95.自覚
戦わずしてボクを殺す方法はいくらでもあるとベルは言った。実際、戦わずに魔王の力を手に入れた者はいる。
どうしてボクは、それを忘れてしまっていたのだろうか。
「陛下自身も、本当に死にたいと思っているのでしょうか?」
ミコトがボクを殺そうとしている、という仮定が崩れた。
ボクは死ぬのが怖くない。これは事実であるはずだ。どんなに残酷で、無慈悲で、無様な最期だとしても。
死を直前に、生物としての本能が目覚めるのだろうか?
分からない。ボクは自分の手で喉を掻っ切っている。目も抉った。その後も自傷行為を繰り返した。
痛みがないと、生きている心地がしないくらいには狂っている。
「以前、妾が食事の席でかけた問いを、覚えていますか?」
呼び起こされる記憶の中にある言葉は…。
「毒入りのスープを、陛下はお召し上がりになりますか?」
五代目魔王の、死に様。
ここまで言われて、ようやく自分の誤解に気がついた。
この問いに、ボクは何と答えた?
否だ。
ボクは、毒を口にしないと答えた。その時点で、気づくべきだったのだ。自身の考えと言葉が矛盾していることに。
「陛下は死への恐怖を失っています。が…心の穴を埋めるように、生への執着が芽生えています」
ボクが死んだら、きっとみんな悲しむから。今の幸せな食卓も、失われてしまうかもしれないから。
あぁ、悲しませたくなかったんだな。泣いてほしくなかったんだ。
どうして気付けなかったのだろう。
ボクがどんな形で死んだとしても、悲しむ誰かがいることに。ボクの死を悲しんでくれる、優しい心の持ち主ばかりなのに。
格好悪いな。殺させるために城に招いたのに、いつの間にか自分も絆されてしまうなんて。
だからだろうか。先代があんなに徹底的に民から嫌われるようにしたのは。
己を殺す手に、一瞬の迷いも生じさせぬため。
今更問いかけることもできない。この手で殺めたのだから。
あぁ、でも一つ教えてほしかった。
この死を納得できているのか、と。
「いつぞやのヒュドラの血のパンケーキ。実際に作ったとして、陛下は口に入れるのでしょうか?」
何やかんや言って、食べないだろうなと思う。
その死に納得していないから。
みんなと出会う前のボクだったら、喜んで食べただろうに。
ミコトと話しているときは、覚悟さえあればきっとこの子はボクを殺し、その悲しみも乗り越えられると。そんな漠然とした期待があった。
でもそんな覚悟できるわけないと、頭のどこかでは分かっていたんだと思う。だからこそ、毒を口にできないと言ってしまったのだろう。
友達になってしまったから。優しさを知ってしまったから。
殺される覚悟と、殺した上で生きる覚悟。それが同じ重さであるはずがなかったのだ。
死後の地獄と生ある地獄。どちらがより苦しいものであるかは、言うまでもないだろう。
やっと、自分が重ねてきた罪の重さを知った。知ったといっても、ヒグレやベルが感じた痛みの数万分の一だろう。
あぁ、ボクも死にたくなかったんだ。
「…ほんと、かっこ悪いなぁ」
こうして、仮定の全てが崩れ去ってしまったのだった。




