40.さけぐせ
私はお酒が飲める。しかしアルコールの感覚が分からない。
だから、シノがここまで変貌するのが不思議でならないのだ。
「うんっまぁ!ブランデーもいいけど、アカツキのお酒もいいよね~」
ベルに注いでもらい、ごくごくと飲んでいくシノ。
顔は赤く染まり、酔っ払い独特の愉快さが全開である。
「…本当は陛下はお酒が大好きなのです。ご自身で解毒の能力を調整できるようになるほど。しかし忌み子の呪いによって毒耐性そのものを封印されたため、禁酒を余儀なくされ…」
酒好きなのか。可愛いばかりかと思ったが、意外とおっさんくさい趣味もあるらしい。
「一度飲み始めると、絶対に止められません。力加減もできなくなるので、お酒を飲むのは本当に信頼している人物の前だけです」
ならスバル様もその一人なのか。
…私も信頼されてるんだな。
「抱きしめられたら、人間の場合骨まで砕かれます。ご注意下さい」
まぁ私は再生もできるし、大丈夫だろう。首さえ折られなければ生きてるだろうし。
「えっと、オレお嬢ほど再生能力高くないんすけど…」
ヒグレも吸血鬼の血からか、再生能力は持っているらしい。
しかし。
「ヒーグレ!おいで!」
自身の膝の上をぽんぽん叩いて両手を広げるシノ。
「マスターのおいではめっちゃ嬉しいっすけど…本能が命の危険を知らせてるんすけど」
「貴方も気に入られていますからね。力いっぱい抱きしめて下さるでしょう」
生半可な再生能力では地獄をみることになりかねない。
何でこんなことに、とヒグレは頭を抱えた。
「はい、ヒグレ、あーん」
ずい、と身を乗り出して皿の上にあった果実の一つを突き付けるシノ。
「え?あーん?」
ぽかんと開いた口に果実は放り込まれた。
もぐもぐごっくん、と音が鳴ってから。
「ね?おいしいでしょ?」
ぺろ、と手に垂れた果汁を舐めながらシノは笑った。
不意に見えた舌は思ったより細くて、魅惑的に見えてしまって…。
「あ…はい…」
あーんしてしまったのとその不意打ちもあって、ヒグレは頬を赤らめた。
「ねぇシノ、酒の肴に生き血とかどうかしら?」
「なんでこっちを見ながら果物ナイフ握りしめてるんすかお嬢」
「生き血かー、うーん、このお酒ならスルメとかの方が合うんじゃないかなぁ?」
意外と味覚はおっさん寄りなのだろうか。
「あ、チョコレートも合うって話も聞いたなぁ。おやつに持ってきてたっけなぁ?」
ぽやぽやとした表情のシノ。
確かにべろんべろんだ。これはよその人間には見せられないな。
「ヒグレー?なんで逃げるのー?」
じわじわとヒグレを壁際まで追い詰めるシノ。悪意がないのが余計タチが悪い。
「色んな意味でオレの命が危ないんで…」
なんでこっちを見ながら言うのだろう。
「えぇ?そんなことは…」
立ち上がろうとしたシノが、慣れない服の裾を踏んですっころんだ。
結果、シノがヒグレを床に押し倒し、上から覆いかぶさるような形に。
「うう、もつれちゃった…ヒグレ、ごめんね?」
酒のせいで火照った頬。とろんとした目にはだけた浴衣。
いけない。これはすごくいけない図だ。
「たてがみ、近くで見るとより綺麗に見えるね~」
す、とヒグレのたてがみに指を絡めるシノ。
「石鹸のいい匂い…」
そこから顔をすり寄せて匂いを嗅いでいると、それはそれはもう危ない図に見えた。
「マ、マスター、近いっす!近すぎるっすよ!」
目をぐるぐると回すヒグレ。完全にパニックになっていた。
「そこを退きなさいベル!私が殴ってでも止めるわ!」
「待って下さい。その勢いで突進すれば壁ごと消し飛びます」
立ちはだかるベルをどうしようかと考え始めたとき。
「あ…マスター寝ちゃったっすよ…」
ヒグレの上で寝落ちしたシノの姿がそこにあった。
その寝顔は憎らしいくらいに幸せそうで可愛らしかった。
「…寝顔が見れたから良しとしましょう。ヒグレ、そのまましばらくじっとしてなさい」
「え?しばらくってどれくらいっすか?」
「夜が明けるくらいかしら」
こんなにまじまじと眺れる機会もそうそうないし。
「あの、こう言っちゃ失礼っすけど。マスターって意外とめっちゃ重いっす」
思いの外筋肉質だもんな。
「ならその位置を代わってちょうだい。私がシノの布団になる」
「…それもそれでなんか嫌っす」
「二人とも普通の布団で陛下を寝かせる気はないのですか?」
その後渋々シノを布団に運び…三人でずっと寝顔を眺めていたのは言うまでもない。
「二日酔いが…頭痛い…昨日の記憶ないんだけど…ボク、何かやらかしたりしなかった?」
翌朝、女将に作ってもらったお茶漬けをすすりながらシノが問うた。
やらかした、といえばやらかしたなあれは。
「えっと…思いの外大胆だったっすよ」
「危うく事件になるところだったわ」
「ヒグレがちょっと羨ましく思いました。やはり体格が近いからでしょうか?」
何があったんだと頭を抱えるシノ。
「…ボク、一体何をしでかしたの?」
「ドキドキしたっすけど…ちょっと楽しかったっす」
そして三人で昨晩のことを、丁寧に全部説明してやったところ。
「お酒…もう飲めないよぉ…」
羞恥心で赤面し、涙目になったシノがあった。
…それを可愛いと思えてしまったのは秘密だ。
「…まずいっすね。なんか目覚めるかもしれないっす」
ヒグレも何かぞくぞくと感じているようであった。
感性が似通ってる部分があるのかもしれない。
「飲まない、もう人前では飲まない…」
こうして、とびきりやかましい温泉旅行は終わった。
終わってしまうと少し寂しい気もするけど。思い出してくすっと笑うのはとても気持ち良かった。
これが思い出なんだって、初めて実感した。
思い出して楽しい記憶なんて、今までなかったから。
…これからは思い出をたくさん作ろう、と思った。
この時間も永遠には続かないと分かっているのだから、なおさら。




