34.れきし
のんびりと歩くこと数時間。初めて訪れた綺温泉旅館。
大衆が通れるくらいの道を作るのは大変だが、転移魔法を使えば問題はないだろう。
いや、それは少し皮肉な話かもしれない。
だってここには…転移魔法によって王位を奪われた魔王が眠っているのだから。
ちょっと散歩にしてくるとだけ言って、旅館の外に出た。
木の葉のさざめき。からっとした秋の風。遠くを見やれば、赤く色づいた山々が連なっていた。
地形を見ながら、本で見た地図を思い出す。
止まっては進みを繰り返し、辿り着いたのは大きな祠。
中には白く美しい盾…例の勇者の盾があった。
これが三代目魔王の封印である。
「…不和の魔王、か」
今から千五百年ほど前に魔王になったそうだ。
しかもそれが人間の手によって創られた精霊だというのだから本当に驚いた。
精霊とは、悪魔と似て非なるもの。欲望から生まれる悪魔に対し、精霊は生物たちが持つ漠然としたイメージから生まれる。
花とか、石とか。自然にあるものへのイメージから生まれ、それを制御する力を持つ。
人間が木を伐採しすぎると、森を維持するために木を異常繁殖させる…といった具合だ。しかしその大半は自我や意識を持っておらず、条件反射で行動する。ただ空気を漂う魔力の塊である。
そのイメージの範囲を大きくしたもの…山という概念で精霊たちをかき集め、一緒くたにして自我まで与えた人間がいたのだという。
その天才は忌み子などではなく、自分の力だけで精霊を完成させた。
だが山の精霊の力は強大すぎた。当時二代目魔王によって侵略されていた人間たちは、すぐにそれを兵器にすることを望んだ。
だから…魔王にした。
その後、主が下した命令は一つだけ。
人間と魔族の壁となれ、と。
山の精霊はその命に殉じ、大地を操って自身を壁とした。
人間と魔族の、隔絶であった。
双方にほとんど干渉することなく、壁として千年の時を見守った。
双方は相手を忘れ、平穏な世界で生きていた。
しかしそれは破られた…人間の手によって。
転移魔法が開発され、大地の壁が意味をなさなくなったのだ。
人間はまだ見ぬ新天地を求め、魔族は未知の侵略者から居場所を守るため。両者は激しく争った。
魔王はただそれを見ていた。
そしてやってきた忌み子…勇者によって封印された。
そもそも精霊の力と命の根源は、生物のイメージ。
山の精霊を殺すには、山という山を平野にして山を知る者を残らず葬らなければならない。
どれだけ痛めつけても決して死なない魔王。封印というのも勇者の苦肉の策で、精霊の自我の部分を半永久的に外部に干渉できないようにするものだった。
生かさず、殺せず。
魔王の力、王位も封じられるかと思ったが…そうはいかなかった。
精霊を封じた勇者に、王位は譲渡されてしまったのだ。
それが後の、二百年戦争とよばれる争いの引き金。
「もう戦争は終わったわよ」
人間に弄ばれた魔王。だから人間であり、勇者である私が一人で会いに来た。
「八代目がすごく頑張ってくれたのよ。だからもう安心なさい」
伝わっているかは分からない。でも声にすることに意味がある。
「私はミコト。魔王シノの…友達よ」
わざわざこんな場所に旅館を作ったのはこのためだろう。
過去を知り、今を愛し、よりよい未来を見つめるため。
きっといいものにしてみせるわ、と笑ってみせた。
「やっぱり、ここにいたんだね」
別に急ぐでもなく、ゆったりとした足取りでシノがやってきた。
…何だろう、この感覚。このあいだもシノがこうやって迎えに来たし…。
「遊びに行った先で親に連れ戻される子供の気持ちがよく分かったわ…」
「キミはボクのこと何だと思ってるの?」
何か、ときかれたら…。
「面倒見のいいお姉さん、かしら」
「待って。とりあえず性別は合わせてほしいんだけど」
「…おっさん?」
「それはそれで傷つくからやめてほしいかな」
この子は性別不詳でもいいと思う。可愛いし。
「じゃ、戻りましょ。どっちが先か、競争よ!」
「え?ちょ、早っ⁉ま、待って!」
歴史は暗いけれど、これから明るい未来を作っていければそれでいいと思う。
「…二人で、か」
人間と魔族の代表者。
二人揃って、青空の下に駆け出すのであった。




