25‐6間 閑話.魔王になった竜
魔王領土最北端に位置する霊峰。麓には北竜の里と呼ばれる場所があった。
その小さな集落の中で生まれた、ごく平凡な子供。
子供は父と母、兄や姉から愛情を注がれて育った。
身体はまだ幼く、空を飛ぶこともできない。魔力も目覚めておらず、竜と呼ぶにはあまりに無力な存在。
それでもよかった。恐れることは何もなかった。
こんな、ささやかで幸福な日々がずっと続くと思っていた。
…そう信じて疑っていなかった。
しかし平和はひどく脆いものであることを知った。
赤々と燃え盛る家々。逃げまどい、助けてくれと叫ぶ声。
空気が肺を焼くようで、焦げる匂いが里を包んだ。
魔王が里を襲ったのだ。
女と子供が逃げる時間を稼ぐため、男たちは戦いへと身を投じた。そんなもの無駄であると分かっていながら。
母に抱かれながら、姉と共に逃げていた。しかし炎のせいでか、途中ではぐれてしまった。
炎の中、身を焼きながら走り続けていた。が、もう少しで炎の海の抜けると思われた瞬間、母は足を止めた。
母が見上げる先にいたのは、魔王だった。
逃れられない絶望だった。
魔王の力によって炎が大きくうねり、母子共々吞まれるかと思えたとき。
母は子を手放した。突き放すような手だった。
喉が焼かれる前に、かすかに聞こえた声。
「逃げて、生きて」
伸ばしかけた手と母の指先を遮るように、炎が母を吞み込んだ。
地面に投げ出されるも、ただ目の前の出来事に呆然としていた。
しかし母の声が、身体を奮い立たせた。
全力で、その場から逃げ出すことしかできなかった。
一瞬だけ見えた、二つ並んだ金色の三日月…魔王の瞳を忘れはしなかった。
見逃された。それでもいい。
絶対に死ねないのだ。
形見はこの身一つだけ。
悲しみは怒りへ、怒りは憎しみへと変わっていった。
心は魔王への復讐の感情に蝕まれていった。
死なないためには、殺すためには力が必要だった。その結果が闇の魔力だった。
魔王を殺すため、色んなものと戦った。人間だって殺した。
善意などなく、戦場では強者のみが正義だった。
そして…たった一人で、魔王城に攻め込んだ。
あふれ出る大軍の全てを虐殺した。闇に星は消え、影は大地を喰った。
三日三晩、血で血を洗うような戦いだった。
全ての配下を排除した先にいたのは、魔王。
剣を持つ姿は人間のものに近く、髪は里を焼いた色と同じ色をしていた。
「…ようやくか」
部下が全滅したというのに、魔王は慌てるでもなく静かにたたずんでいた。
合図もなく、死闘は始まった。
牙が身を裂き、炎が血を焼いた。
憎しみが痛みを凌駕し、命が果てるまで戦った。
互いに一歩も譲らぬ熾烈な戦いの末、竜は魔王を討ちとった。
しかしそこにあったのは、ただ静寂と空虚だった。
達成感もなく、自分が生きてきた理由が分からなくなった。
降りだした雨が、燻る大地と返り血を洗い流していった。
もう生きる必要もないと思い、爪で己の喉を掻っ切った。
でも、死ねなかった。
水たまりに映る己の瞳は、忌々しい金色をしていた。
雨が血だまりに落ちて、辺りを赤く染め上げていった。
金色の瞳を持つ者はただ一人。
そしてあの炎の魔王はもうこの世にいない。
ここでやっと理解した。
己が犯してきた罪に。失ったものは戻らないことに。
頬を伝う大粒の雫は、雨か涙か。
竜は魔王になってしまったのだ。




