65.沈黙
ヒグレとミコトを一時的に戦闘不能にすることができた。
が、グラケーノが姿を現したのは想定外だった。
「その姿ってことは…ボクと素手でやり合うつもり?」
徒手空拳には自信がある。対して、グラケーノはまだこの姿での戦闘なんてろくにしたことがないはずである。
「姿を見せた方が、お前さんの気も引けるじゃろう?」
ぎこちなく構えるグラケーノ。その目はいたって本気であった。
グラケーノ相手に物理攻撃は無意味。硬いし、防御を突破したところで何のダメージにもならない。それはこのあいだの特訓でよく分かった。
無視してミコトの復帰を遅らせたいところだが…そうもいかないようだ。
「二人を庇いながら、どこまでやれるかな?」
ごっ、と回し蹴りを打ち込む。衝撃に地が揺れるが、グラケーノの身体は微動だにしていなかった。
「ワシの身体の物質は、ワシの思うように変えられる…使い方を教えてくれたのは坊っちゃんじゃからの」
グラケーノが選んでいたのは特に重量のある金属。
…いざ敵となると、成長の一つでも厄介に思える。
この体格だと、投げ技も難しいだろう。
ボクが身に着けている体術は基本、相手の関節や内臓にじわじわとダメージを与えていくものだ。だから、関節も内臓もない相手には効果が薄い。
なら別の方法を考えよう。この状況で、全員の動きを封じる方法は…。
「ボクも負けたくないんでね」
反撃の隙も与えないよう、続けざまに打撃を加える。
するとしばらく攻撃を受け続けていたグラケーノの指先に、小さな穴が開いた。
そこから漏れたのは、ひどい悪臭だった。
腐った卵のような、頭の中を搔き乱す匂い。
これは、火山から噴き出る…毒の匂いだった。
「これはちと危険じゃがの。安心せい、牽制用じゃ」
…こんな使い方を考えたのは、グラケーノではないだろう。
まさか、気体まで再現できるなんて。
濃度によっては即死もあり得る鉱毒。危険極まりない。
これではグラケーノに近づけない。ボクが負傷中の二人に近づこうものなら、迷わず突進してくるだろう。
だが、ボクだって無策なわけじゃない。
「ちょっと卑怯だけど…試させてもらうよ」
ずぷり、と影が地面から這い出て捕らえたのは、ヒグレ。
グラケーノの気を引きつつ、すぐそばにまで影を伸ばしていたのである。
「…盲点じゃったのう。まさか、お前さんがそんな手を使ってくるとは」
「ボクも最初はこんなことするつもりはなかったよ」
戦う中で、みんなが想像以上の立ち回りを見せてくれたから。
「魔王としては、人質の奪還くらいできるようになってほしくてね」
戦闘能力は十分。あとは、対処能力だ。
「…え、ちょ、何すかこれ?」
意識がようやく戻ったヒグレが抵抗するも、そう簡単には拘束は解けない。影の手を力技で破るのはまず不可能である。
「暴れないで。暴れるなら、もっときつくするよ?」
流石に全身骨折をさせるまではしないが。少し力を込めておく。
「人質にされたらなんて、考えてなかったっすよ…」
抵抗をやめ、次の一手を考え始めるヒグレ。
「キミたちが動けば、ヒグレはどうなるか…さぁ、どうする?」
訓練だからヒグレを殺しはしないはず、と突撃してくるなら失格だ。
だって、もし本当に人質を取られた場合、それは通用しないから。
人質を取る。下劣ではあるが、相手の動きを封じるのには最も効果的である。仲間としての絆が強いのなら、なおさら。
…実際、魔王としてそういった現場には何度も立ち会ってきた。
「やはり、一筋縄ではいかんか」
事態は完全に膠着。ボクはヒグレから意識をそらせないし、グラケーノたちも不用意には動けない。
降参するか、強引にでも動くか…。
…このときのボクはまだ、第三の可能性に気づいていなかったのだった。




