28.ぜんぶ
あいつはただ笑っていた。
静かに、胸の傷を隠すでもなく。
やわらかな空気などない、魔王シノとしての本来の気配。
重く、身を凍らすような威圧感に、手が震えていた。
魔王を殺すとはそういうことなのだ。
殺した後、その力と業の全てを受け継ぐのだ。
シノは自らの命を狙うことを許している。
舐めているのではない。本気で殺されることを願っている。
こちらが舐めてかかれば、相応の報復をするだろう。
…戦争行為に対しての過剰なまでの攻撃。巻き添えが出るのは良しとしないらしい。
どんな作戦を立てても、最終的に魔王を手にかけた者が魔王になるのだ。
驚いたのは、五代目から六代目への代替わりの話。
魔王の腹心の一人が魔王を殺そうと、スープに毒を混ぜた。ごく少量ずつ毎日飲ませ、じわじわと身体を蝕ませていった。
そして、魔王はとうとう命を落とした。
しかし…その王位と力が引き継がれたのは、しがない使用人であった。
ちょうど、魔王が飲んだ最期の一杯を運んだ者だった。
首謀者ではなく、何も知らされずにただ皿を運んだだけの使用人が魔王になってしまったのだ。
そのせいもあって、後がよりいっそうややこしいことになったわけで。
…だから、魔王とは正面から向かい合わなければならない。
「ええ、殺してやるわ。首を洗って待っていなさい」
精一杯、強がって見せた。
私は不相応なのは分かっている。でも後戻りもできないのだ。
…いつか逆転できるかもって私を信じてくれるなら、なおさら。
「一つ、言っておくことがあるわ」
震える手で愛刀を握りしめた。
「あんたを殺したいのは、あんたが魔王だからってわけじゃないんだから」
シノはひどく驚いた顔をしていた。
「そう言ってもらえて嬉しいよ」
表情は素直に喜びをたたえていて。
シノもシノで、心は狂いきっていた。
「あっ!いたいたマスター!」
ガサゴソと茂みをかき分けて、ひょっこりと顔を出したのはヒグレだった。
「ご飯冷めちゃったっすよ…というか二人とも帰ってこないから心配したんすよ?」
むー、とむくれるヒグレ。それがどうにも可愛らしく思えた。
「あ、ごめんね。ちょっと話し込んじゃって」
小さな子供をなだめるように、ヒグレの頭をなでなでするシノ。
シノも割とヒグレを可愛がっているらしい。
「オレももう三百はいってるんすよ⁉子供扱いしないでほしいっす!」
ごめんごめんとけらけら笑うシノ。だいぶ楽しんでるなこいつ。
「じゃあ、撫でられるのは嫌?」
「そ、それは…嫌じゃないっすけど…」
口ごもるヒグレを見てシノはにこにことしている。
意外と意地悪な性格である。侮れない。
「そんなにいじめてやらないで下さい。可愛い妾の後輩なのですから」
すぐに追いついてきたらしいベルが溜息混じりにそう言った。
「キミ、いつの間に後輩になったの?」
「数日前からっす。掃除とか洗濯ってやったことなかったんすけど、意外と面白くって。今日の夕飯はオレも一緒に作ったんすけど…」
二人とも帰るのが遅すぎる、とヒグレは愚痴をこぼした。
「妾が温めなおしますから。しょげないで下さい」
ぽんぽん、とヒグレの肩をたたくベル。この二人も仲良くなっていたらしい。
「じゃあ、帰ろっか」
三人が足並み揃えて歩き始めた。
「…一緒に帰ろ、ミコト」
差し出されたのはあのときと同じ手。でも言葉はあのときとは違っていて。
「そうね。帰りましょうか」
いつの間にか悩みは消えていて、私もあとを追いかけていた。
私がやりたいことをやればいいだけ。そこに変わりはないのだ。
それがたとえ、世界をひっくり返すのだとしても。
私はもう、迷わないだろう。




