36‐37閑話.メイドになった大悪魔
二百年戦争も終戦してしばらく。ひとびとの記憶から戦火が消えてゆく頃。
八代目魔王が国を鎮めてから行ったのは、交易による娯楽の発展であった。
争うことをやめ、各々が好きなように生きることを許された。ときには、娯楽に全てを賭ける者もいた。
戦争なんて考えずに享楽を求め、平和を享受するひとばかりになった。
もっと暮らしを快適にしたい。仕事を減らしたい。
道具を使って生活を楽に済ませたい。もっと遊びたい。
そんな感情から生まれた、怠惰の大悪魔。
数百年かけて生まれるはずの大悪魔が百年と少しで誕生した。それはひとえに、ひとびとの欲望の大きさ故であった。
迷いの森に生まれ落ちた悪魔は、日々をぼんやりと過ごしていた。
無気力に、ただ集まり続ける魔力を溜め込んで。
欲望が絶えなければ、悪魔は永久にだって生き続けられる。
戦ったりすればその分命が削るわけだが。悪魔は賢く戦いから逃げていた。
風の噂によれば、憤怒の大悪魔を討った者がいたらしい。
怒り、憎しみの力が底を尽きたというのだ。
命を削ってまで戦う気が知れない、と思った。
戦いなんて自分には縁のないものだ、と悪魔は割り切った。
しかしその考えは打ち砕かれた。
「初めまして、ボクはシノ。キミは…ベルフェゴールかな?」
夜空が落ちてきたような感覚だった。
これが魔王なのだと、大悪魔を討ち滅ぼせる者なのだということは本能で分かった。
それでも動けなかった。逃げることすらできなかった。
もとより怠惰である悪魔に戦う力などなかったというのに。
「そんなに怯えなくていいよ。ボクは絶対にキミを傷つけたりなんてしないから」
金色の瞳は、一欠片の嘘もついていなかった。
「キミはボクが生んだようなものだからね。どう?ボクの家に遊びに来ない?」
手を差し伸べられて、拒む力も権利も持ち合わせていなかった悪魔は頷く他なかった。
連れてこられたのは、巨大な城だった。
目に入るもの全てが初めてで、そこで自身の中に好奇心というものを知った。
「あれ、なに?」
並の人間よりずっと長生きしていたが、言葉を発したのはこれが生まれて初めてだった。
「魔導書だね。魔法について書かれた本だよ」
これが、悪魔が初めて魔法を知ったときのこと。
めくる紙にはびっしりと文字が並べられ、まだ見ぬ世界が垣間見えた気がした。
文字列を焼き付けるように追い、頭に叩き込んでいく。
「もっと、まどーしょ、ちょーだい」
「え?もう読み終わったの?」
その日から悪魔は、魔法の世界にのめり込んだ。
本を片っ端から読み漁り、三日と待たずに地下の大図書館の本を完全に読破した。
「怠惰の大悪魔って、二百年戦争でほとんど消滅しちゃったらしいから…いやぁ、また生まれてきてくれて良かったよ」
怠惰の大悪魔はいわば心のゆとり、平和の象徴なのだという。
「…もう二度と、憤怒の大悪魔なんか生み出させたりしないから」
その表情は穏やかながらもぞっとするほど冷たくて。
壊れない平和を創ること、戦争のない世界を作ること。それがこの者を魔王たらしめているのだと悟った。
「ベルフェゴールっていうのもただの分類名だし…そうだ、キミの名前はベルでどうかな?」
ベル、ベル。自分だけの特別な響き。
「うん!わたし、ベル!きっとママのすてきなおよめさんになる!」
「えっと、ボクはどちらというとパパなんだけど…」
この日から悪魔は魔王の役に立てるように色々なことを学んだ。
魔法は世界の法則を歪めることによってその効果を発揮する。
…ならこの世界の本当の法則はどこにある?
そう思うと胸がときめいた。
世界の真理を見つけて、我が君に教えたいと思った。
そうすれば、平和の実現の力添えにもなれるはず。
それに…自身の命を守ることにも繋がる。
世界の法則を解き明かすこと。それが悪魔の願いであった。
…伴侶となれるように努力はしたのだが、全て失敗に終わった。
たとえば…。
「どうですか我が君!わたしも女性らしくなってみました!」
人間の男なら誰でも虜になるような美貌。
ボディラインを隠さない服。露出した白い脚。
さぁこれでどうだと息巻く悪魔。
しかし魔王はそういうものに疎いお方で。
「うーん、あんまりお腹は冷やさないようにね?」
…その日から悪魔はとても慎ましい格好しかしなくなった。
日はうつろい、悪魔は従者として魔王に仕えることを選んだ。
それでも良かった。共に平和を創れるのなら。
これが魔王シノの側付き筆頭たる、メイドのベルの誕生である。




