37.追憶
ミコトをなんとか引きはがして温泉に入った。
露店風呂に行くと、たてがみを束ねたヒグレと目が合った。
女湯の方から聞こえる、女性陣の話を聞いていたらしい。
「マスターって意外と女の子を泣かせるタイプっすか?」
あの子たちは一体何を話していたというんだ。
「二人がちょっと特殊なだけだから。ボクは悪くないと思うんだけど…たぶん」
湯の温度を確かめてから、ゆっくりと足を入れる。
湯は白っぽくてとろっとしていて、気持ちよかった。
「先輩とマスターって、どのくらいの付き合いなんすか?」
「えっと、七十、いや八十年くらいかな?ベルが大悪魔になったらすぐに拾いに行ったから」
ベルがまだ下級悪魔だった時期はボクもすごく忙しかったし。
「じゃあ、オレよりずっと若いっすね」
魔王城にいる面子のうち、ヒグレは年功序列二位。いや、ひょっとしたらボクより年上な可能性もある。
「マスター、二百年戦争って何ですか?」
…ああ、そうか。この子はずっと地下に閉じ込められていたから。
「ボクが話せるのも、ほとんど本に記されたことだけなんだけどね」
真実かどうかも定かではないのだ。
…長命な竜ですらもあっけなく命を落としたその時代の、生き証人などいないから。
二百年戦争とは、その名の通り二百年間続いた人間と魔族の戦争である。
三代目魔王が封印されたことにより、勇者が四代目の魔王として君臨した。
そして魔王の力を使い、史上最悪といわれる悲劇を生みだした。
勇魔王の大虐殺。
支配に抵抗できない者から手当たり次第に殺していったのである。犠牲者は数日で万を超えたそうだ。
一列に並ばせて、親の前で子を殺し。
身体を操り、集団で崖から飛び降りさせ。ときには池に入水させ。
洞窟に閉じこめて、中で毒ガスを発生させて皆殺しにして。
途中までは人間に手伝わせていた。が、人手が足りなくなったから…魔族の一部も処刑人として動員した。
大切なひとが死んでいくのを、黙って見ていろと。
そんな惨い仕打ちを魔族は許せるはずもなく。
力をつけ、勇魔王へと立ち向かった。
そして長い戦いの末、勇魔王は討ち取られた。
王位を奪還した。が…それで終わりではなかった。
民たちの怒りはおさまらず、五代目の王の命令を聞かずに暴走し始めたのである。
そんな中、暗殺の計画も知らされていなかった使用人が六代目魔王となった。
六代目は、人間との共存さえできれば世界は平和になると考えた。しかしそれを民たちが受け入れられるはずがなかった。
民たちは徒党を組み、怒りのままに刃をふるって人間の国を次々と攻め滅ぼしていった。
その争いの中で生み出され続けた憎しみと怒りの感情から、憤怒の大悪魔が誕生した。
すぐに憤怒の大悪魔は王位を奪い、七代目魔王に。
そこで七代目はどういうわけか魔族の軍も人間の軍も、等しく殲滅していった。
すると当然、双方の怒りの矛先は魔王に向けられた。
七代目はそれらを弾圧していくために、より強い力を欲した。
結果行われたのが、逆らう者全てを力の生贄とする虐殺である。
八代目魔王が誕生するまでの二百年の歴史は、もう二度と繰り返してはならないのだ。
「ボクも他人事みたいには言えないけどね。やったことは…先代と変わらないんだから」
力にために、名も知らぬ誰かを巻き込んだ。
先代が何故魔族と人間の両方を襲ったのかは諸説ある。
自身の力の根源である怒りと憎しみを集めるためだとか。両者が衝突して大戦が起こるのを防ごうとしたとか。
でも…ボクは少し違うように思う。
…奴は、魔王から解放してくれる者が現れるのを待っていたんじゃないだろうか。
だからあの城から逃げなかった。
ボクが城までやってきたとき、ようやくかと奴は言ったのだ。
魔族と人間の両方の敵となり、自身へ憎しみを抱く者を腐るほど生んで。
そのうちの誰かが自身を討ち倒すと信じて。
…奴を全否定したいからこそ、ボクは平和を望んでいるようなところもあって。
それがたまらなく悔しく思えて。
皮肉だな。奴が死んだから戦争が終わって、この目もここにあるなんて。
「そんな顔しないで下さい、マスター」
口調もかたく、慎重に言葉を選んでいるのが分かった。
「マスターがやったことの全部を、正しかったとは言い切れません。でもマスターによって救われたものもたくさんあることも、どうか忘れないで下さい」
必死そうだった。とても真剣な目をしていた。
「…ありがとう。これからもよろしくね」
ヒグレに励まされる日が来るなんて、思ってもみなかったな。
「こちらこそよろしくお願いします、マスター!」
悲しい雰囲気を吹き飛ばすように、ヒグレは快活に笑ってみせた。
笑顔は他人に元気を与えるというのは本当らしく、胸に温かい何かが広がるのを感じた。
くよくよしている時間ももったいないな。頑張らないと。
深く息を吸い、星がきらめく夜空を見上げるのであった。




