうに映っているのだろう。
恐ろしいものであるはずだろうに。それでもボクを慕い、歩み寄ってきてくれた。
…ミコトとスバルには、感謝してもしきれないくらいだな。




